ドン・キホーテにしてはならない

 

 この国は腐った、と思う。「ウソつき」と言われて落ち込む人を多く出す国や地域、あるいは文化がある。「恥知らず」の方がコタエル人を出しやすい文化もある。もちろん「恩知らず」の方がもっとコタエルる文化もある。

 今の日本はこのいずれでもなく、拝金思想にさいなまれている。高級官僚の前代未聞の公文書改ざんを、見逃しかねない空気が世間に漂っている。その空気とは、肝心の「お金に関わる部分は省かれていない」と指摘され、ポカンとしている人が多いことが示している。あの意図的で綿密であった改ざんを、ポカンと見過ごしかねない空気を世の中に蔓延させていることだ。その陰で、真の愛国者がドン・キホーテになりかけている。

 かつて例がないと指摘されるほど丁寧に、首相夫人や幾人かの政治家の関与をこと細かく記載した公文書は何を意味していたのか。それは、健全な役人精神がなさせた行為ではないか。それ以外に考えられようか。考えられない。

 政治家の関与ならならまだしも、首相の夫人の関与がこと細かく記されていた。夫人に過ぎないのに、秘書のごとき女性を国税で4人も貼り付けてもらい、国家の財産を売り渡す案件に深く関わり、現実問題として、タダ同然で売り渡されていた。

 この関与を「許しがたい」と「納税者目線」で考えた役人が、役人の誇りをかけて取り組んだ作業であったはずだ。ここまで執拗な関与があったということを、誇りをかけて記録したもので、民主主義にのっとった作業以外にありえない。

 だから逆に、「ウソつき」と言われても平気な人が、私欲のために、その部分を執拗なまでに省き取る改ざんに躍起になったのだ。それ以外に考えられない。

 それを省き取れば、夫人の関与を消せるだけでなく、不正な値引きの根拠も省けてしまい、ただ単なる価格問題の話にしてしまえる。

 私たちは、納税者の誇りと責任がかかった判断を問われている、誠実な役人が「納税者目線」で誇りをかけて取り組んだ作業を、その意気を無にしてよいのか。逆に、国民の財産を売り渡す案件の、肝心の部分を削り取り、うやむやにするように立ち回った役人をのさばらせておいてよいのか。それをよしとしているかのごとき権力者の品性が問われている。「ウソつき」や「恥知らず」とか「恩知らず」ではなく、肝心のお金の部分は残っているから、と言われて放っておいてよいのか。既に、「省く必要性はなかった」という首相の言葉をシュシュの独り歩きさせている。

 そもそも、役人が民主主義化の「納税者目線」で誠実であれば、正確な公文書の作成に全精力を傾けて当然である。それが誠実であった証であり、勤勉に働いた照明である。その証や証明のもとに役人の評価をするのが行政マンの責務である。だから国民はその人事権まで与えたのだろう。その人事権を悪用があってはならない。

 不正直な役人が、ほんの数%の退職金カットで野に放たれ、法外な対価の職を得させることになるだろう。それはともかく、「納税者目線」で義憤に燃えた役人をドン・キホーテにしてしまいかねない。その後の人事も心配だ。