ロンボク島の子ども

毎年冬になると、電気も水道も、電話も新聞もないインドネシアの村を訪ねた日を思い出す。バリ島と狭い海峡一本で隔てられたロンボク島にその村はあった。

ヒンズー教徒のバリ島から回教徒のその島に移ると、まるで極彩色の世界からモノトーンの世界に迷い込んだような印象をうけた。

リンジャニという火山のふもとにあったその村は、何百人かのササック族が穏やかに生活していた。犬や鶏はいたが、エサやりはしないし小屋もない。女が家のそばでしゃがみこんで調理を始めると、犬や鶏が集まってきて調理クズをあさる。そのフンは小さな甲虫が片付ける。村にはごみ箱はなく、熱帯なのに腐臭もなかった。鶏は朝食の目玉焼きや、夕食のサテと呼ぶ焼き鳥となって役立ち、犬は野獣などから鶏や村人を守ることで、存在価値を示していた。

村人は谷川の水で生活していた。水運びは子どもの役割とみえ、水遊びの後は水ガメを頭にのせて坂道を運び上げていた。トイレもその水で尻を洗い、紙を使わない。行水は谷川でとる。女は川上の茂みの陰で、男は川下の木漏れ日の下でとる。

ある日、用意していた鉛筆や画用紙などを持って村の小学校を慰問した。先生はその場で子どもたちに配り、早速絵の時間となった。

大喜びの子どもたちを見て同行の友人が驚いた。日本の子どもはキャラクターや色数を競うかのように様々な鉛筆や筆箱を持っているが、村の子どもたちは同じクレヨンと画用紙に狂喜している。

もちろん友人はこんな差に驚いたのではない。全員が同じ六色クレヨンを使いながら、描き出した絵がことごとく異なっていることに驚いたのだ。幾人かが太陽を描いたが、太陽も、黄色、赤、オレンジ色と色や形がそれぞれ異なっていた。友人は、日本では逆に、描かれる絵はお互いにとてもよく似ているという。

ことごとく異なる絵を描く子どもたちを見ているうちに、私は人間の偉大さとか尊厳のようなものを感じてしまい、彼らが貧しい人たちとは思えなくなった。むしろ日本のもたちの方が心配になった。日本では冷暖房の下で、子どもたちにさまざまな教育を授けているが、そうして身につけた能力や習慣は二十一世紀でも役立つのだろうか。

役割をこころえ、他の人と争わず、自然と折り合いよく生きながら、めいめいが異なる絵を描くこの村の子どもたちと日本の子どもたちは、仲良くやっていけるのだろうか。

朝日新聞関西版 コラム『くらし考』 連載より 1996年2月10日


21世紀型の子どもの育て方についてご興味のある方は『このままでいいんですか もう一つの生き方を求めて』(平凡社)と『「想い」を売る会社』(日本経済新聞社)をご参照ください。前者では「チャイルド・デベロップメント・センター」という章を設けて幼児教育に成功している実例を紹介しています。後者では「用途が決まっていないオモチャが子どもを育む」という見出しで、少壮の外交官が子どもの教育のために立ち上がり成功している実例を紹介しています。

ライフスタイルコンサルタント 大垣女子短期大学学長
森 孝之
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