ベトナム、ああベトナム

近年、環境問題がかまびすしいが、これは文明の問題だ。昨今、消費不況が叫ばれているが、これは現文明に対する人々の潜在的な疑問や不安が形となったものと見てよいだろう。この兆候は、とっくの昔からファッション面に現れていた(拙著『ビブギオールカラー=ポスト消費社会の人たち』朝日新聞社一九八八ではファッションの大逆転・大逆流として採り上げている)。

ファッションは都市現象であり、人々を「躍起」にするが。これは、少し早めに取り上げると「突飛」になり少し遅れると「野暮」になるようなあやふやな価値である。だが文明は、人々をそうしたいい加減な価値で酔わせてしまう魔力を持つ。この魔力から自力で抜け出すだけの「大進化」をとげる人が増えないかぎり、環境問題はらちがあかないはずだ。つまり、生き方自体を変えずに、恐竜のように大きくなるだけのような「小進化」を続けているかぎり、環境問題は悪化の一途をたどるだろう。求められていることは、爬虫類から哺乳類へといったような生き方自体を改める大進化だ。

産業革命以前の第一の文明は、人が人を搾取していた。現・第二の文明は、人が自然を搾取している。ぼつぼつ生き方自体を改める進化をはたし、第三の文明に移行しなければならない。こんな思いが、私の足を東南アジアに向かわせる。このたびのベトナム旅行もその一つだった。

ベトナム戦争では「誰が誰に勝ったのだろうか」。これはクチの地下トンネルを見学した時の第一印象だ。米軍がついに陥せなかったトンネルは映画『プラトーン』を連想させたが、現地案内人は英語を使い、土産物はすべて米ドル表示だった。

ホーチミン市は観光客であふれ、大勢の人が観光客相手に食っていた。市街はTシャツやコカコーラに占領され、アオザイは観光客相手の女性の制服に成り下がりつつあった。もちろん観光客などに脇目もふらない人も多い。市街の道という道は四六時中、脇目もふらず、片言も喋らず、にこりともせずに急ぎ足でオートバイや自転車を駆る人であふれていた。彼ら「いったい何処に向かって走っているのだろうか」。

第三の文明のヒントを模索していた私の目に、ついにベトナムでは焦点が定まらなかった。ベトナムは、どのような建国を試みているのか。欧米が自ら疑問視し始めている第二の文明を、国をあげて採り入れようとしているのではないか。それでは金色夜叉の国になってしまうだけなのに。

『古都SANZAN』1994年1月25日号 巻頭言

ライフスタイルコンサルタント 大垣女子短期大学学長
森 孝之
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