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秋田とヤブツルアズキ 05/10/10

 なぜ夜行列車なのかと思いながら東能代に出向き、愉しい体験をしてきました。寝台特急が東能代に停まるという理由だけではなかったのです。小雨が降る「風の松原」の散策から始まる愉しい観光が待っていたのです。最後は時間がなくなり、生態系公園では宿泊も可能な施設を見学するだけで終わりました。夕食は隣町の大館が発祥の地という「きりたんぽ」で、訪ねた日からシーズンに入ったと聞きました。地鶏とマイタケがよい出汁になるようで、食べ過ぎました。地酒もおいしかった。晴れておれば遠望を楽しむコースであったとか、気になります。

 夜行列車は前回乗った学生時代の3段ベッドとは違って2段でしたが、3つの想いにふけりました。まず往路で、上のベッドの青年に心を打たれました。先に秋田で去りましたが、丁寧に夜具をたたむなど凛としていたのです。帰路は、これが生涯最後の寝台車か、と思いながら乗り込み、バリ島でのテロに心を痛め、過去を振り返っています。夜半に目覚めた時は、人形創りのために7年も前から青森からアイトワに寝台車で通う女性に想いを馳せました。まどろみながら日常から非日常へ、あるいはその逆へと切り替えたわけですが、飛行機では体験したことがない何か刻々と迫り来るものを感じたのです。帰宅すると、3日空けただけなのに野菜が見違えるほど大きく見え、餌をやる金魚やメダカに挨拶をしたくなっています。キンモクセイは5日から咲いたとのこと。

 週の中ほどから雨がちでした。その間に3度ばかり陽光が半日ほど射しており、冬野菜は喜んでいました。晴れ間を見てオクラとハナオクラの跡を立て直したり砂利敷きのパーキングの草を抜いたりしています。妻には白菜の苗の植え替えと花菜の種まきをさせました。花菜の新芽は美味しいのか、妻が先にまいた分はすっかり虫に食われてしまったのです。妻は来年3月の個展を控えて人形創りに没頭していますが、種まきなど生きる営みの節目だけはキチンと関わらせたいのです。それが人を、足元のしっかりした生き方に誘うはずだ、と私は睨んでいます。

 雨が降り始めると屋内に引っ込み、温室仕事やワークルームでの大工仕事だけでなく、講義の準備もしています。来週から始まる講義の準備、森の囲炉裏場にある囲炉裏を覆う屋根の下ごしらえ、オープンテラスにある花車をリフレッシュする下準備でした。夜間は、送られてきた著作や報告書を読みふけったり、雨のやみ間に採っておいたフウセンカズラやヤブツルアズキの種を鞘などから出して干す準備をしたりしています。やっと泉の水位がもどりました。

 人が人を殺すテロはいただけません。なぜこのような悲惨なことが生じるのか、残念です。しかし私には思い当たる節があります。かつてバリ島に立ち寄り、デンパサールの海岸沿いの観光ホテルで不安を感じたのです。その不安が形となったような気がしてなりません。美しい景観に目をつけた大資本が、海岸まで買占めてしまい、それまで自由に出入りしていた地元の人々を締め出していたのです。儲けのためなら自然まで破壊しかねない人々が、自然を護りながら持続性がある生き方をしていた人々を締め出し、じわじわと追い詰めていたのです。

 かつてわが国は無謀な戦争を始めていますが、その戦争でさえ窮地に立たされると数千人の若者を自爆攻撃に追い込んでいます。侵略的なこの戦争に批判的な私ですら、今も特攻隊員には同情しています。いわんやテロを武力で押さえ込むことなど不可能ではないでしょうか。きっとアメリカは、やがて911を上回る戦死者を出し、恨みを先送りしただけに終わりそうです。暴力的手段についやす金や知恵をプラスに生かし、別の手を打つべきです。貧富の格差をなくすか、経済的侵食を控えて相手の文化を尊重するか、そのいずれかにしか平安の路は開かれないと思います。それはともかく、この週末にコカブを初収穫し、お揚げと煮てもらって味わっています。


「風の松原」です。この「日本三大松原」の一つは、一人の偉人が身上をなげうって植林したもので、塩混じりの砂嵐から街を救いました。かつてはキノコの宝庫でもあったようです。傘をかざして少し松原を散策したあと、「ねぶながし」の様子を垣間見ることができる資料館などを訪ねています。

「さなし」です。リンゴの原種だと聞かされました。大覚寺の華道、嵯峨御流が打ち出した「ニッポンを生ける」プロジェクトの一環、環境保護活動を推進するシンポジュームに呼んでもらえたおかげで触れることもできました。ナンテンの実ぐらいの小さな実ですが、口に入れてみて「なるほど」と納得しました。ついでに姫リンゴの実もかじってみましたが、よりいっそうリンゴの感触でした。

翌日の夕食会の会場は国の有形文化財で、「木都」能代の繁栄を後世に伝えるために立派な木材をふんだんに用いて建てられた料亭でした。このイタヤカエデの床柱があった150畳の大広間には、畳1枚大の一枚杉板を組んだ変形格天井がありました。「木都」能代躍如といったところです。かつて勤めていた短大のあったところは「水都」大垣でした。
先週は東京から、今週は京田辺と東京と香川から愉しいものが届きました。ベテラン記者が大学で繰り広げた特講の収録。教員生活を振り返った哲学者の人生記。深刻な癌を乗り越えて企業の社会的責任をテーマに博士となった友が関わった報告書。それに、すでに腹に収まってしまったゴーヤのジャムなどです。日曜菜園の熟れたゴーヤを捨てずに、商社時代の先輩の奥さんはバジルの葉を生かしたりしてジャムにしたのです。
今の花車です。中央の赤い草は、庭で自生するようになったホウキグサです。なるべく庭で自生する土地柄にあった植物で飾ろうとするのですが、自生させるには数年の歳月を要するのが通例ですから、つい手軽に買えるホビーショップの花にたよってしまいます。土地柄に合わない不自然な花に惹かれる心もあるようです。

妻が植えたマクワクワが実をつけました。タイの奥地で気に入って植えつけた一種ですが、マクワクワはヘチマの一種か、ヘチマそのものかもしれません。これからが楽しみです。同時に播いたクウシンサイはもうすぐ食べられそうです。

カウピーの種も間もなく取れそうです。ヤブツルアズキは蔓からぶら下がりましたが、カウピーの豆(鞘)は牛の角のよう天空に向かって立っています。ともにアフリカの野生のマメですが、アフリカ原産のスイカのように、いずれは改良されて大粒になるのかもしれません。