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1週間の異空間と異時間  08/01/20

 ツタンカーメンのエンドウマメが4本芽を出し、元気に育っていました。これが過去2年分の手持ちしていた数百粒の種をすべてまいた結果です。もっと芽吹いていることを期待しながら2年ぶりにニュージーランドを訪ねてきました。妻を同伴し、北島のオークランドから小型飛行機で半時間あまりのワンガレイにある友人の別荘に招かれたのです。新聞やラジオはもとよりテレビや電話も契約しておらず、携帯電話も圏外の生活空間で、時計を見ない1週間を過ごしました。

 敷地の一角は庭園で、かつてはガーデニング誌でよく紹介された物件です。数年前に買い求め、芝刈りをする程度で維持していますが、それかえって私たち夫婦の目には心地よく映りました。土地柄に合う植物の楽園になるからです。2年前の2月と違って1ヶ月早く訪ねましたが、アガパンサスやアジサイが満開でした。敷地の大部分は草原で、ところどころに木が茂っています。草原は棲みついた幾頭かの牛と1頭の野ブタ、そして近年迷い込んだ野生のウマが草をハムはんで維持しています。今回は茂みや湿地にも踏み込みましたが野ブタは草だけでなく湿地を掘ってミミズなども食べるようです。赤紫色のジキタリスや白い花をつけるセリ科の野草も咲いていました。

 友人の娘婿にレジャーボートでの海釣りや鍾乳洞に連れてもらいましたが、巨木と巨大な丸木船を妻に見せたくて今回もカウリの森と、かつて入植者が碇を降ろした良港にも案内してもらいました。巨木などは写真や言葉ではとうてい伝えられないからです。帰路は早朝の便しかなく、ニュージーランド最大の都市オークランドで1泊しました。しかし空港近くのロッジに泊まり、街には出ていません。バタフライクリークという遊園地を訪ねるなど、昼前から翌朝までのんどりと過ごしたのです。友人夫妻は3月末まで滞在する、といっていました。

 3月中旬に個展を控えた妻は旅行どころの騒ぎではなかったようですが、人形集のための写真撮影に生かせるはずだとそそのかし、連れ出しました。美しい水や空気を子や孫に引き継ぐことが第一と考える国柄に触れ、満天の星空に南十字星を望みました。妻は持参した手前味噌を生かした和朝食を友人夫妻に用意したり、友人の孫娘・海詩のために人形を作ったり、友人やその娘婿に手伝ってもらって人形の写真撮影をしたり、披露宴に望む女性の着付けを手伝わせてもらったりしている内に、異なる生き方に気付いたようです。美しい小川や屋根を覆うような木立がない日本の都会の2LDKを引き替えにすれば、手に入れうる生活空間と生活です。

 旅行中の犬や温室の世話は、留守番をしてもらった人たちにゆだねました。その人たちにすっかりなついたようで、私たち夫婦は帰宅時に金太にまで吠えられました。翌日から妻は人形教室の仲間に囲まれましたし、私も講義などさまざまな約束をいれていましから、すぐに元の異なる充実感に浸り直しています。この木曜日の夕刻は、別の友人夫妻と一緒に京町屋で手作り料理を振る舞っていただく予定を入れていましたが、私は少し居眠りをして妻に叱られました。これから湯豆腐の会に参加します。土曜日の午後から東京勢を迎え、日曜日の昼過ぎまで懇親する年に2度ほどの恒例の集いです。このたびは高名な庭師に京都の文化や庭のありようについて講じていただいたり、翌日の昼食場所に一工夫を加えたりするなど、少し趣向を変えています。

 庭仕事は来週から本格的に始めます。4粒のツタンカーメンのエンドウマメが生きていなかったら市販のスナックエンドウの種でもまこうかと考えていましたが、この4本を元にまた増やさなくちゃ、と意気込んでいます。次の本の編集者から連日のように、目から鱗のような厳しい、あるいはジーンとくるような指摘に溢れたと言い直せるようなメールをもらっていました。この期待に沿えるようにしなくっちゃ、と思っています。

 

この4本のツタンカーメンのエンドウマメから、また「わが家のエンドウマメ」と自慢できるまで増やそうと考えています。20年にわたって変わらずに保存してきた種が、なぜ4粒を除いてすべて死んでしまったのか。何が起こったのか調べたく思っていますが、そのために幾粒かの種を残しておくべきであった、と悔やんでいます。
ワンガレイの近くにある鍾乳洞から出て山道を下りだしたあたりから妻は人形の撮影を始めました。雨がぱらついていたので友人やその娘婿の手助けを求めていました。それにしても、奥深い洞窟の天井に棲みついていた虫・まるで星空のように青白く発光していた虫はなんだったのか。クモの一種とききましたが。
オーガニックの八百屋にも立ち寄りました。日本ではとうてい売り物にならないオレンジやキーウイフルーツなどが並んでいました。ニュージーランドでは、大人の第一の責務は美しい水や空気を子どもや孫の世代に引き継ぐことと考えられているようですが、これはその人たちの選択でしょう。目方で買い、生食したりジャムに煮込んだりします。
 
レジャーボートで海釣りにも出ました。その一帯に住む多くの人の日常的な楽しみです。煮たら美味しそうなカサゴなどを釣り上げたのですが、フィシャーマンズルールに従って小さいモノは海に帰し、結果は不漁でした。妻は大きなウツボを釣り上げて震え上がり、海に帰してもらっていました。
カウリの森を訪ねた時に海詩が人形を抱きしめてご満悦でした。シュロのような2種のシダが茂っていました。これはニュージーランド航空のシンボルマークにも生かされています。
お別れする朝、友人夫妻に昼食のサンドイッチを用意してもらいました。友人は穏やかで正義感に富んだ社会人生活を過ごし、サラリーマンとしては恵まれていたといえそうにありませんが、ふさわしい余生だと思っています。「これから毎年!」と誘われました。
バタフライクリークという蝶の楽園で妻は最後の人形撮影をしました。そのあと中ジョッキ一杯を傾けながら1時間あまりガランとしたその施設のテラスで過ごし、ロッジに戻りました。ゆったりと風呂を浴びた後で近くのレストランに出かけて2時間あまり過ごし、帰路の道々で街路樹や植え込みに心を奪われています。帰路の機中で、日本でのお金の生かされ方やその値打ちがなぜかインチキのように感じられてしかたがありませんでした。
キャンパスとして生かされている京町屋で男っ気に富んだ人の手料理に甘えました。同道した友人も男っ気に富んでいますから圧倒され通しでした。5時半に集合し、家路についたときは12時になっていました。だからシンデレラが大好きだった海詩を思い出しました。