人 形 教 室
 

指導者 森小夜子 プロフィール

略歴
1969年 桑沢デザイン研究所卒業、デザイナーとして商社勤務
1973年 結婚を機に退職、創作人形の世界に入る
 ”      日本創作人形協会々員
1986年 人形工房&カフェテラス「アイトワ」オープン(京都・嵯峨野)
1992年 NHKテレビ「婦人百科」に出演
1993年 アイトワ(京都・嵯峨野)に人形展示室オープン
1994年 建都1200年記念全国都市緑化きょうとフェアー「十彩回廊・山紫水明」担当
1999年 東京12ch「ドキュメンタリー人間劇場・京都嵐山に愛を見た」出演
1999年 NHK近畿地方番組審議委員
2003年 NHK逢坂文化センター講師
2006年 日本エッセイストクラブ会員
2010年 同志社大学総合政策科学研究科嘱託講師(オーガニック生活社会デザイン論)

展示会
1985年 「森小夜子人形教室展」開催、以降1年半ごとに定期開催
1991年 「夢・シルクロード」森小夜子人形展(日本橋高島屋)
1993年  「民族の賛歌」森小夜子人形展'93 (新宿三越 工芸サロン)
 〃    「ある日、風の森で」森小夜子&永田萌・二人展(ギャラリー妖精村)
1998年  「民族の賛歌」◆創作活動20周年記念展(松屋銀座、京都大丸、ナビオ美術館)
2000年  「民族の詩」森小夜子人形展(松屋銀座)
2001年  第14回「森小夜子人形教室展」(京都文化博物館)
 〃      「民族の賛歌」森小夜子人形展(京都大丸)
2002年 「民族の賛歌」森小夜子人形展(松屋銀座)
2003年  第15回「森小夜子人形教室展」(京都文化博物館)
 〃      「民族の賛歌」森小夜子人形展(京都大丸)
2004年 「民族の賛歌」森小夜子人形展(松屋銀座)

2005年 第16回「森小夜子人形教室展」(京都文化博物館)
2006年 「民族の賛歌」森小夜子人形展(松屋銀座)
2007年 第17回「森小夜子人形教室展」(京都文化博物館)
 〃      「民族の賛歌」森小夜子人形展(京都大丸)
2008年 「民族の賛歌」森小夜子人形展(松屋銀座)
 〃      第18回「森小夜子人形教室展」(京都文化博物館)
 〃      森小夜子源氏人形展(メルバルク京都)
2009年  「民族の賛歌」森小夜子人形展(京都大丸)
2010年 「民族の賛歌」森小夜子人形展(松屋銀座)
 〃      「民族の賛歌」森小夜子人形展(大阪心斎橋大丸)
2011年 第19回「森小夜子人形教室展」(京都文化博物館)
2012年 「民族の賛歌」森小夜子人形展(松屋銀座)
 〃      「民族の賛歌」森小夜子人形展(京都大丸)
2013年 第20回「森小夜子人形教室展」(京都文化博物館)
2014年 日本の創作人形作家たち展(美術館「えき」KYOTO)
2015年 「民族の賛歌」森小夜子人形展(松屋銀座)
 〃      第21回「森小夜子人形教室展」(京都文化博物館)
 〃      「民族の賛歌」森小夜子人形展(京都大丸)
 

著書
エッセー『人形に命を込めて 創ることが生きる証』大和書房
エッセー『庭宇宙』遊タイム出版  森 孝之 との共著
写真集は、「写真集紹介」に載せています。

私生活
 別棟に住む夫の両親と4人ぐらしをしていたが、両親をともに正常な意識の下に自分の布団で、 享年93歳で息を引き取らせている。その生き方を、夫は以下のように見ている。


「始めれば次々とできる」


いつの間にか妻はいくつもの顔を持つ人になっていた。
結婚当初は専業主婦だったが、やがて私の日曜大工や日曜菜園の助手となった。 ある初秋、白菜の移植に成功したときから自信をつけ、苗の移植や種まきを引き受けられるようになった。

私は頭が古いようで、妻が洗濯した衣服を身につけたり、妻に散髪してもらったり、 手作りのお惣菜を食べたりすることを幸せのバロメーターにしている。 また、親の面倒もみたいほうだ。だから妻は、洗濯や理髪の腕も磨いたし、年老いた親や犬の世話も上手になった。

そのうちに、妻は一人で人形づくりを始めた。まず近所のご隠居さんが一人二人と加わり、 やがておけいこ日を決めて謝礼をとってほしい、と言われてしまった。いつしか教室が必要となり、 喫茶室のついた教室をつくった。すると、近所の主婦から「喫茶店にしては」と提案され、 妻はついに人形教室の主幹と喫茶店の経営という新しい顔まで持つことになった。

その後、「染技連」という京都の若手染色技術者の集まりから声をかけられ、 桃山時代のふすま絵などに登場する麗人を再現するプロジェクトに加わった。 昨年は京都の建都千二百年記念事業の一端を引き受け、大正末期まで 京都の田園地帯で繰り広げられていた生活情景をミニチュア庭園で再現した。

とても忙しそうだが、当人は少しもつらくはないようだ。結婚で飛び込んだ新しい環境に早くなじみたい、 コミュニティーの輪に早く溶け込みたいと願っているうちに、色々な人から助けてもらえるようになったからだ。

喫茶店は数人の仲間が日替わりで経営者となっている。人形教室は手伝ってもらえる人に恵まれ、 不得手なことはすべてカバーしてもらっている。京都の千二百年記念事業の仕事にしても、 人形教室の総勢六十人の友だちと皆で引き受けられたからできたようなものだ。

日々のくらしの中には、だれにでもできることが、たくさんころがっている。 妻はドブ掃除から始めたが、自分にできることなら何でも買って出ることが肝要ではないか。 そのうちに、だれしもが必ず持ち合わせている得手なことを周りの人から教えられ、 その気にさせてもらえるようになるようだ。
そしてその気持ちが、人が人を呼ぶようなことに結びついていき、お互いに助けあったり励ましあったりするような輪を、 自然と大きく育て上げていくのだと思う。

大垣女子短期大学教授 森 孝之
朝日新聞関西版『くらし考』1995年11月4日

 


アイトワとは「愛とは?」「愛と環」「愛永遠」の三つの意味を込めた造語。