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アイトワ循環図

CATをお迎えした 06/09/24

 好天の日曜日はテラスで陳夫妻とサンドイッチを楽しむことから始まり、金曜日の昼過ぎに庭の見学者を送り出すまでの間は、ほんの2時間ほどを除き、庭仕事に手をつけることができませんでした。月曜日の昼過ぎから火曜日の夕刻にかけては、岐阜県で保育園と幼稚園の一貫経営をする知人の依頼で講演に出かけましたし、翌朝から木曜日の夕刻にかけては、今度は西に向かって出かけ、顧問先で会議や勉強会とか懇親夕食会に当てたためです。

 もちろんその間に延べ2日ぶんほどの在宅時間がありましたが、ほとんどの時間を講演や顧問先を訪ねる準備に当てています。陳夫妻を迎えながら、それができたのは、日曜日の朝食後は陳夫妻に2人で近隣を散策してもらい、午後は昼食の後、アイトワ塾生の1人が2人を市内に連れ出してくれたおかげです。このアイトワ塾生は講演用資料を作るために来てくれていたものです。畑仕事に割いた2時間ほどは月曜日の午前中でしたが、いつでも苗植えや種まきが出来るように畝を2つ仕立て、わが家で育てたブロッコリーの苗を植え、春菊の種まき、ネギの畝の肩にコーヒー滓をまき、囲炉裏場の灰をとって竹やぶにまいています。あいにくその時だけ雨が降り、ぐしょ濡れになりました。その夕刻、ホウレンソウの種を水につけています。火曜日は、夕刻の5時過ぎに帰宅し、6時から来客を迎え、夢を聞かせてもらい、お手伝いをする約束をしています。

 東での演題は「時代は自然との共生 今、親に出来ること」でした。幼児や園児が成人する頃の社会を頭に描きながら、自らの体験や海外の事例などを交えながら、時代がどのように変わろうが不変である自然の摂理、不易と流行でいえば不易の大切さを訴えました。記憶力に偏重する受験対策型教育の早期スタートではなく、子どもがそれぞれ持って生まれている潜在能力を触発し、創造能力を育むことに幼児期は生かすべきではないか、との呼びかけです。

 私は、昭和20年の春から夏の終わりにかけての体験を鮮烈に覚えています。春一番に山菜取りを通して伯母から授けられた自然に対する畏敬の念。入学した尋常小学校の校庭で見た上級生に授けられていた軍事教練。2学期の最初に手をつけた教科書の改訂、いたるところを墨で塗りつぶす作業など。その目で見ると、今の日本の教育はネオ軍事教練に見えます。工業社会が推し進めた経済戦争の要員用軍事教練です。その工業社会が早晩破綻するように見ています。

 西での会議や勉強会は、100年後の人たちに「さすがは」と言ってもらえるような企業になるための努力です。もちろん私にも100年後が見えているわけではありませんが、その方向は見えているつもりです。それは一連の拙著で文字にしていますから、会議では『「想い」を売る会社を』の「想い」を明らかにすることに、勉強会では『次の生き方』の理解に力を入れています。要は方向を定めて船出をし、もし拙著が示す方向に狂いがあれば直ちに舵を修正しよう、と呼びかけています。利益を目的にして、あてどもなくさまよう航行のような経営は危険でしょう。

 金曜日は地球デザインスクールの内藤理事長の紹介で、CATのピーターハーパーさんを見学者として迎えました。ハーパーさんを招聘した京都の有名大学の教員が、20名余の研究者や学生を引率してくださったものです。アイトワの庭は、@古人の知恵と近代科学の成果を巧みに組み合わせて、A日々の太陽エネルギーの範囲内で成り立つ循環型の生活を考案し、B生活の営み自体を芸術化することによって豊かさや幸せ感を得ようとしている、と伝えました。

 土曜日の午前は、友がお彼岸のたびにご母堂が造られるオハギを届けてくれましたので、午後は別の友が相談事で訪ねてくれましたので、お茶の時間を一緒にしました。ホウレンソウの種をまいたり草抜きをしたりひと畝耕したりと、久しぶりで多くの時間を庭仕事に注ぎました。

久しぶりにテラスでの朝食を陳夫妻と楽しみました。今回も初めて味わうサンドイッチがありました。妻はありあわせの食材でそれなりの料理をしますが、今回も好評でした。それぞれの食材の性質や性格を妻は推し量って作るようですが、試食もせずに食卓に乗せる度胸にはいつも驚かされます。
マンダラゲの花が庭で咲いています。チョウセンアサガオとも呼びますが、有毒で、この花から華岡清洲は世界で最初の麻酔薬を造り、妻の乳癌手術に成功したとか。
講演会場は木材はもとより岐阜県産の素材で作られていました。会場には母親や保育者に混じって、顔見知りが駆けつけてくれました。応援団のように感じられて、とても心丈夫でした。もう1泊して一献傾けるように誘われていましたが、翌朝の西に向けての出張を考えて避けましたところ、美酒を土産に持参してもらいました。
幼児は親を真似ることを遊びにします。だから、子どもたちが立ち向かう未来型の生き方を親ができたら最高の「親切」になることでしょう。それにしても、どうして親を切るとか深く切ることが「深切」になるのでしょうか。幼稚園の窓からのぞいた保育園の玄関。
庭巡りを済ませたあとのスナップです。熱心な見学者でした。通訳を通した説明になりましたが、同好の士が相手でしたから、とても楽しい時間となりました。いただた志納金は、アイトワ基金に積み増しました。
アマガエルを妻が、旧玄関のドアーの側で久しぶりで見つけました。壁などの色彩に似せて上手に変色していました。かつては夕刻になると、門扉灯の周辺などで、餌を求めて集まってくるアマガエルを幾匹も見かけたものですが、近年はすっかりご無沙汰でした。

今年もマクアクワを賞味しました。私たちより広い畑を作るようになった義妹夫婦が届けてくらました。炒め物などに用いるととても美味です。