「冬の準備」・・・「猪を逃した」のつづきです・・・01/08/31

 サンクンガーデンには雨除けのコーナーがあり、薪を積み上げています。冬の薪ストーブに使うためです。そのコーナーまで櫟林から薪を未花夫妻に運んでもろい、私が積み上げようというわけです。薪は、この春に伐採した櫟(クヌギ)を割ってつくったものす。それは例年の行事ではなく、特別の作業でした。

 この檪林は、40年余り前にあることがキッカケとなり、資源枯渇時代の到来を予測して苗を植え、育ててきました。燃料やシイタケを栽培するホダ木に使うためです。太いのは直径が40センチメートル余りにもなっており、背丈は15メートル前後に達しています。同じ時に同じような苗を植えたのに、直径が10センチメートルにも満たないのも混じっています。

 これまでは、太く育ったものから順に間引くようにして根元から伐採し、薪やシイタケのほだ木として使ってきました。櫟は、根元から伐採しても、樟や杉などと同様に株の脇から新芽を吹かします。松や檜は切り株から新芽を吹くようなことはありませんが、櫟は最も見事に再生する木の好例でしょう。しかも、種や苗から育てるより、根が既に張っていますから育ちが早く、10年か20年で立派に再生します。

 だがこの春は、根元から切るようなことはせず、太い木の上部を切り取るという初めての試みを採用しました。だから手入れをした直後は丸太っ棒がつっ立ったような惨状となり、多くの人を驚かせました。私にとってはとても大切な老後への備えであったわけですが、中にはこの惨状を見て嘆いた人がいるに違いありません。

 私の体はまだ思ったように動きます。その内に太いのを切り倒し、薪として生かしたい。それを備蓄材とし、あとは少しずつ間伐材をたしていくようにすれば、私たち夫婦が残る生涯の風呂やストーブに必要とする燃料ぐらいは賄えるのではないか、と考えたわけです。また、この檪林は、友だちを招いて木陰でガーデンパーティを開き、湯豆腐やバーベキューをする場所として生かしてきました。だから、根本から切り倒し、再生するまで10年も20年も待っているわけにはいきません。できることなら翌年からでも木陰でパーティを再開したいと考えたわけです。そんな訳で、初めて試みる手入れの仕方を採用したのです。もちろん、同じときに同じように苗を植えたのに、成長が遅れ、日陰にされるようにして萎縮していた木はそのまま残しています。だから今は、一番恵まれた条件下にあり、太陽の光をシッカリと受け止めています。

 あれから5ヵ月が経過していますが、頭を切り取られた木もすでにたくさんの新芽を出しており、そうとう伸びています。まだ一面を木陰をするまでにはいたっていませんが、丸太ん棒のような惨状に驚いた人たちに感動して頂けるぐらいに繁っています。この秋にでも木漏れ日の下で湯豆腐パーティでも開きたいものです。

 もちろん薪積みは完了しました。薪運びは妻も手伝ってくれましたので前日の間に済みました。積み上げは翌朝にずれ込みましたが、無事に終わりました。

 きっと未来は、この秋のアイトワの喫茶店が超多忙になる頃にも手伝いに来てくれるかもしれません。その時は、この薪をストーブに焚いて暖まってもらいましょう。

サンクンガーデンの一角にある薪を積むコーナー。雨の日の花車の避難場所にもなる。
花車は、後日ご紹介します。
積んだ薪は、太いのや細いのが混じっている。焚き付けるときに細いのがいる。火がつくと太いのをトロトロと燃やす。細い木にドライフラワーなどを吊している。
箕(み)は、戦中戦後、亡き母が家族を支えるために農業をしていたときに使っていた。
その下の輪っかは、杏の枝で作ったもので、リースの台になる。



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