所望の生きもの3種
 

 前回の来訪時は、イモリを届けていただき、その生態を学んだ。その上で、井戸枠水槽に放した。この庭には、かつてイモリが棲みついていたし、今もその最も強烈な印象がマブタに焼き付いている。それは、母親に対する信頼を、その良し悪しは別にして、子どもながらにとても強烈に抱いた思い出であり、その主役がイモリである。水道が普及していなかった時代の思い出だ。

 今は屋敷のごとくになったアイトワの空間だが、当初は畑地だった。私は数えで6歳の時に、まだ畑地だったこの土地に、母に手をつながれて訪れた。ポツリ、ポツリとしかよみがえる思い出をひもとくたびに、いつも最も鮮明にそのありようが再現するのが、このイモリの思い出である。背が黒くて、腹には深い赤色の不気味な模様があるイモリである。

 この畑地は小倉山のすそ野の一角にあり、10m近い落差がある。そこに小さな池が2つと、コンクリート製の大きな肥溜めがあった。西宮から疎開で越して来た時は、すでに畑になっており、幾人かの人が野菜作りをしていた。ほどなくそのうちの一人とわが家が耕作に携わることになる。

 母は毎日、居候していた伯母の家から100mほどの地道を歩いてこの畑に通った。まず50mほどの、車も通る幅数mの緩やかな坂道を登る。常寂光寺の瀟洒な山門に行き当たるが、そこを左に折れて南に向かい、数10mほど歩んだ右手の山側にこの畑があった。踏み込むとすぐ左手に肥溜めがあり、当初の私は鼻をつまんだに違いない。そのまま真すぐ山に向かって10mほど進めば、差しわたし2mほどの池があった。今は人形の飾り窓がある書庫があるところだ。

 この池は、夏でも汲み出して肥と薄めて毎日畑の水やりに用いても、翌朝には水が一杯に張っていた。この畑地の農業用の池としていかされていた。

 さらに山手に向かって緩やかな狭い農道を登ってゆくと、やがて2つ目の小さな池にたどり着く。今は、この農道は幅1mほど舗装され、温度計道と呼ぶ主要通路になっている。そして、その行き当たりに2つ家があり、正面が両親の、右手が私夫婦の居宅だ。つまり、2つ目の小さな池の手前に2つの家をこしらえたわけだ。だから今では、グルーっと迂回しなければこの小さな2つ目の池があったところにはたどり着けない。

 そこに、当時は飲料用水池があった。直径70〜80p程の池だが、50p程の深さがあり、池の周りにはびっしりと苔が生えていた。水は夏でも冷たくて澄んでおり、底までよく覗き込めた。一見では、水面はチラチラと反射しており、底は真っ黒だが、目を凝らすと底まで覗き込めた。その底に、いつも数匹の黒いイモリが棲みついており、時々赤い腹をのぞかせながら水面まで空気を吸いに上っていた。

 やがて私たちはこの2つ目のイモリの棲みついた小さな池を泉と呼び、下手の農業用水池を池と呼び習わすようになったが、その思い出は、私の意識が生まれた原点かもしれない。

 母はその水を両手ですくい取り、飲んだ。次いで私に飲ませた。冷たい水が喉にしみた。その後、畑にたどり着くと、夏のことだったから、畑作業に着いた母をしり目に私は一人この池にやって来て、この水をすくいとり、飲むのが日課になっていたに違いない。キットその時は、元気なイモリの姿を確かめてことだろう。これが私の飲料水の原点になったように思う。いかなる水が飲んでも大丈夫なのか。それが分かることが大人の大事な資格の1つ、と思うようになっている。

 今も、泉があったところに、当時の泉より大きめの水場を再現しており、泉と呼んでいる。この度、その泉の掃除をして、再訪時の村上さんが持参くださったイモリの大部分を放した。残る5匹を、新たな水槽を買い求め、広縁で飼い始めた。常は、カメの餌を与えるように教わったが、「ミミズなんかを(自然では)食べてるんじゃないですか」との義信さんに聴き、ミミズも与えた。

 これ幸いにと、このたび温室内の2つの水槽にも手を入れた。その1つは元の位置に置いたままにして、いただいたメダカの一部を放した。その折に、かつて買い求めて放したコブナの、少なくとも1匹が生き残っていたことを確認。と同時に、後藤さんの「孫が捕った」との小さなゴリとドジョウの各1匹も生きていたことも分かった。

 もう1つの、南側にあった小ぶりの水槽は場所を変えた。母屋の軒先は木陰で、あまり陽が射さないのでそこに移した方丈の手前に当たり、方丈の来客の目を慰めるはずだ。問題は、雨の日の雨だれが泥を跳ね、水槽を汚すことだ。だから、餌やりとは別に、覆いが必要となり、妻は「仕事を増やす」と、ご立腹だ。だが、覆いをかけ忘れた時は、やがては「ゴメンナサイ」と謝れるように持って行こうと思っている。これも重要な1つだと私は睨んでいる

 この他にも、わが家には水槽や水鉢など、ボウフラが湧きかねない水場がいやになるほどある。この春はそれら水場にとっては災難の年で、放してあったキンギョの多くがサギの犠牲になった。だが村上さんのおかげで、そのあらかたの水場に、ボウフラ退治の生き物を分け住まわせることができた。キンギョに代えて、サギが攻撃対象にしない、メダカなど小魚にボウフラ退治に当たらせることにした。

は思った。
 

泉の掃除

広縁で飼い始めた

いただいたメダカの一部を放した

あまり陽が射さないのでそこに移した

方丈の手前に当たり

水場がいやになるほどある