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人間の解放 05/01/10
元旦は曇天で明けましたが、何十年来の迎え方をしているうちに日が射してきました。ですから、年始の人との語らいの他は、居間で日向ぼっこをしながら賀状で分かった知人の消息に思いを馳せたり、新聞で知るインド洋大津波に心を配ったり、『今がいちばんいい時よ』というターシャ・テューダーの本を読んだりして過しました。夜は見事な星空で、冷え込みそうでした。
89歳になったターシャの本は、妻宛の大晦日のギフトでしたが、私にも興味がありました。わが家ではかつて数人のホームステイを受け入れていますが、ターシャと同じくニューイングランド出身の人たちでしたし、この地域には素晴らしい企業がたくさんありますから幾度となく取材で出かけています。このたびの大統領選では、この地域緒州はケリーを支持しています。ブッシュを支持した南部とは奴隷解放問題で争った南北戦争いらい仲が悪いのではないでしょうか。
二日の朝は、案の定凍てついていました。このところ毎日のようにポッポが同伴でやってきます。ポッポと同じぐらいの大きさの雌は、まだわたしたちを警戒していますが、怖がりではなさそうです。ポッポ夫妻への餌やりのあと、電話番をしたり年賀状の返事を書いたりしていますと、2時過ぎに畑に出たくなりました。おかげでなまりかけていた体を喜ばせましたし、アカイモやヤーコンなど残っていた寒さに弱い作物を掘り出せました。年末からの鼻かぜもこれで快方に向かうでしょう。台湾から結婚式に出てほしいとの電話や、二児の母となった教え子の年賀状とかホームステイの長女から「夫が『tenure』になった」との手紙など、嬉しい知らせが続きました。
三日の午前は年始の人たちとの歓談に割き、午後から庭に出てミカンの収穫をしたり薪小屋から風呂の焚口まで薪を運んだりして過しました。風呂を焚き上げるまで2時間もかかる時期ですから、薪を一番多く必要とします。夕食は元日も一緒だった友を交えてとりましたので、お節料理は三ガ日で片付きました。年賀状の印刷技術を習得するために来てもらったのです。
四日の火曜日は、今年最初のアイトワの定休日でしたから、妻と一緒に庭に出ました。しかし、柑橘類に寒冷紗をかける段になって樹が思ったより大きく育っていたことが分かり、また福井から急な来客もあり、午後は別行動になりました。妻は工房で新たな寒冷紗の袋を縫うミシンかけに、私は小雨が降り出しましたから温室で島津鉢のサクラソウの立て直しに当たりました。島津鉢とは、私たちが勝手に命名した植木鉢ですが、その4つからなる鉢の土替えです。
五日と六日の両日は失策が続きました。私は、五日の夕食時に妻から「結婚記念日でした」と教えられるまで今回も失念していました。六日は妻の失策で、七草粥を1日早く食することになりました。電気炊飯器のセットを間違い、生煮えの米を粥にする必要があったのです。これらはささやかな失策ですが、大阪に出た五日は、百貨店業界の大きな失策を今年も目にしました。また2日から店を開き、売上高が減少傾向なのに営業日数を増やす旧態依然たる戦術を展開していたのです。それは悪循環の加速です。『次の生き方』では、工業社会が可能にした人間の欲望を解放する装置として誕生した百貨店は、選り好みする消費を人間の解放と誤解させるその役割を返上し、個性の発露を促す創造の喜びに覚醒する「人間の解放装置」として生まれ変わる必要がある、と訴えています。さもなければジリ貧で終わることがいずれ明らかになるでしょう。
大阪に出かけたのは、一昨年の夏に夫婦で四国に招かれたことがある商社時代の先輩の奥さんが、大阪で小さな集会場を完成させたからです。その生かし方について一役買ってほしいと頼まれました。週の後半は雨がちでしたが、専門学校や地域開発研究チームからわがエコライフガーデンの見学を希望する声が続くなど明るい気分になりました。かく新年は明けました。
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大晦日の雪景色です。霙(みぞれ)が雪に変わり、あれよあれよと言っている間にボタン雪になり、瞬く間にこの景色です。居間から眺めた光景ですが、楽しい昼食でした。右手に見えるスモモは、小さな苗から46年でかく育ったわけです。この24時間後の元日は快晴でしたし、その夜は見事な星空でした。
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大晦日に届いた妻宛の贈り物です。手作りのケーキは、元日にナイフを入れ、居合わせた友にも味わってもらいました。Oh!デリシャス。こうしたケーキを焼ける人がいるご家族は幸せでしょうし、わが側に居合わせた友もラッキーでした。本は妻の憧れているターシャでしたから、おせち料理を煮ながら妻は立ち読みをしていました。
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雪の大晦日に掘り出したヤムイモです。ターシャの好物です。これが昨年最後の畑仕事になりました。イノシシに襲われながら完全に枯れなかった蔓があったのですが、その根元には手前のような小さな複数のイモが入っていました。今年の夏はこれも種イモにして育てます。普通は、奥のイモの右側4分の1ほどを切り取り、残しておいて種イモにします。
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元旦は、洗面を済ませた後で最初に、この神棚にお灯明を上げることから始まります。両親が所帯を持った80年ほど前に新調した小さな神棚ですが、これまでに5回の宿替えをしています。わたしは「山川草木悉皆成仏」の考え方を大切にしていますから、この前で一年の安寧を願います。下記の項目をクリックしていただくと、わが家の元旦の迎え方に触れていただけます。
産経新聞1月7日と写真
その写真の説明
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島津鉢です。壁際のコーナーを飾る鉢として売っていましたが、それを4つ買い求め、アイトワのオープンカフェに入る階段の手前に円形に並べて飾っています。植えている六甲サクラソウは、本来は毎年仕立て直すべきですが、わが家では2〜3年に一度しか土替えを伴う植え替えをしていません。
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教え子などの知らせは嬉しいものです。「先生の講義は子育てにも役に立っており、ノートを開いています」との二児の母の賀状もありました。Tenure(テンニュアー)とは、博士号をとってから大学に雇われて約6年間、学者としての力を試され、与えられる資格です。まず著書や論文を出せるか、次に上手に教えられるか、そして委員会などで大学に貢献できるか、という3点から評価されて与えられる、いわばプロフェッサーとしての終身雇用保証です。
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葉を残したまま満開となった蝋梅です。この20年間でこうした現象は初めてです。写真をクリックしていただくと、13年前に消え去った先代の蝋梅のことに触れていただけます。異常気象はいやですが、私たちが新たな幸せや豊かさを求めて『次の生き方』に移行すれば、自動的に復元するでしょう。もっと切羽詰まるまで消費の喜びにそれらを見出す生き方を手放さず、強制的な規制が必要になるまで待てば、中世のように復元には長い長い年月を要することでしょう。
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