ナチュラルハラスメントをしていませんか
2005.8.15
野生生物を私がことのほか大切にしていることを知った人の中に、「肉は食べないのですか」と質問する人がいます。牛や豚や魚などを食しながら野生生物を大切にしているとは言わせないぞ、といわんばかりの勢いです。昔は丁寧に応えていましたが、近年は苦笑をして聞き流します。相手は「してやったり」と思っているかもしれませんが、私はその人を哀れんでいます。 小学一年生の時に、病床にあった父は私に20羽のヒヨコを飼わせました。鶏の飼育の始まりです。母が育てた小麦を製粉したときにでるフスマ(外皮の粉)や、キャベツの鬼葉などを生かさせたのです。その時から、卵やカシワを一家の主たる蛋白源にしましたが、その過程を通して、大げさにいえば、私は人間の宿命を学んだような気がしています。 毎春20羽ほどのヒヨコを孵化させ、翌春までに20羽ほどをカシワにし、元の数にしていました。4年生のときから絞め殺し役を、中学生になると解体役まで母から引き継ぎました。どの鶏をカシワにするか、その順位を父は厳格に守らせました。種つけ役を終えた古い雄鳥、産卵率が大きく落ちた雌鳥、時の声をあげはじめた若いオス鳥を選ばせました。かくして秋口になると、鳥小屋は元気はつらつとした2羽の雄鳥と産卵を続けている20羽ほどの雌鳥が占めていました。 主たる餌は、畑で取れる野菜のクズとフスマにくわえて、日に一度は小屋から連れ出して野山で捕まえさせたミミズや昆虫でした。シジミ汁が朝食に出た日は、貝殻を砕いて餌に混ぜる日です。魚を一匹買いした時は、内臓や骨を水炊きし、細かく刻んで餌に混ぜました。 家族は毎日のように卵を食しましたが、父は3日にあげず生卵を朝食につけさせました。自ら黄身や殻の様子から飼育のありように目を光らせていたのでしょう。貝殻をやらずに放っておくと、ぶよぶよの卵を産み、与えると翌日から殻は固くなりました。ヒヨコの間は、春に芽を出すセリを摘まされ、刻んでフスマをまぶしてやりました。旬のセリは栄養価が高いのでしょう。 来客のときなど、父はたまに卵を産んでいる鶏をつぶさせました。こうした体験を通して、卵を産みは始めた雌鳥が一番美味しく、ひねた雄鳥が一番硬くてまずいことを知りました。父は、まずい鶏から順にカシワにさせていたのです。後年、野性のライオンや狼が、若くて元気な獣を狩るのではなく、老い先が短い成獣や元気に育ちそうにない幼獣とか病気にかかったものを獲物に選んでいたことを知りました。だから、ライオンが餓えていないときは、シカが水のみ場で一緒に並んで喉を潤すのでしょう。『次の生き方』でも触れましたが、ある事情があって次々と父が鶏をつぶさせたことがありますが、そのときに私は驚くべき体験をしています。ライオンが狩る順位や父が守らせた順位を無視し、美味しそうな鶏から狙いました。なんと、数羽と進まないうちに鶏は私を疎外したのです。それまでは鶏の目の前でつぶしていたのに、小屋から放すと私のあとについて来て餌あさりをしていましたが、とたんに私を避けるようになったのです。 今日の私たちの食生活は、自然の摂理に反しており、鶏の立場になっていえば種族の繁栄に反することを平気で押し付けています。人間の異性の意に反して、精神的肉体的な嫌がらせを押し付けることがセクシャルハラスメントであれば、私たちは他の動植物に対してナチュラルハラスメントを強いていることになるのではないでしょうか。 もちろん私も美味に感謝をしますし、知らないところで殺された牛や魚などの切り身を買って食することもありますが、魚であれば「ネコまたぎ」といわれるまで食するようになっていますし、手をつけながら少し硬いからとか不味いといって残したことはないはずです。自分の手で絞め殺し、解体した鶏の肉を泣きながら食べたときの気持ちを思い出してしまうのです。
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