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孫さんとマンガン坑  08/05/25

 日曜日からホトトギスが鳴き始めました。その夕刻、有志君が「靴下を、片方忘れていったよ」と語らいながら、寝室の前の広縁と居間に網戸を入れました。それほど暑かったのです。すでに蚊が発生する時期に入っています。月曜日の早朝、網戸にしたおかげで、ホトトギスが朝早くから鳴いていたことに気付きました。3時過ぎのことでした。まだ外は真っ暗でした。

 早速起き出して、原稿の推敲に手を付けたのです。「冷えるなあ」と気付いたときは手遅れでした。妻が起き出した7時には、すでに喉がいがらくなっていました。にもかかわらず、終日庭仕事で無理をし、喉を痛めました。翌火曜日は、前夜からの雨を幸いに、屋内で過ごしました。

 陳さん一家は息災でした。有志くんは、今のところは一粒種です。まだ1歳ですが、人見知りをせず、泣きません。ニッと大人びた笑顔を見せます。歯がだいぶ生えており、しきりにしゃべろうとします。立ち上がって歩こうとします。土曜日の夕食のパエリヤも、日曜日の昼食の巻きずしも、とてもたくさん食べました。

 パエリヤは、味は良かったのですが、少し軟らかすぎました。でも、有志君だけでなく台湾から人形作りを習いに来ている孫さんも大喜びでした。彼女を陳さん一家に引き合わせたおかげで、私にも彼女のことが随分理解できました。かつて新聞記者をしていました。妻の人形写真集『いつか鳥のように』を台湾で見た。地震の予知が出来る。運勢を読める。台湾の居宅が広いので、部屋貸しをしていた。その借り手に、日本人女性もいた。その2人が、その1人はドイツから、彼女を受け入れるように、親身になって妻に電話をしてきていた。実に賑やかな夕食でした。

 彼女は、耳鳴りが地震を知らせる、といいます。四川大地震も含めて、最近の地震を予知し、教室の仲間に伝えていた。彼女は、有志君の人物像や運勢を読みました。それが、気持ちが悪いほど私に似ていたのです。あと20年、有志君が成人するのを見届けるまで生きたいな、と思いました。それは無理でしょう。それはともかく、アメリカでは、干支によって各人の保険掛け金が異なるそうです。星座ごとに、統計的に保険金の払い戻しリスクが計算されているとか。

 話題は週初めに戻ります。日曜毎に定例作業に来てもらう友と、かねてから出かける予定があったのです。車で小1時間のところに、かつてマンガンを掘り出していた鉱山があったのです。陳さん一家を誘いました。明治28年から昭和58年まで約90年間採掘した坑道跡です。戦時中は被差別部落の人々を中心に、朝鮮から強制連行した人に過酷な労働を強いました。男性は200〜300kgの、女性は100kg近いマンガンを背負って運ばせていた。丹波マンガン記念館は近々閉鎖です。

 無理をした庭仕事は、梅の木の大胆な剪定でした。跡形もないほど切り詰めました。これでサクランボがなる木に朝日が当たるようになりました。来年はサクランボを食べることができるでしょう。今年も20〜30はなったのですが、小鳥に先を越されました。小鳥が食べきれないほど実らせる必要があります。その後、エゴの木を根元から切り取り、モミジの太い枝を幹から切り取りました。切り取った幹や太い枝などを積み上げましたが、山のようになりました。

 そんなわけで、畑仕事は一服でした。まばらに出たインゲンマメの苗を畑におろし、追加の種をポットにまき直した程度です。除草には精を出し、パーキング場と石畳道をきれいにしました。木曜日の夕刻は、妻と連れだって外出です。四川省大地震の被災者向けの義援活動に応えました。喉の痛みは、ほぼ金曜日の朝に治まっていました。その午後、山の木に詳しい友が遊びに来てくれました。これを幸いに手伝ってもらい、山のように溜まった幹や枝葉をさばきました。

 土曜日の朝です。これから、商社時代の後輩夫婦を訪ねて、岡山の美星町に出かけます。
 
有志君は健やかに育っていました。朝食はテラスでとりました。

梅の木を大胆に剪定しました(右は剪定前)。根元から伐り取ろうか、と思案したのですが、小さく剪定して生き延びさせました。今は、隣にあるサクランボの木を優先したわけです。将来、梅の実が大量に必要になれば、いつでも復活させ、2年ほど実らせられるようになります。

エゴの木や、切り取った楓の枝も含めた残滓。6月1日までに、これらの残滓を片づけなければ、と思っていました。そこに、友が訪ねてくれたのです。囲炉裏に溜まっていたこれまでの焚き火でこしらえた灰は、月曜日の午後に、篩でこしとり、袋に詰めています。その夜から雨が降りました。

水曜日の夕食。遅ればせながら、ウコギ飯をつくり、お向かいからもらったエンドウマメと、前日の夕刻に庭で1本だけ収穫した初物の筍を用いました。

楓の枝の切り取りで、大失敗をしました。楓の木はさくいので、ポキッと折れると思っていたのです。下側からの切り込みが浅すぎたせいです。もっと深く切っておくか、枝を仮落としする切り取り時に、枝の重みを少なくする位置で切るべきでした。初めての体験です。

四川省の被災者を対象にした義援活動が、同志社大学の町屋のキャンパスで繰り広げられました。1人の留学生の声に応え、ゼミ仲間の院生だけでなく、教員までが参加して盛り上げました。ゼミ担当の教員までエプロンがけの奮闘でした。テイクアウトもできましたから、ビールのつまみにするために持ち帰りました。

金曜日の朝、我が家のツタンカーメンのエンドウマメを初収穫し、炊きました。夕食時には、赤飯のように染まっていました(右)。この種子を、もう一種のツタンカーメンのエンドウマメを送ってもらった熊本の鶴田農園に送ろうと思っています。