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偶然と創造の融合  08/01/06

 ありがたい年末年始でした。暮れは工業文明の破綻を視野に入れた経営者との出会いを振り返ったり注連縄造りでお爺ちゃんの心境を味わったりしましたし、新年は早々から親父気分で外出したりポスト工業社会への夢を膨らませたりしたのです。

 30日は恒例の注連縄造りでした。まず2人のアイトワ塾生が雨の中9時に到着。それぞれ異なる作業につきました。1人は日曜日恒例の作業の援軍ですが、もう1人は恒例の竹の切り出しです。毎年わが家の竹で井戸蓋を新調しますが、雨合羽と防寒の完全武装でした。全員集合の10時には、雨からミゾレになっていた天候がおさまり、妻の予報通りに日が射し始めました。

 塾生の参加は5人でしたが、その1人は5人の子連れでしたし、1人は高級蜂蜜を取り扱うご夫婦を誘って来ました。そのうえに、昨年参加したオペラ歌手がフランスでパントマイムもしていたという日本人女性とフランス人の俳優を連れての参加です。恒例の安倍川餅と稲荷寿司の時間はなんとも賑やかでした。裏山でのウラジロ取りは例年とは順番を変えて午後に回しましたが、山はまだ相当濡れていました。最後はオペラ歌手に美声を所望し囲炉裏場で披露してもらいお開きは3時でした。参加者の最年少は1歳でしたからしばしお爺ちゃん気分になれました。

 その後は大晦日の夕刻まで庭掃除でしたが、31日の朝から2人の中国人院生が駆けつけてくれました。その1人とは夏の雲南旅行で知り合い、婚約者の紹介をかねて泊まりがけで訪ねてもらったのです。8月に挙式とか。モミジのトンネルの根元にたまった楓の落ち葉と、喫茶室前のコケ庭のクヌギの落ち葉をかき取ってもらいましたが、手早さに感激です。私は周回路の掃除、アスパラガスの畝への堆肥の鋤込み、焼き芋作りに当たりました。2人は焼き芋や薬草風呂も初めとか。

 元旦は見事な日の出でした。雪になるとの予報にハラハラしたのですが、ヤレヤレでした。2人は自転車で朝早く立つことになっていたからです。寝不足の目をこすりながら神棚と仏壇に新年の挨拶をした上で、異なる部屋で寝させた2人を7時に起こし、わが家流の元日の朝食を1時間余りかけて味わってもらいました。福茶に始まり、お屠蘇で新年の挨拶を交わし、白味噌雑煮へと進みます。2人は雑煮やおせち料理も初めてとか。8時半に送り出しました。

 その後、書籍の発注にも時間を割きました。次の本の編集者からメールで文体について指導を受けたのです。ですから参考にすべき本を取り寄せ、加えて、文章力で師とあがめる友人の本を引っ張り出したのです。これまでの私は商社仕込みの堅苦しい文章にする癖を残こしていたようです。これから、潤いや奥行きのある文体を求めて70の手習いに挑戦します。

 2日は、再び2人の中国人院生を迎え、大阪そごうの「堀木エリ子の世界展」に出かけました。和紙の伝統技術の殻をぶち破り、新しい可能性を切り開いた人の世界です。そこに私は「偶然と創造の見事な融合」を見て取りました。速やかに工業文明と決別し、ポスト工業社会に移行すべきだと訴えてきた私の目に、それは未来への希望や可能性と映りました。ポスト工業社会はモノの消費にではなく日々の暮らしの充実・日常生活そのものの芸術化に価値を見いだす社会になることでしょう。それは偶然と創造の融合を愛でる世界になるに違いありません。

 これまで妻は偶然の恩恵に浴する余地が少ない人形創りに、私は逆に自然という偶然の恵みにすがったような一面があるエコライフガーデン創りに没頭してきただけに、偶然と創造の見事な融合にはとても感動します。それは実生活を4次元芸術のように充実させる上で不可欠の要素だと思うからです。そんな余韻を胸に秘めながら4日から庭仕事に手を付けました。柑橘類を寒冷紗で覆ったり、暮れにし残した落ち葉をかいたりと、日常の生活に戻ったわけです。
 

昨年意気投合した人が経営する会社の機関誌です。新春号で対談(PDF)を取り上げてもらいました。この収録の前に、日本海新聞でもアイトワを取り上げてもらっていたわけです。


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賑やかな注連縄造りの日になりました。フランスに持ち帰る注連縄を作った人もいたわけです。私は手本も含めて12もの注連縄を夜なべ仕事にも回して作り、8軒分を大晦日に配り、アイトワの門扉や母屋などに飾り付けています。
腐葉土小屋に積み上げた落ち葉。この秋に60袋分ぐらいを積み上げたことになります。これからこの上に10袋をこえるクヌギの落ち葉を積みたし、さらに夏には常緑樹の落ち葉を50袋分ほど積み足します。別途、楓の落ち葉を15袋ほど柑橘類の林などに敷き詰め、20袋分ほどを燃して灰にしました。その他に、年間を通せば、おそらく50袋分はくだらない落ち葉を庭の随所に積もらせています。
中国人の留学院生に、「初めて」というおせち料理を味わってもらいました。中国では餃子を造って祝うそうです。革命前の貧しさが残っていた頃の中国の田舎では、3カ月ほど前から食材を蓄えてお正月を祝う餃子を造っていたとか。この話を聞きながら、かつての日本は大東亜共栄圏を叫びつつ、そうした人たちから食料を徴発する作戦を皇軍に展開させていたわけだ、と考えました。
野小屋での夕食。とても冷え込みましたが、お酒とこたつとすき焼きで温まりながら歓談しました。話題は中国をはじめとする少数民族でした。少数民族を尊べない国や民族はやがて衰退するだろうと私は考えています。逆に、少数民族を尊ばない国が繁栄すると人間だけでなくすべての現世生物にとって住みづらい地球になるはずです。
「和服を着せてあげたい」と妻が言いだし、「母親の心境ね」と語りながら前日から準備をしていました。アメリカ人の留学生を預かっていたころ以来のことでした。
堀木エリ子の世界展で3度も歩んだ回廊の導入部。2度目は案内してもらったおかげで、「想い」がいかに「色や形に具現化された」のかを如実に知り得ました。奥の卵型の造形物は、和紙ならではというべき光の効果が生かされており、生命の誕生や魂の昇天などさまざまな連想をさせました。会場で大阪在住のアイトワ塾生と落ち合って5人で見学しました。