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自然、疎外と共生 06/08/20

 宮津では「丹後海と星の見える丘公園」が開園しており、その管理に地球デザインスクールが当たっていました。公園には旧来の都市公園の手法、自然を疎外する手法が色濃く見られ、このまま維持することは無駄、と見ました。世界は今、自然と共生し、持続可能な社会の創出を求めています。とりわけ資源小国の日本は創造的な生き方が求められており、京都はそこに誘う公園を目指すべきでしょう。この時代の節目をどれだけ正確かつ迅速に地球デザインスクールの皆さんが見てとり、管理面でデザインし直してゆくか、それが課題だと見ました。

 こどもの森センターの一帯では広大な範囲の自然が削り取られ、芝が張られていました。その側にわずかばかりの湿地が残されており、そこに吸い寄せられました。世界で最小のトンボが世界で最も短い名称の草の間を舞っていました。いつまでこのトンボは生息できるのか、と心配しながら「蓼食う虫も好き好き」のタデを探しましたが、見当たりませんでした。一角には菜園ができており、トマトなどが育っていました。この土壌でよく育てたものだと感心しながら、私ならまず菜園の側に水溜と腐葉土を運び込む一輪車道を作るのだが、と考えました。

 翌朝、スタッフにセミナーハウスでスピーチを求められ「よくぞここまでこぎつけたものだ」と感想を述べました。しかし、旧来の都市型公園で求められる喜びを提供するために日々真面目に努力していたら、やがては「真面目に不真面目なことをしていた」ことに気付かされかねない、と訴えました。いわば世界が植民地政策の終焉期と見始めた頃に侵略戦争に駆り出された応召兵のような立場になりかねない、との心配です。当時は、それにくみしないと非国民呼ばわりされましたが、今は個人の信念に基づいた言動が許されています。スタッフが、時代や立地をかんがみて、この公園の未来のあるべき姿を見定め、その創出を共有の信念とし、来園者の良識に訴えながらデザインし直してゆけば、大いなる成果を手に入れられそうだ、とも考えました。これまでの羽を伸ばす消費型の公園ではなく、人間の解放を目指す創造型の公園への転換です。

 日曜日の夕刻に帰宅し、翌朝は僧侶を迎え、棚経をあげてもらいました。今週はけっこう予定が入っていましたから庭仕事は優先順位を決め、水分はスイカで、英気は長野の友がおくってくれた半生ソバで得ながら勤しんでいます。ソバの薬味に、植えたばかりのネギ苗を生かしたのですが、過日(7月2日)「そうだったのか」と膝を打った時の心境を思い出しています。

 優先した庭仕事は、種を落とさせたくない野草の除草と、冬野菜の畝を用意することでした。除草は、一番東側にあるパーキング場に沿った畝などに手を付けました。木蔭になり野菜を育てにくくなっており、野草が茂っています。畝の用意は、トウモロコシを収穫したりトマトのフレームを解体したりした跡を耕し、先週耕したキャベツとネギの跡と一緒に腐葉土や肥料を鋤き込み、畝に仕立て直すことでした。まずブロッコリーとストックブロッコリーの苗を買い入れ、植えつけました。第3次のインゲンマメの苗は、キュウリの跡に妻が定植しました。

 この間に、中学生時代の同窓生と集ったり、3人会と呼ぶる商社時代からの友と恒例の場で一献傾けたり、ホームビルダーを目指す若い大工さんに来てもらって壁面緑化の補修をしてもらったり、世界の棚田を研究している学者を研究室に訪ねたりしています。妻は地蔵盆に関わっていました。庭では異常な花のつけ方をした草花が現れ、水槽では異常な生命力を示す水草が現れ、不思議な気持ちにされました。イワタバコが13日の日曜日から咲き始め、14日の棚経の時には菩提寺草と呼ぶ野草が色着き、15日からツクツクボーシが鳴き、ハナオクラが咲き始めています。このたびは台風が西にそれてしまい、ほんのお湿り程度の雨しか降らせませんでした。

「丹後海と星の見える丘公園」の一角にある「ゲストハウス」(中央の建物)。2段ベッド、4人詰めですが、30人ばかりが宿泊できます。グループで長期投宿し、公園の手作り作業に参画したいという人たちにはうってつけの公園でしょう。アイトワ塾の仲間とも訪ねたいと思いました。この仲間なら、この公園の春夏秋冬を観察したく思うに違いありません。
投宿した民家の玄関灯におびき寄せられていたトノサマガエルの子のごく一部です。数分で10数匹捕まえ、アイトワの庭に持ち帰り、泉の側(右)に放しました。アイトワの庭では旧来のカエルが近親交配しているかもしれませんので、お見合いをさせてやりたかったのです。

 

毎年、棚経を上げてもらう日は両親と同じお惣菜(左の中央)を口にします。棚経に合わせてスイカを買い求めましたが、これが4個目で、今年最後になりそうです。新婚当時は毎週1個は平らげていました。21年前の今頃、坂道を自転車で登っていた妻がよろけ、スイカを落として割る光景を目にしており、運転免許を取らせています。

 

育てるのは今年かぎりにしようと考えながら収穫したトウモロコシ。白くて短い方は中国雲南省の少数民族が主食にしていた品種です。その末(うら)成りを焼き、スートコーンやシルクコーン(生食できると)と食べ比べましたが、問題にならず、やはり「来年も作ろう」という気持ちにさせられました。
ボダイジソウが色づき始めました。何年も前のちょうど今頃、妻と一緒に父の里を訪ねましたが、その折に菩提寺の境内で見かけた野草です。記念に一株もらって帰ったところ、自生化すすまでになり、いつしか私たちはボダイジソウと呼ぶようになりました。
今年のお供え。妻は嫁いできた年の夏から、庭の野菜で地蔵盆のお供え籠を用意し、届けています。同じ籠を用いて、これが33回目です。ただいナス(わが家の畑では無農薬では育てられないので、長年育てていません)はいただきもの。サツマイモ(今夏は作らなかった)は買い求めたものです。

中学校の同窓生と一緒に、柚子で有名な水尾を訪ね、ひと風呂浴びてカシワのすき焼きをつつきました。この集いは、今は農業に従事する一人の恩師を囲む会です。23歳の体育の教師(右)は熱血漢で、13歳の私達にゲンコツの雨を降らせました。初めて参加した友が、母が昭和26年まで畑仕事をしていたことを確認させてくれましたが、近く訪ねてもらえそうです。