これもクスリ
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7月19日の京都は39.8度。観測史上で24年前の8月8日以来のタイ記録。38度超の日が始まってから6日目のこと。NHK-TVがひつこいほど「水分補給」と「ためらわずに冷房を」と勧め始めたことに気が付いた日だ。 おのずと2つの過去を振り返った。1つは昭和19(1944)年の今頃、戦時中のこと。小学1年生の思い出だ。2つ目は中学生のころまで続いた夏場の注意の1つで、「水分補給」のありようを諭された話だ。 74年前の嵯峨小学校。夏休みに入る前日の真っ昼間に、在校生全員が運動場に集められ、校長先生の訓示が始まった。その時は、尋常小学校と呼ばれていたが、この小学校には中学生もいたように思う。軍事教練に当たる軍服姿の指導官が睨みを利かせていたことは確かだ、こうした儀式には軍刀を携えていたように記憶する。立派だなあ、と思った。 校長先生の訓示は、この日もダラダラと長かった。やがて1人が、しばらくして2人目がまるで棒のようにバタっと倒れた。もちろん訓示は終わらなかったし、誰一人として生徒は姿勢を崩していない。訓示が始まってから半時間ほど過ぎていたように思う。私も直立不動で立っていたが、まっすぐ立てているのかどうかが不安だった。少し体が斜めになっていそうに感じられて、とても緊張した。 女の先生が動いたのは、2人目の学童が倒れた時だ。学童1人につき2人の先生が側に近づき、両脇から手を回し、顔を天に向かせて引きずり、医務室の方向に消えた。 3人目がバタンと倒れ、しばらくした時に訓示が終わった。幾人かの先生が倒れた子どもの側に急いだが、生徒はこの子どもを取り囲んだりはせずに、解散の号令に従った。校長先生と軍服姿の指導官は互いに寄りあって、お辞儀と敬礼を交わし、なにごとかを語らった。その時に私は、2人は落後者が3人も出たことを嘆かわしく思っている、と感じた。 当時の男は「甲種パリパリ」を競い合った。小学校の講堂でこんな光景を見た。大勢の大の男が深刻な面持ちで1列に並び、1人ずつ講堂に吸い込まれていた。やがて奥の出入り口から、人が変わったかのような男が出てきて、先に出ていた人に「甲種パリパリだった」とか「ケツまで覗かれるんだな」と胸を張っていた。 もちろんションボリと出てくる人もいた。乙種や丙種にランク付けされた人だと家に戻ってから知った。母によれば甲種パリパリとは「立派な兵隊さんになれる人」だった。私も甲種パリパリになりたかった。母も同じ思いであったはずだ。事前に醤油を大量に飲み、丙種になった男もいる、と母に教えられた。母は声を潜めていたが、私は「軽蔑ッて、どんな意味」と質したことを思い出す。母に軽蔑されたくない、と思った。 夏休みを挟んで、世の中が変わった。ブン団長に従って一列になって登校することもなくなったし、忠魂碑の前で最敬礼することもなくなった。第一、皆が一番怖かった軍服姿の指導官がいなくなった。教科書が黒々と墨で修正された。何もかもが一転した。 高学年になると、テッキョウ(徹競?)遠足という体育の日があり、それが辛かった。遠方まで走ってゆき、取って返してくるわけだが、汗をかき、ヘトヘトになって学校に帰着しても「水を飲むと、死んでしまうぞ」と先生に諭されたことだ。 今から思えば、あれは何だったのか、と気になる。何百人からの生徒がテッキョウ遠足に参加したが、水を飲まずに死んだ人も、途中で倒れて運ばれた人も、見なかったし、聞いていない。これも不思議でならない。このあの当時もモノサシで言えば、近ごろの私たちはやわになった、と思う。その是非は分からないし、分かりたくもない。 だが私は、今年も「これもクスリ」と考えて立ち向かったことがある。朝5時から朝食までの2時間半の庭仕事と、夕刻は4時ごろから出るが、日没前の半時間の作業だ。 早朝の方は、朝食が用意できた合図の手がポンポンと鳴るまで、たとえば草刈りとか、畝を耕す作業などに黙々と当たり、グッショリ汗を出す。時には体重が2kg近く減る。日没前の半時間は、このところは、重たい石を一輪車に載せ、井戸枠水槽の近くまで運ぶ作業だ。一輪車から抱え直して持ち上げ、石の階段を10歩分ほど運び、最後の力を振り絞って静かに下ろす。「この石が (当時は)運べたんだ」との思い出にする石だ。 この作業の一環だが、この夏は1つの記念品ができた。庭でのお茶の時間に供する石のテーブルセット造りだ。これまではお茶の時間のたびに折り畳み椅子を持ち出していたが、適度な石をもらったのを幸いに、死ぬまで横着ができるテーブルセットを用意した。 こうした作業を私はクスリだと思っている。現実に、いつしか夏風邪をひかなくなっていた。突然のコロリならまだしも、寝込むようなケガや骨折をしないように用心し、「これこそクスリ」であったと公言できるようになりたい。 それはともかく、NHK-TVが「ためらわずに冷房を」と言い始めたが、何を「ためらわずに」と、言いたいのか、気になる。未来世代に負担をかけかねないことだが「ためらず」に、ではあってほしくない。 |
お茶の時間に供する石のテーブルセット造り |