IT時代の王道を求めて

 敗戦記念日の八月十五日を挟んで、上海を起点に少数民族も訪ねる中国の旅をしてきた。
 久しぶりの上海に目を見張ったが、ちょっとした大雨で繁華街が水浸しになり驚かされた。
 上海では年収三十万元とか五十万元(一元約十三円の人材を紹介する雑誌が売られていたが、僻地では世帯年収二千元とか三千元がざらだった。
 牛や鶏と共生し循環する自給自足の農業社会は工業社会に浸食され、プラスチックごみで散らかっていた勤勉で創造的だった少数民族の人たちが、丹精込めた民族衣裳を売ってTシャツを買い求めていた。消費に誘う工業社会の眩惑だろうか、素朴で控え目だった僻地の人々までが欲望の虜になりつつある。
 私の目は、やがて中国は「タガ」の外れた樽のような国になりかねない、と見た。収拾がつかなくなった時に生じる不満は、どこに矛先を向けるのか。

 企業文化を競う

 それにしてもアメリカは凄い。上海から僻地までアメリカ化にある。高層ビル、モータリゼーション、ハンバーガー、ジーンズ、Tシャツ─。
 もちろん、他の国もさまざまな形で進出しているがどこの国が、あるいは企業が所期の想いを遂げ、どこがミソをつけるのか。
 アメリカは、海外進出する自国企業に、環境面で自 国より厳しい法規制があるものとの前提で取りかかれ、と指導する。つまり、善き企業文化を競い会え、というわけだ。
 消費者は、モノの良し悪を問う段階を過ぎると企業の善し悪しを問う段階に移行する。IT時代は、あからさまにされてよい事実の積み重ね方が勝負である。拙著『「想い」を売る会社』(日本経済新聞社)でも触 れたが、プロセスの善し悪し、つまり儲け方が課題である。企業人は善きプロセスにビジネスの王道を見出したいものだ。特にイメージを競う衣料関係者は要注意だ。安さを競うがあまりに、ミソをつけるようなことがないように。
 かつて日本は、世界で最後に植民地主義を掲げて武力進出し、結局ババを引いた。経済戦争では二の舞を演じたくない。

 心のタガ

 黒い瓦が美しい中国奥地の家並にも白い大きなパラボラアンテナが目についた。デレビは刺激的な映像を流し、昼間から子どもを釘付けにしていた。
 かつての日本軍の姿をあますところなく映し出す特集番組もあった。日本兵は抑留中に懺悔の手記を克明に書き残してもいる。こうした現実は、彼我の過去や未来に思いを馳せさせずにはおかない。
 かげりを云々され始めたわが国だが、今こそ真価である誠実さや勤勉さなどを示し、確かな絆を結びあうチャンスにすべきだ。
 日本にはまだ、アジアを一つにするだけの経済力がある。今のうちに、相手が得心して心を一つにしたくなるような「タガ」を作って見せ、さらなる繁栄の道を切り開くべきだ。
 三年前、韓国から日韓共通の歴史の教科書作りを提案されたし、EUではすでに実業家の音頭で出来たEU共通の歴史教科書が広まりつつある。日本こそアジアで共通して使える歴史の教科書作りを提唱し、現実化すべきだ。
 IT時代は、透明性を高めることが信用を手にする必須の条件になる。個を尊重した過去の精算が必須となる時代でもある。それらが未来世代に正の遺産を引き継ぐことにも結びつくはずだ。振る袖をなくしてからその気になったのでは高くつきそうだ。
 こんな気にさせられながら中国の旅は終わった。
                                                                                                                                                                                         
ライフスタイルコンサルタント 大垣女子短期大学学長
森 孝之
                                                          
                                                    

森 孝之 著書紹介へ