新しい年の準備 05/01/01

 年末恒例のアイトワ塾のパーティーを思い出すことから一週間が始まったようなものです。塾生の一人から狐の化粧をした中学生もうまく収めた写真が届けられたからです。それは、2月に開催予定の妻の人形教室展が「祭り」をテーマにしており、その一つに狐の面をかぶる大分県姫島の盆踊りが取り上げていますから、その真似をしたのでしょう。

 週の前半は「こんなことがあっていいのか」と思わせられる嬉しいニュースや悲しいニュースが重なりました。インド洋大津波はその一番悲しくて大きないニュースでした。昨夏、スリランカを訪ねましたが、投宿したゴールのホテルも直撃されました。案内してもらったスリランカの人はかつて阪神淡路大震災を体験していますが、それをはるかにしのぐ大災害だと語りました。やがてメディアがそれを明らかにして行きましたが、その過程で「ツナミ」が国際用語だと知りました。一番嬉しかった有り難いニュースは、朝日新聞の「この一年の収穫を総ざらい、書評委員お薦め『今年の3点』」に『次の生き方』が取り上げられたことです。

 何十年ぶりかで鶏の解体をしました。青森のシャモロックをいただいたのですが、内臓まで取り除いてあったのに、悪戦苦闘でした。中学生の頃は2時間もあれば一人で絞めるところから始めて内臓の掃除までし終えていたはずですが、妻と二人がかりで2時間もかかりました。わが家では、小学1年生の私が担当で20羽の鶏を飼い始めていますが、中学生から解体まで受け持っています。

 29日はアイトワ塾生の一人が今年も青竹をとりに来ました。彼は、京都の歴史の一つ、義経が奥州に門出する前に旅の安全を祈願した首途(かどで)八幡を掘り起こして来ましたが、正月9日から始まるNHKの大河ドラマの関係で忙しくなりそうです。過去の一年は「新撰組」の関係で、別の京の友が観光客の対応におおわらわでした。夕刻、門扉のチャイムから「お蕎麦を届けに来ました」と聞きなれた声が流れました。なんとアイトワが開店した当時から知り合い、親戚付き合いになった長野のご夫婦でした。奥さんのご母堂がわが家の分として漬けて下さった「野沢菜」が樽ごと届けられたのです。二人は、道中は雪とかで、お茶だけ飲んで取って返しました。

 30日は恒例のお餅つきと40年近く続けてきた注連縄造りの日でしたが、雑誌『森のクラス会』も届きました。注連縄造りを一緒にした人たちに、突きたての「きなこ餅」や「おろし餅」を配りながら、未来世代はこの半世紀をどのように評価するのだろうか、と考えました。きっと掘り尽くした鉱山跡や汚れた海とか異常な気象、絶滅させた野生生物の痕跡や戦争の傷跡、見失った文化や残された膨大なゴミなどを掘り起こしたり分析したりしながら、それらが豊かさや幸せを追求した結果だと知り、愕然とするに違いない、と考えてしまったわけです。

 大晦日は、ミゾレで明け、やがて雪になりました。「早く庭掃除をしておいてよかったね」と妻と語らいました。年末の庭掃除に励んだ一週間でもあったからです。特に檜林がきれいになりました。連続して襲った台風のあとは風呂の焚き付けにする小枝を拾っただけで放っていましたから、庭掃除の袋に7杯分もの小枝がとれました。杉や檜あるいはモミジの葉は堆肥にせず、燃やして灰にしますから、山のような熾(おき)ができました。その山に2日にわたってサツマイモを入れましたが、それは見事な焼き芋ができました。妻は日の菜の収穫もしています。

 一年の最後は、妻はお節料理を造り、私は風呂を焚いてお鏡餅を飾りつけ、二人で長野の年越し蕎麦を食した上で風呂につかり、除夜の鐘に耳を傾けました。その直前に、昨年を締めくくるにふさわしいギフトが届き、私は今一度畑に出ていますが、それは次回に記します。かくして新しい一年を迎えました。その迎え方も次回に回します。


アイトワ塾恒例の年末パーティーの様子です。かつて写真に凝った時期があったと聞く塾生の財木さんが、当夜の写真を楽しい絵葉書に仕立てたものです。その夜の彼のカメラは、鉢植えや壁飾りや庭木などの様子まで収録していました。写真をクリックしていただければ、狐の化粧をした子もくわしく大きくなりご覧になれます。

パンの缶詰「カンカンブレッド」です。「災害用だろうか、こんなものをもらった」といって先週投宿してもらった友が取り出し、置いて帰ったミルククリームパンの缶詰です。「被災者にとって、本当にありがたいモノだろうか」「カンパンで十分じゃないか」などと語らいましたが、そのときはまだスマトラ沖地震やインド洋津波などの天災など考えもしていませんでした。
1962年の東京品川駅前、第一京浜国道です。私が社会人になった年の写真が、ほのぼのとした雑誌『森のクラス会』に掲載されていました。40年後の今を繁栄とすれば、それは貧しい国の人々の心まで貧しくし、未来世代にとって不可欠のきれいな水や空気まで汚させたことになります。その過程で、気に食わぬ国ならあらぬ疑いをかけてミサイルまで打ち込んでよい風潮まで蔓延させました。
人災をテーマにした『次の生き方』が晴れがましい評価を受けました。いつ起こるか分からない天災も怖いものですが、このままでは必ず起こりうる人災に対して手をこまねいているのも怖いことだと思います。緩慢なる自殺行為か、強国のありようは横暴な皆殺しのように写ります。こうした生き方を改め、もっと心豊かで幸せな次の生き方に踏み出したいものです。
詳細は、写真をクリック
して下さい

野小屋に初めてホーム炬燵を持ち出しました。六戸(ろくのへ)の冷凍したシャモロックと九州から届いたサザエを生かし、急遽つのったメンバーとパーティーです。シャモロックとは青森原産のシャモとブリマスロックを掛け合わせた品種で、シャモのきめが細かい赤身とブリマスロックの肉質を特徴としています。この一羽は、5人の子持ちの友にもお裾分けできました。

注連縄作りの光景です。この焚き火にもサツマイモをいけました。私の造った注連縄が一番こぎれいでしたが、初めて造った人の非対称型の注連縄の方が動きがあって力強く、ずっと魅力的でした。その注連縄を作った人も、次第に店頭でも買えそうな代物に近づいて行くのかもしれません。写真をクリックしていただければ、注連縄作りのことをもう少し詳しく述べています。

広縁の軒先に出来たツララ(?)です。2004,12,31 11:10、妻に教えられてカメラに収めました。広縁のガラス屋根に積もった雪が、ずりさがってできた自然の芸術です。黄色い葉は、夏にガラス屋根をおおって日陰を作ったスモモの葉が、冬は温室にするために落ちたようなものです。来夏もよろしくお願いします。