そのセンスに私は共感
 

 大阪さんは仕事の都合で(ゼネコンの孫請け職人として)一カ月間シンガポールに出かけていたことがある。その間に日本で311事件が発生した。天災をキッカケに派生した福島原発事故のことだ。その成り行きや、問題の本質を、大阪さんはシンガポールで、外国メディアを通して知ることになる。
 
 その後、帰国。日本のメディアを通して事故の様子を知るようになり、違和感に襲われた。問題の捉え方や、事実の紹介の仕方が根本的に異なっている。

 大阪さんはシンガポールで、国民にことの本質をキチンと説明し、国民と共に難局をいかにして切り抜ければよいか、と考えるような情報の流し方に、馴れていた。その耳には、政府の都合や、原因企業の立場に配慮したようなニュースの流し方は奇異に感じられたようだ。何かがカシイ。何かを隠している。あるいは本当ことをゴマカソウとしている、と映ったに違いない。この後で大阪さんが下した実働に驚かされた。

 1日仕事で訪ねてもらった大阪さんだが、そのたった一度のお茶の時間に爽やかな勇気をもらった。同様の勇気を大阪さんにもお返しできたようだ。アイトワの時空に踏みこんだとたんに、オーラのようなものを感じとり、不思議に思っていた、とおっしゃった。

 それは大阪さんのセンスのなせる業だ。大阪さんはシンガポールから帰国後、彼我のメディアや政府のありようの差異に触れ、下した結論がる。人生観を一転させた。

 独力で可能な範囲で家族を守りたい、との願いの現実化だ。大阪さんは居を大阪に構えていたが、三田で農地を探し、無農薬有機栽培農業に勤しみ始めた。その合間に、仕事が入れば出かけてゆく生き方への転換だ。

 肝心は、家族のカラダを守ることだが、それ以上に、その家族のカラダを守り続ける環境の保全が大切ではないか。せめて、自分に出来る範囲で、やれることはやってやろう。それが家族のカラダだけでなくココロのこやしになるはずだ。この想いを大阪さんは生きがいにし始めた。その合間に、一級ガラスフイルム施行技能士としての仕事が入れば飛び出してゆき、誠心誠意、つくす。

 その最適地として大阪さんは三田を選んだわけだが、そうと知って私は小躍りしたくなった。中堅企業の社長室長時代を思い出したからだ。実は、婚期を控えた社員が、低利住宅資金を求めて私の席を訪れたが、すべての若手社員に「資金三分割法」を勧めた。その三分の1を先ず投ずべきだと勧めた最適地が三田であった。

 改めて今、大阪さんを思い出している。素晴らしいセンスの持ち主だと思う。「事故が発生してから許容数値を変えた」という指摘の他に、生き方を改めさせそうな指摘はなかったが、感受の次元や本質の問題がその琴線に引っかかったのだろう。

 おそらく70年ほど前に、大本営発表を聴いて国を憂うことができた人のような心境だったのだろう。私の父などは逆で、勝ってほしいという願いが先にたち、大本営発表にバンザイをしていたに違いない。そういう私も、サラリーマン初期までは、ウソでもいいから元気付けてほしい、と願うタイプだった。海外出張に出始めるまではそうだった。

 大本営発表は、自己の正当化のために事実を歪曲し、人々を既定の目標に駆り立てる手段として活かしたプロパガンダだった。今でヨカッタと思った。この危険性に70年ほど前に気付いていたら、特高警察に睨まれていたからだ。

  
 

たった一度のお茶の時間に爽やかな勇気をもらった