『グリーン・デザインの方向と地平』
新しいビジネスの動向をさぐりつつ


 T 新しいデザインの時代
 ヴィクター・パパネックが、自著『生きのびるためのデザイン』で、「多くの職業のうちには、インダストリアル(工業)・デザインよりも有害なものもあるにはあるが、その数は非常に少ない」と書き出してから随分と時が流れた1)。
 ポール・ホーケンが自著『The Ecology of Commerce 』の中で、「これまでのデザインはまるで社会を崩壊させるための触媒のような働きをしていた」と指摘し、これからは逆に、社会を立て直す新しいデザインが求められる2)、と訴えたのは1994年だ。
 1995年夏、米エネルギー省長官補佐官のジョセフJ.ロームは、「アメリカは、環境保護主義はもはや流行ではない、と目覚めました。パロアルトにあるゼロックス社には1000人のデザイナーが働いていますが、全員を再教育しました」と語った3)。
 同年夏、スタンフォード大学教授のマーク・エプスタイン経済学博士は、「アメリカの産業界には、ゴミがでないようなデザインとか商品寿命(ライフサイクル)に配慮したデザインなど環境に悪影響を与えないデザインに対する認識が深まっている」と証言した4)。
 これらの意見は、これまでのデザインを反省し、工業デザインのメッカ・アメリカで改革が始ったデザインに対する期待の声、と見てよいだろう。
 ここで私は、新しいデザインの動きを掘り下げ、グリーン・デザインと名付けてその方向と地平を明らかにしてみたい。


  
 U 新しいビジネスが母体
 巨大な化成品企業の最高経営責任者ロバート・シャピロ会長は、「モンサント社は、持続性のある企業に作りかえるよりも、つぶした方が楽なぐらいだ」と語り、これまでの物質的繁栄を支えてきた「マシーンモデル」が制度疲労を起こしている、という1)。
 標準化や規格化あるいは互換性を尊び、効率を追求するこの生産至上主義モデルは、人事採用面では各人の希望や得手は問わず、あてがった仕事にあわせた自己改革を迫った。企業はコントロールが容易なピラミッド型組織をつくり、異質な考え方をする人を排斥してきた。体を売り物にする労働者は、とって代わるべき機械ができるまで使われていたに過ぎない。また、各国は、自国の企業を護るために自国の市場を貿易面で保護してきた。
 「その最盛期に第二次世界大戦は勃発しており、アメリカはマシーンモデルを駆使して勝利を得た」「だが、きれいな空気や水が高いものにつき、エネルギーが高騰した今日の経済戦争ではそうはいかない。このやり方は持続性に欠けていた。積極的にこれに代わる新しいモデルを考えださなければ経済戦争には勝てない」とシャピロは断言する2)。
 同時に、特に貧しい国で急増中の世界人口が、向こう40年で倍増する現実を踏まえ、このままでは「暴力、貧困、移動などを伴ったひどい時代になるだろう」と警告する。
 ポール・ホーケンは、「ビジネスの時代は終わる」と予告する。これまでのマシーンモデルを円滑に機能させてきた「コマーシャルシステム」が崩壊し、想像もできないほど時代は大きく変化する、と見ているからだ。そして、今日の大問題、「生きるシステムの崩壊」を取り上げる。コマーシャルシステムが、それを支えてきた水も空気も土も汚染し、農地もピーク時から15パーセントも減らし、森林も減らし、野性の動植物を次々と絶滅させながら繁栄してきたからだ。
 だから、「一番努力しなければいけないのはビジネスだ。ビジネスがだめにしたものを立て直すのもビジネスだ」と喚起する3)。
 「これまでのビジネスは、有限の資源を大量に取り、深く考えずにデザインしたものを大量に作り、廃棄物にしていた。工業製品一般の工程を追ってみると、完成品ができるまでに94パーセントの素材を無駄にしている。その上、80パーセントの製品は店頭で買われてから6週間以内に捨てられている。このアメリカが1年間に無駄にしているエネルギーと同量のエネルギーを使って地球の他の文明圏では37億人の人々が生きている」と指摘し、「デザインの革命」によって新しい時代を切り開かなくてはいけない、「ビジネスが駄目にしたものを改めるのもビジネスの役割だ」と呼びかけるわけだ。


 V 企業の覚醒や賢人の炯眼(けいがん)
 @ 真に善い企業を求める時代
ランズエンド社は、一つのブランドの下に11億ドルもの売り上げをする世界一の衣料通信販売企業である。同社は綿を主要素材にしている。
 綿は地球に重大な悪影響を及ぼしている。世界は陸地の2パーセントを綿花栽培に割き、そこに世界が生産する農薬の26パーセントを投入し1)、手ひどく地球を痛めつけてきた。
だから同社はベーシックなデザインをモットーにし、モデルチェンジを控え、「使い捨てに結びつきやすいモデルチェンジは必ずしも消費者のためにはならない」という。
 こうした意識は、本社移転にも現れる。1979年にシカゴのダッジヴィルという小さな町に本社を移転し、製品価格に余計なコストをかけないようにした。また当地には善良で他人に対する思いやりの深い人が多いと見たからだ。それは同社が、どんな理由であれ、いつでも返品・返金に応じる徹底したリファウンド保証を採用しており、当地の人がこのサービスを率直に理解し、歓迎し、誇りにしてくれると見たからだ。
 この理由を問わない返品・返金保証はデザイン観を一転させかねない。衝動買いを誘ったり顕示欲や虚栄心をくすぐったりしかねないデザインは採用できないからだ。
リーバイストラウス社は70億ドルもの売上高を誇る世界一巨大な衣料ブランドを育てた企業である。ジーンズを19世紀半ばに誕生させ、綿を主要素材にしてきた。
 60カ国以上と商取引をし、売上の40パーセント以上を海外で稼いでいる。つまり、多様なニーズに対して多様に応えられる立場にあるが、同社は1987年にアスピレーション(企業の使命と理念)を策定し、一本の筋を通す道を選んだ。
 アスピレーションに沿って厳格な社内規定を策定し、1992年に世界中の納入業者 600社を洗い直し、個別の監査で約30社と契約を打ち切り、 120社に改善を命じている。同年、人権侵害を理由にミャンマーから撤収した2)。1993年には人権の抑圧を理由に中国から撤収し、バングラディシュとは児童労働を理由に交易を打ち切った。
同社は1873年に誕生させた品番“501"ジーンズを今も主要商品にしてる。ビンテージと呼ぶ復刻ジーンズも販売する。ビンテージ・オークションと呼ぶ催しを開き、古い製品の保有者を表彰し、それら製品を使って広告も打つ。不要なモデルチェンジを避け、古い製品を大切にするこうした活動は、消費の抑制に結びついている。
年商1億8000万ドルのアウトドアー衣料企業であるパタゴニア社は、さらなる困難に挑戦する。従来の綿からオーガニックコットン(有機栽培綿)への切替えである。
 きっかけは、綿が地球環境に一番大きなダメージを与えている農産物、と知ったことだ。病気をさける殺菌剤。害虫を殺す各種の殺虫剤。種子の殺菌に薫蒸剤。発芽前と後に異なる除草剤。一本の枝につく綿花の数を調整する成育調整剤。収穫前に枯れ葉剤をまいて葉を落とし綿花だけ収穫しやすくする。こうした薬剤投入はさまざまな悪影響を及ぼしている。汚染された綿実を牛が食べる。人間も綿実オイルを用いる。同社によれば、年間約2万人が農薬中毒で死亡し、死亡に至らない被害は 300万件以上、他に自殺の手段にされ、主として途上国で20万もの人々が死んでいる3)。
 綿花は世界80カ国以上で生産され、総収穫量約1800万トン(1992年)だ。その内、有機栽培綿は0.03〜0.04パーセント程度で、生産高は倍増傾向とはいえ微々たる量だ4)。
パタゴニア社はペットボトルの再生繊維で衣服を作ったパイオニアだが、有機栽培綿企画は比較にならないほど難しい問題をはらんでいる。農薬や化学肥料の使用は、近代的・科学的・合理的生産を追求するためであったわけで、その逆行になるからだ。
 だが、同社は長期的見地から挑戦した。どのような選択がどのような結果に結びつくのかを消費者に啓蒙し、これまでのやり方を根本から改めさせたいからだ。人は生きていくために衣服を必要とするが、そのために地球を駄目にしてよいのか、と訴える。
もちろん同社は、従来の綿を使い続けながら別途グリーンの衣料を作るやり方があることを知っている。だが、同社は1996年の春から一切従来の綿を使わないと決心し、この選択が消費者の支持をえなければ綿関係の製品を一切とり止める決意をした。
 パタゴニア社より厳格な例もある。ナチュラル・コットン・カラーズ社である。
 カリフォルニア大学で昆虫学を学んだサリー・フォックスは、天然有色綿の存在を知り、1982年から自宅のベランダで植木鉢を使って交配を始め、10年かけて品種改良し、グリーン系やブラウン系などの綿を農薬を使わずに栽培できるようにした。
 だから彼女は、綿をわが子のように思う。得意先が、天然有色綿の生地を、好色なポーズをとった美女の体に巻き付けたポスター案を持ってきた時、彼女は激怒し、ブランドマークを作り直し、契約を改めた。わが子の尊厳が踏みにじられたように感じたからだ。
 現在、彼女はアリゾナ州で数千エーカーの畑を使い、天然有色綿を有機栽培で作っている5)。1996年、 CEP6)から「アメリカで最も良心的な企業」の一社として表彰された。晒や染色工程での環境への負荷をなくし、病気や害虫に強い品種をつくったからだ7)。
 以上の4社は、それぞれ独自の目標を掲げて自らに高いハードルを設け、自己超克を迫り、自らを追い詰めているように見える。だが、4社はそこに希望を見いだしている。
 4社の動きは、立場の差を感じさせるが共通点もある。それは、それぞれの活動が未来のどこかで一つに結びつき、綿に関する環境問題を解消しそうな夢を抱かせる点である。また、いずれもがプロセス上で人権の尊重と環境の保全に配慮している点である。つまり、「自分たちには厳しいが、人と地球に優しい企業」であろうとしている点である。
 彼らは、この優しさが国境を越えて消費者を顧客に変え、この厳しさが社員には誇りを与え、経営者には自信を持たせ、そして広く社会には存在意義を認めさせる時代を迎えつつある、と信じている。
 
 A 人間の生産性より資源の生産性
 マシーンモデルに代わるモデルは何か、とシャピロは自問し、農業を例に自答する。本来は、倍増する人口には倍の食料が、世界の貧困をなくそうとすればそれ以上の収穫が必要だ。だが、現在はそれを可能にする土地はもとより技術もない。選択は二つに一つだ。「このまま行って世の中をつぶすか、それとも新しい技術を作りだすのか」。
 だが、時間がない。20年先、30年先と差し迫った問題だ。だから、それまでに間に合う技術は何か、となる。答は「一つにバイオテクノロジーがある。モノを沢山作るのではなく付加価値を生む情報を生かし、自然を破壊せずに高い生産性をあげる」手法だ。
 たとえば、情報を打ち込んだ遺伝子を植物の中に入れ、害虫がその植物を嫌うようにできれば殺虫剤など使わなくてもよい。綿とか麦に適用すれば効果的だろう。こうした情報を衛星などを使って必要としている農場に送ると精密農業も可能になるはずだ。要は、同じ面積で倍あるいはそれ以上の収穫を上げなければならない。
 当然、大問題、特に倫理的な問題が生じる。誰がコントロールし、誰が規制を決め、誰が使えばよいのか。また、そういうものに切り換えるには企業も、社会も、大きく変わらなくてはならない。特に従業員は、格段の努力や創造力の発揮が求められる。
 だが人間は今後、企業や利益のために必死になって働かなくなる時代になるだろう。しかし、社会のため子どもたちのためなら尽くすはず、とシャピロは考える。
 そのために、従業員のモラルと仕事の内容を一致させる必要がある。人間は、自分の仕事が自分たちの生活の質を高めるために役立っていると意識すれば最善の努力をし、信念にあった仕事であれば頑張るはず、と彼は期待する8)。
ポール・ホーケンは、デザインの概念を転換し、生物学的なシステム「ナチュラルシステム(自然のシステム)」に切り換える必要がある、と見る。なぜなら、これまでのシステムは、人と地球を破壊した方が利益が上げりがちであったが、これからはそうはいかないからだ。これまでのシステムは人間の生産性(人員効率)を追求してきたが、これからは資源の生産性(資源効率)を重視しなければならない。新しいシステムは、有意義で誇りにできる仕事を人間に与えないとだめになるシステムである。これまでは、公害と戦い、水、土、空気の保護に力を注いできたが、最も大切なことを忘れていた。それは人間だ。これまでは、エコノミーとエコロジーが分かれていたが、この融合が大切だ、という。
 また、人間だけが失業者を生みだしてきたことにも触れる。自然のシステムと人間のシステムを調和させ、多くの人手を使い少ない資源で済ませるシステムの方が有利になる時代が到来する、と予測する9)。
 
  B フルコストとリアルプライス
 アメリカには“フルコスト”という考え方が台頭している。ビジネス活動のすべてのプロセスにエコロジー思想を反映させ、持続性のあるプロセスに切り換えた場合、本当の価格はどうなるのかとの関心が考えださせたコストである。だから、フルコストをはじいた上でつけられる価格を“リアル・プライス(真実の価格)”と呼んでいる。
 保険料など安全に対するコストを事業コストに含める考え方を一般化したように環境に対するコストも事業コストに含めるべきだとの考え方である。
 わが国では『ソフト・エネルギー・パス』や『ブリストル・パワー』などの著書で知られるエイモリー・ロビンスは、フルコストで計算しなおせば「現状、ガロン当たり1ドル29セントで売られているガソリンは6ドルになる。1匹3ドルで売られているシャケや50セントのマクドナルドハンバーガーは、前者は2100ドル、後者は500ドルになる。他方、75ドルの時計の修理代は、むしろ安くなる」と指摘する。
 彼は「工業文明圏で生活している私たちは、フルコストを認識したライフスタイルに改めなければいけない」と続け、「長持ちするもの、シンプルなもの、修理できるものを指向するライフスタイルに改めるとか、ダイエットに物凄くお金をかけるような文化を見直すことが必要だ」と提唱する10) 。
 
 C 賢い消費者に応える
 環境時代は、企業にデザインのグリーン化を迫る、と自著『LEAN & CLEAN Management 』を通して訴えたエネルギー省長官補佐官のロームは、「これまでのデザインは、パイプから(公害物が)漏れてから手を打つようなやり方になっていたが、これからは先ずデザインの段階で(公害物などを)問題にしておかなければいけない」と訴える11) 。
 そして、「建物一つをとっても、これからは環境に優しいものに変えなければいけない。同時に、その建物に住んでいる人が幸せな未来を迎えられないといけない。日本はこういうところが少し弱いのではないか」と心配する。
そして、「環境に優しい製品をうるさく求める消費者が一番多くいる国が、これからの世界をリードするだろう」「環境税を設けたオランダやスウェーデン、循環経済法まで作ったドイツなどにアメリカは遅れをとりかねない」と危惧する。これは、これからのビジネスは賢い消費者を育成し、それと結びつくことが大切だとの示唆だろう。
 昨今、リファウンド保証をしている企業がおしなべて好業績を残している。それは、賢い消費者や賢くなりたい消費者と企業が切磋琢磨しあうからだ。その中には、イギリス最大のチェーン百貨店マークス&スペンサー社やアメリカのチェーン百貨店ノードストローム社も含まれている。マークス&スペンサー社に至っては、著名デザイナーの手になる製品にもデザイナー名を表示せず、自社ブランドのみを付けている。
シエラクラブ12) は、3つの基準から企業のブランドの使い方を独自調査し、会員などに知らせる。一つは、虚栄心を満たすために使われていないか。二つめは、品質を保証しているか。三つめは、善い企業が提供していることを保証しているか、である13) 。
 ちなみに、この保証をせずにデザインをセールスプロモーションとして駆使する企業が消費者との間で生じさせる不合理性や苦労は、『ブランドを創る 商標・サービスマーク育成の精神』が具体的に詳述している14) 。


W 消費者主導の時代
 @ ファッションかムーブメントか
 レイチェル・カーソンが『沈黙の春』を出版した1962年に私は社会人になった。アメリカでは大型量販店が陸続と誕生し、人々を大量消費に誘っていた。その陰で、主としてベビーブーマー世代が、反戦運動や女性解放運動などの社会改革運動に参入し始めていた。
 1968年秋、アメリカへ出張した私は、訪ねた大学のキャンパスでジーンズとだぶだぶのスウェット(汗)シャツを意気揚々と着た若い女性に仰天する。当時は、ブラウスは下着と見られ、女性が市街地でスラックスをはくことはタブーだった。ジーンズやスエットシャツにいたっては男性用労働着や男性のスポーツ用吸汗肌着以外の何物でもなかった。
 この一件をきっかけに、私はアメリカでの市場調査を増やし、やがて『偉大なるファッションの爆発』と見出しをつけた原稿を業界紙宛に送り、勤めていた商社では繊維部門の主要取扱商品を原料(綿、糸、生地)から製品に切り換えるように提案し、採用される。
 にもかかわらず、私はジーンズブームと社会改革運動との関係に深くメスを入れていなかった。つまり、昆虫にも人間と同じ生きる権利があることをアメリカ人に教えた『沈黙の春』や、ケネディー大統領の消費者啓蒙教書にはまったく注目していない。
 つまり私は、ファッションの原因を突き止めず、流行現象という結果に振り回されていたわけだ。今にして思えば、ファッションという言葉に代えて「ムーブメント(運動)」という言葉を使っておかなくてはいけなかった。
 ギャップ社はその頃(1969年)に誕生している。リーバイストラウス社のジーンズを専門に販売する衣料小売店チェーンとして創業し、ベビーブーマー世代の人々を主対象に選び、新しいサービスを売り物にしてチェーン展開しはじめている。
 当時アメリカには、シルクやキャメルなど高級な生地やワニやミンクなど稀少な素材を使った服飾品を、クリーニングやプレスをきかせて使い分け、男らしさや女らしさを強調する衣生活の嗜好者が大勢いた。そして子どもたちにもそうした豊かな生活を引き継がせたいと願っていた。他方、若者は性差や年令差、職業や貧富の差などを無視したようなジーンズ、Tシャツ、スウェットシャツなどを指向し、親たちとの間に溝を作っている。
 両親たちが求めた多様性は、モデルチェンジによって生み出せた。その嗜好は稀少性や貴重性あるいは奇抜性や新奇性などである。この視覚的な多様性を、仮に横の多様性と呼んでよいとすれば、多くの若者は縦の多様性を目指していた。
 自分が袖を通したモノと未だ通していないモノとの差異。何度も反戦運動などに参加して破り、そのつど補修したモノと新品の差異。さらには、子どもを労働に就かせることによって生まれたものか否か、有機栽培綿を使ったものか否かなどの差異。ジーンズやTシャツは見た目には大同小異だが、そこに若者は新たな多様性を見出していた。
 両親たちが求めた多様性は環境面や人権面での負荷や衝撃を増やしがちだが、若者の指向はそれらを軽減する方向にある。彼らは次元を超えた価値を訴求していたわけだ。
 ギャップという社名は、こうしたジェネレーション・ギャップ(世代間の溝)に着目して選ばれた。ジーンズをムーブメントのシンボルと位置づけ、リファウンド保証の下に取り扱った。その後、1983年から独自生産に手を出し、カラーコーディネートされたトータル化やギャップキッズという子供用を展開するようになる。かくして、1988年頃には「アメリカン・ベーシックスタイル」と呼ばれるシンプルでチープでシックな衣生活の提案企業として不動の地位を確立した。創業29年で、わが国を含めて世界6カ国に2000店余りのチェーン店舗を展開し、年商70億ドル超の世界一のファッション衣料専門店となっている。ギャップ社は、時代の潮流、内面的変革を求める若者の心に的確に応えていたわけだ。
 他方、親の世代は見掛けの多様性を尊び、次々と打ち出される新製品の大量消費に酔っていた。これは一つの矛盾の解消策であった。つまり、消費者を一色に塗りつぶせるマシーンモデルやコマーシャルシステムの能力と、見掛けの多様性を求める消費者の嗜好が生じさせる矛盾を、ひんぱんに繰り返されるモデルチェンジがみごとに解消した。
若者の世代は、その行き着く先を感受していたのかもしれない。若者は世代間の溝は単なる美意識の差から生じているのではなく、価値観の相違が原因だと気付く。そして、このような美意識や価値観を親たちの世代に植えつけた社会システムまでを疑い、改革の必要を再認識する。社会改革運動の火はいっそう燃え盛り、ジーンズはいつの間にかこうしたムーブメントのシンボルになっていく。
 そうと気付いた私は、先進的な企業や賢人を探し求め、その意見や動きを追いはじめる。そして、バブルという言葉が流行る前に、つまりわが国の消費者が消費社会に酔っていた最中に、『ビブギオール・カラー ポスト消費社会の旗手たち』(朝日新聞社、1988)を著す。それは、工業文明が生みだした単色のホワイトカラーやブルーカラーに取って代わる次代の旗手「ビブギオール・カラー(VioletのVから RedのRにいたる虹の頭文字を連ねた VIBGYORとCollarからなる造語で、多彩なイメージを与えた)」の台頭と、ポスト消費社会の到来を予告するものであった。
続いて、バブルがはじける前に、ポスト消費社会が浮かび上がらせるであろう企業や社会の姿をまとめ、『人と地球に優しい企業』(講談社、1990)を著した。それは、人権問題や環境問題と矛盾しない活動を標榜し実践する企業や社会の台頭を予告したものである。
 
  A 消費者の進化
 アメリカ企業の変革の足取りを追っていると、それは消費者の成長に呼応する努力であったことが見えてくる。アメリカの消費者は、これまでに意識を三度にわたって大きく変えており、それに合わせて企業もビジネスのあり方を変えている。
 最初の変化は、アメリカでコマーシャルシステムが軌道に乗った1930年代である。
 アメリカは互換性部品を用いて複製品(コピー)を組み立てる大量生産方式(マシーンモデル)を世界で始めて軌道に乗せた国である。1913年、フォード社はベルトコンベアーシステムを世界で始めて導入し生産効率をさらに高めた。1927年、ゼネラルモータース社は世界で始めてデザイン部門を設置し、モデルチェンジ方式を採用した。かくして次々とモデルチェンジしたプロトタイプ(原型)の下に、互換性部品を用いてコピーを大量生産し、消費者に飛びつかせるシステムは完成した。消費のための生産ではなく、生産のための需要を創造するコマーシャルシステムである。
 やがて消費者は、見かけや肌触りなど五感では判別できない品質や性能、使い勝手や耐久性などを科学的に追求しなければいけないことに気づかされ、組織化する。そして1936年、『コンシューマーズ・レポート』1)が世に送り出された。企業は目には見えない品質や性能にまで神経を払うようになる。
 二度目の変化は1960年代に生じた。レイチェル・カーソンや弁護士ラルフ・ネーダーの登場とケネディー大統領の「消費者の四つの権利」の提唱に啓蒙された変化である。
 ケネディー大統領は「すべてのアメリカ人は消費者である」と訴えた。だが、組織化されていないために力を発揮できず、その意見は無視され、巧妙な企業によってしばしば判断を狂わされている、と指摘した。そして国民は、消費者として等しく“四つの権利(知る権利、安全を求める権利、選ぶ権利、意見を述べて政策形成に関与する権利)”を手に抗争の末に生産中止に追い込んだ3)。モデルチェンジ方式を世界で最初に採用した企業とネーダーの抗争を通し、消費者は企業に情報公開を迫る必要性を痛感し、法制化を促す。
 かくして企業は「見かけだけでなく品質や性能もよく、しかも安い製品(グッズ)」の提供に一段と励むようになった。
 三度目の変化は1980年代である。1986年に CEPが出版した『企業の良心度評価』4)はビジネス界に衝撃波を走らせた。それは十数年の歳月をついやして大手130社の企業を調査し、各企業が用いている店名やカタログ名あるいはブランドと共に企業の姿勢を公表したものである。たとえば、女性役員の有無、少数民族の幹部登用率、情報公開の程度、原子力産業や通常兵器産業との取引の有無、利益処分の仕方など。翌年、廉価版『ショッピング・フォ・ア・ベター・ワールド』が出版され、ミリオンセラーとなる。
 アメリカの消費者は、良心度に欠ける企業の方がグッズを有利に生みだせていたことを知ったわけである。グッズの追求は、企業に公害などの弊害(バッズ)を生み出させがちになっていたことに気付いたわけである。
 賢くなった消費者は「モノの良し悪し」に留まらず「企業自体の善し悪し」を問い始めた。購買行動を「モノに憧れ、欲望を解放する行為」から「企業姿勢の善さを確かめ、特定の企業を信任する行動」へと進化させはじめた。
 パタゴニア社は、素材調達や生産工程の健全性など企業自体の善し悪しを確かめて購買行動に移る消費者をロイヤルカストマー(すばらしい顧客)と呼び、「ロイヤルカストマーの確保が企業繁栄の決め手になる時代」と断言し、デザインのあり方を転換する。
 ベン&ジェリー・ホームメイド社の創業者ベン・コーヘンは、「デザインは、社会問題や環境問題を改善することを主目的にすべきであり、持続可能な環境とか生活空間、あるいはそのデザインを必要とする人間の幸せに焦点をあてて考えるべきものであって、見かけなどの外観はそうした問題を解決したあとの問題に過ぎない」と主張する。
 エプスタインは、アメリカで新しいデザインが求められるようになった背景は、にわかにクローズアップされた環境問題だと指摘する。連邦政府は環境面で規制を強化した。消費者は環境問題に関する活動を活発化した。企業は環境問題に取り組むことが経営効率の向上に結びつくことに気がついた。
 同氏は、「デュポン社は環境に優しい企業となるために15億ドル投下した。その使途は設備や工程の改善とデザインを改めることだ」と証言する。
私は『このままでいいんですか もうひとつの生き方を求めて』(平凡社、1992)を著し、ビブギオールカラーや人と地球に優しい企業が切り開くであろう社会や、そこでのライフスタイルのあり方について提言した。それは環境問題や資源枯渇問題あるいは人権問題と矛盾しないライフスタイルの標榜である。
 
 B 欲望の解放から人間の工業文明を超えて解放へ
 私たち工業文明人は新しい時代への移行が急がれている。ポール・ホーケンは、新しい時代は、生物学的なシステムを取り入れた時代だと考えている5)。私は第4時代と命名したポスト消費社会を頭に描いてきた6)。
 第4時代とは、工業文明に代わる新文明が切り開く時代である。つまり、現代は第3時代ということになり、その前に第1と第2という二つの時代区分があったことになる。
第1時代は、人類が誕生してから数百万年間も続いた狩猟採集時代である。人類はおおむね自然の一部として生きていた。
 その後、人類は1万年ほど前に「新しい可能性(農耕牧畜)」を見いだし、新たな生き方に移行した。第2時代である。王や神をつくり、身分や貧富などの差を生じさせ、仲間どうしの組織的な殺戮を始めた時代、古代文明時代である。自然に対する畏敬の念を次第に失い、地球が何十年も、あるいは数千年もの年月をかけて蓄積する太陽の恵み(木材)を大量に使うようになり、やがて衰退してしまう。
300年ほど前に人類はさらに新しい可能性を見だした。地球が何億年もの歳月をついやして蓄積した太陽の恵み(化石資源)を大量に消費する術の発明である。自然との対決姿勢を強め、極めて不可逆性の強い文明に踏みだした。現工業文明、第3時代である。
 「第3時代となって、デザインの概念が生まれた。人々は自己の信念や嗜好よりも、むしろ生産者が指し示すデザインに従うようになった。消費が美徳となった。地下資源というものいわぬものに手を出すことになり、ブレーキも踏み忘れがちになった」7)。
 第3時代は、第2時代が生みだした貴族階級を没落させたが、かつて「上流社会の人々が享受していたような奢侈で贅沢な消費生活にすべての人々を駆り立てればうまくコトが運ぶ」8)社会を現出させた。それは、貴族階級が用いたお仕立て衣服に代えて既製服を、馬車に代えて自動車を、乳母にかえて人工母乳を、楽士を侍らせてとる食事に代えてステレオとデリカテッセンをといったふうな置き換えによって可能になった。
 それが可能だと私たちに錯覚させたのがマシーンモデルだ。そして、その錯覚の顕在化や普遍化にコマーシャルシステムは貢献した。そして、マシーンモデルとコマーシャリズムを円滑に機能させる触媒としてデザインが貢献してきたわけである。
 かくして私たちは「すべての人が真似をしたらたちまちにして破綻しかねない生き方」に移行した。ウイリアム・モリスが、無用なモノに向けられる不必要な生産という重荷を背負い込み、工業国は発展途上国との間で「略奪と新しい需要の創造」という悪循環を繰り返すことになると1世紀余も前に危惧した9)ような時代への移行である。
 現在、地球人口の2割を占める工業国は、地球が供給する天然資源の8割と食料の5割を消費し、炭酸ガスの6割を排出している。今日、残る国々の中から地球人口の5割を占める中国やインドが工業化を急いでいる。地球人口も急増している。
 人類は新しい時代、第4時代に移行しなければならない。それは、これまでの二度の移行と異なり、つまり可能性の発見発明が切り開かせた欲望を解放する方向への移行ではなく、「限界の覚醒」が誕生させる時代である10) 。「資源の限界、自然の許容能力の限界、これらを無視したような活動の限界を思い知らされ」ることによって誕生させる新文明が切り開く時代である。それは人間を解放する方向でなければいけないはずだ。
 それは可能なのか。アーサー・ケストラーは、そのためには「人間は本性を矯めればればいけない」と見た11) 。アブラハムH.マズローは芸術などの「至高体験」に覚醒する人間が増えることに期待した12) 。私は、工業国の人々が「地球人としての認識の下に、生態系への復帰を宣言し、不可逆的な生活システムとの訣別を誓う」ことから活路が開かれるもの、と考えている13) 。
 誰が牽引すべきか。パタゴニア社は、新しい時代は「多数決に左右される政治には期待
できない」と見る。そして「少数であれロイヤルカストマーの支持で生きていける企業こそ立ち上がるべきだ」と主張する。ポール・ホーケンは「資源の生産性に開眼したデザインに転換し、再生する企業」に期待している14) 。私は、人(人権尊重)と地球(環境保全)に優しいデザインに転換する企業に、その可能性を見出している15) 。
 


X グリーン・デザインの方向と地平
 「地球上から動物実験をなくそう」と呼びかけ、1976年にイギリスの主婦が創業した化粧品企業がある。ボディーショップ社である。その後、同社は「オゾン層の保護やスーチー女史救済」など人と地球に優しい運動を次々と追け加えている。「よりよき地球環境を次世代に引き継ぐ」ことを標榜するパタゴニア社は、売上額の1パーセントを地球税と名付けて徴収し、環境保全活動に支援している。
 ボディーショップ社の思想は、化粧品会社でありながら、美女を登用するポスターを不要にした。ショーウインドーを、製品を飾る場ではなく、運動を呼び掛けるポスター掲示の場にさせた。また、高コストを要する容器を不要にし、簡素で不変の容器を採用させリフィール(詰め替え)システムを開発させた。パタゴニア社の思想は、衣料会社でありながら、宣伝広告を不要にした。そして、「不必要なものを限りなく取り去り、取り去るものがなくなった時が完成の時」とのデザイン観を採用させた。
 創造は思想である。だが、行動は思想とは限らない。まま欲望でありうる。だから、個別の需要者をターゲット(標的)にした組織的な創造も可能にする。つまり、供給側の売上や利益を目的とした創造と消費者側の不用心な欲望が出会い頭に一発勝負を繰り返すようなことを許してきた。それが、供給者を身勝手にし、人と地球に厳しくさせがちとなっていたのではないか。ケネディーはこの行き着く先に、国家の安全保障上の危惧を見いだし、消費者啓蒙の必要性を発想したのではないだろうか。
 新しいデザインは、望ましき思想に誘われなければいけない。アメリカには、この認識の下に、人と地球に優しい思想を標榜する企業団体『Busuness for Social Responsibility (企業の社会的責任)』が誕生している1)。ボディーショップ・アメリカ社やパタゴニア社は、この誕生時からのメンバーである。そして、彼らが生み出すデザインには以下のような特徴があり、私はそこにグリーン・デザインの方向と地平を見いだしている。
 
  @ カストマーズケアーのデザイン
 グリーン・デザインは、デザインの段階、つまり設計や構想の段階で問題や欠陥を残しておれば、製造や建設の過程で、あるいは使用時や廃棄後の段階で、矛盾や問題を次第に大きくしかねない、との思想から生まれている。そして、今日では、これまでは不可能だったシュミレーションが可能になってきたわけだから、グリーン・デザインを試みるには構想の段階で斬新な考え方と優れた創造性を発揮しなければいけない、との意識が不可欠である。もちろん、水や空気を含む資源の調達にも同様の配慮が必要である。
 こうした思想は、デザインをこれまでの販売促進の触媒としての位置づけから、顧客に貢献するカストマアズケアーの触媒へと180度方向転換させている。つまり、企業のためのデザインではなく、人と地球に配慮し、消費者に持続性のある幸せを保証するデザインへの転換である。
 私は、こうしたカストマーズケアーの触媒としてデザインを位置づけない企業が、人と地球に優しい企業に席巻される時代が近づいている、と見ている。
 
  A 人間を解放するデザイン
これまでのデザインは、D.A.ノーマンが指摘する行為の七段階理論2)でいえば、その前段階(何を求めているのかを深く考え、計画を立て、いかに購買行動に移るべきかを十分に配慮する段階)を省略させるために智恵を絞っていたような一面がある。
 私は、私たち人間が、人類にいたる三つの段階(爬虫類、哺乳類、霊長類)で、段階をおって発達させた三つの脳を持ち合わせており、その三つを総動員した認識システムの下に生活している3)ことに注目したことがある。そして、上の前段階を省略させるデザインは、「専門家の前頭葉(霊長類の段階で発達した大脳皮質の一部で、デザインに係わる未来洞察や創造能力などを司る部分)と消費者のトカゲ脳(爬虫類の段階で発達した脳で欲望などを司る)の出会いがしらの一発勝負」のようなことになっていると指摘した4)。
 この一発勝負は、本当のことを隠して供給されるグッズと、バッズへの配慮に欠けがちな消費者の欲望が衝突しがちな形で始まり、前者が勝利を収めがちとなっていた。
 グリーン・デザインは、消費者にすべての判断材料を提供し、人間の解放に供しなければいけない。あるいは、提供者は善き企業であることを保証しなければいけない。
 リファウンド保証は、法律に促されるのではなく、個別の組織が、進取的に、組織力を生かし、個人に対して倫理上から責任を全うしようとする方策と私は位置づけている。
 その思想は、大きなバラ柄のドレスよりも、組み合わせ方次第で多様に演出できる定番的なシャツとパンヅやスカートなどセパレーツ品目を優先させ、各人の創造能力を触発させるデザインに向かわせている5)
 
  B コミュニティーを再構築するデザイン
 デザインは、労働の一部から独立するに従って自然を疎外し、ゴミを増やし、環境破壊やコミュニティーの崩壊などを加速していた点に着目すべきである6)。
 ビジネスはピラミッド組織を形成し、デザインを駆使し、利便性、快適性、安全性などを提供してきたが、それは人々を自己責任能力や自己完結性から解放し、人々を個々に分断し、ピラミッド組織の底辺に組み込み、隷属化するようなことになっていた7)。
また、「“今”の人間」の欲望を満たすことに終始しており、消費者が遺伝的に受け継いできた適応能力や免疫力を減退させたり未来世代への配慮に欠けがちにさせたりしていた。それが、人々を家畜化し、先人の智恵や相互扶助関係を疎かにさせ、里山などの共有財産を維持する能力を失わせ、生きる力を欠如させてきた。
 グリーン・デザインは、これまでのデザインのこうした点を弊害とみて反省し、逆の作用をもたらそうとしなければいけない。それは、自己責任と自己完結性にとんだ生き方を消費者に取り戻させ、コミュニティーを再構築する方向へと誘おうとするものである。
 
  C 自然と共生するデザイン
 グリーン・デザインは、環境問題や資源枯渇問題あるいは人権問題と矛盾しない生物学的配慮にとんだ四次元デザインであらねばならない。
 日本のデザイン界はエクステリア・デザインまで三次元デザインと捉える傾向にあった8)。それは、「買いたくなる家」をデザインさせたが、住んでみてから「しまった」と気付かせる家(シックハウスなど)まで生み出させていたようだ。
 私自身は、家屋に生物学的配慮にとんだ四次元デザインを適用してきた。半地下構造、草屋根、家屋の南面に位置するように苗から40年かけて育てた落葉樹の配置、30年余り前から敷地内での排水(屎尿、風呂の残り湯や雨水、洗剤などが混じった水)やゴミ(生ゴミ、紙や木、その他)の分別などを採用する総合デザインである。
 それは、土壌の断熱性、熱許容量、保水性、浄化や還元能力など、生物の四季の変化とか成長力や生命力など、植物の蒸散能力や炭酸同化作用など、空気や水の循環性や対流性などを活用し、自らを自然の一部に位置づけようとする試みである。つまり自然の力を活かした四次元デザインである。それは、井戸水がそうであるように、ボタン操作さえ不要の自動温度調節効果を発揮する家にした9)。こうしたグリーン・デザインの方向や効果のほどは本学の実験住宅(エコハウス)でも証明されつつある10) 。
 住居に限らず、風化作用などの変化や廃棄する可能性があるモノを扱う以上は、常に生物学的配慮をほどこした四次元デザインの視点から有機的に取り組むべきであろう。
 
  D スピリチュアルな転換が不可欠
最後に、精神的な転換を促すデザイン教育の必要性を指摘したい。
 私が上記のような家屋を発想したのは、自然と共生したくなる環境の下で育ったことが大きく作用しているように思う。学校でインダストリアル・デザインを学びながら、排水や廃棄物の分別・循環を尊び、野菜などを自給しようとする意識を捨てなかった11) 。
 それが、自然の一部としての認識を深め、住んでいる間に健康になる家、住んでいる人を豊かにする家、家族の相互扶助関係を高める家、住んでいる人の得手や趣味を高揚させる家、住んでいるだけで近隣をうるおす家などを夢見させたのだと思う。
 「デザイナーは環境主義者(Environmentalist)でなければいけない。環境技術(Environmental Engineer)ではだめだ。この差の認識が非常に大切」とロームは主張する12)。(下線、筆者) 。同感である。そのためには先ず教育のあり方を変えなくてはいけない。建築であれ製造業であれ、これまでとは根本から変えるために、「デザイン教育は、環境面に秀でた“技術”ではなく、スピリチュアル(精神的)な面からとり組む」必要がある13)。なぜなら、グリーン・デザインは環境主義者から生まれるものであるからだ。この試みは、本学ではすでに一部始められている14) 。
 
 モデルチェンジをするなら、企業のためにではなく地球のためにしなければいけないと考える国家さえ現れた。ドイツである。1994年に成立した「循環経済・廃棄物法」は、生産されたばかりの新製品まで廃棄物と規定し、新製品(廃棄物)を売り出すメーカーに、売る時に払う努力と同じ努力をして自ら作りだした廃棄物(製品)を回収し、再資源化することを求めた。この新製品を廃棄物とみなす思想は、今や欧州全域(EU)の理念になろうとしている15) 。この思想は、デザイン観を刷新させつつある。
 ボティーショップ社の思想は1988年にアメリカに上陸した。そして1992年、アメリカの主要大手化粧品企業に動物実験中止を宣言させている。
 
6 結語として
 私たち人間にとって、最も変えにくいものは思想ではないか。だが、それを変えなくてはいけない段階にきている。だとすれば、覚醒をうながす良き歴史や伝統に恵まれた私たち日本人はとても有利な立場にある。
 それは、禅の思想「足るを知る」を心得、「わび」・「さび」の心を理解し、「のれん」を大切にする心を計画的に育てた歴史があるからだ。アメリカで新しいデザインに移行し始めている人々の中に、日本の禅の思想をきっかけに覚醒した例が少なくない1)。
 秀吉は、誰にでも理解できる価値観の持ち主であった。それは誰しもが持ち合わせている欲望の解放に訴える価値観である。他方、利休は意図的に新しい価値観を創出し、その後の日本を大きく変えた。それは一過性で終わらず、今も大きな市場性を持っているし、広く世界にも影響力を及ぼしている。世界の若者は、利休が魚籠を花器として見立てたようにジーンズやスウェットシャツを見立てたものと見てよいだろう2)。
 こうした価値観を表象するシンボルとしてランズエンド社やギャップ社はブランドや営業表示を生かし、リファウンド保証をする。それは「のれんの心」とあい通じるものがある。わが国の商人は、かつて「のれん」にこうした組織の良心度を表象させていた。同時に、そうした精神を会得した人に「のれん分け」をしていた。
 日本は、新しいデザインの最も近道にあるわけである。
 
 Z 引用文献
T−1) Victor Papanek『Design for the Real World-Human Ecology and social Change 』   Pantheon Books,1971 の翻訳版
 2) Paul Hawken 『The Ecology of Commerce 』HaroerBusiness、1994
 3)4) 森孝之『「想い」を売る会社』日本経済新聞社、1998
U−1)2)3) 森孝之『「想い」を売る会社』日本経済新聞社、1998
V−1) Paul Hawken 『The Ecology of Commerce 』HaroerBusiness、1994
 2) HEWS WEEK 日本語版、1993年2月18日号
  3)4)9)10)11) 森孝之『「想い」を売る会社』日本経済新聞社、1998
 5) Alan Reder『75 Best Business Practices for Socially Responsible Companies 』Tarcher/Putnam, 1995
  6) Council of Economic Priorityの略。企業が何に優先度を置いて経済活動をしているのかを監視し、公表していることで知られる機関
  7) Business Ethics 1996年 5/7月号
12) 1892年設立、アメリカの環境保護団体、会員数57万人会費収入5060万ドル、1994
13) 森孝之『このままでいいんですか もうひとつの生き方を求めて』平凡社、1994
 14) 森孝之『ブランドを創る 商標・サービスマーク育成の精神』講談社、1992
W−1) 世界最大の民間消費者団体“全米消費者同盟”が発行する月刊誌。広告、助成金、献金を一切受け付けない。究極の目標を消費生活全体の質の向上においている。
  2) 全国消費者団体連絡会『これからの消費者の権利』生活ジャーナル、1987
 3) 野村かつ子『たたかうネーダー』生活クラブ生活共同組合、1989
 4) CEP 『RATING AMERICA'S CORPORATE CONSCIENCE 』Addison Wesley、1986
  5)14)森孝之『「想い」を売る会社』日本経済新聞社、1998
  6)7)8)10)13) 森孝之『ビブギオール・カラー ポスト消費社会の旗手たち』朝日新聞社、1988
  9) 小野二郎『ウイリアム・モリス研究』晶文社、1986
11) アーサー・ケストラー『機械の中の幽霊』日高敏隆他訳、ペリカン社、1969
 12) コリン・ウイルソン『至高体験 自己実現のための心理学』由良君美他訳、河出書房新社、1979
15) 森孝之『人と地球に優しい企業』講談社、1990
X−1)5)6)7)12)13)15)森孝之『「想い」を売る会社』日本経済新聞社、1998
  2) D.A.ノーマン『誰のためのデザイン』野島久雄訳、新曜社認知科学選書、1990
  3) アーサー・ケストラー『機械の中の幽霊』日高敏隆他訳、ペリカン社、1969
  4) 森孝之『ビブギオール・カラー ポスト消費社会の旗手たち』朝日新聞社、1988
  8) 佐口七朗『新版 デザイン概論』ダヴィッド社、1984
  9) 私の部屋『BIESE 』婦人生活社 連載エッセー『庭宇宙』など。
  10)14) 本学教育紀要第2号『環境教育補助施設・「エコハウス」の試作とその理念』
  11)日本経済新聞1977年1月3日号、『私の部屋』婦人生活社 100号記念号、1988。浜 田久美子『森をつくる人々』コモンズ、1998など。
Y−1) 森孝之『「想い」を売る会社』日本経済新聞社、1998
 2) 森孝之『人と地球に優しい企業』講談社、1990
  



ライフスタイルコンサルタント 大垣女子短期大学学長
森 孝之

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