まず8月12日(火曜日)の朝、「日本型人権
国籍が保障の条件とは不思議」との見出しのコラム・朝日新聞「私の視点」に衝撃を受けました。「『人間が人間らしく生きるために生来持っている権利』を自覚せず、それは誰かに担保されることによって得られるものと考えがちになっていた私」に気づかされたのです。つまり「長いものに巻かれろ式の私」を反省したのです。そしてなぜか、「私は貝になりたい」といって死んでいった日本軍兵士のことを思い出しました。上官の命令に従って捕虜を虐殺し、そのとがで死刑になった男のことです。
常々私は妻に「私も戦地に送り込まれていたら、南京虐殺もしでかしたことだろう」し、「従軍慰安婦をいたぶっていたとも思う」と訴え、だから「そのような事態に陥れられないようにしたい」、その一環として「憲法9条を誇りにして守りたい」と語ってきました。でも、よく考えれば、この考え方自体が「長いものには巻かれろ式」であったようだ、と気づかされたのです。
本来の人権意識をきちんと持つことができれば、どのような事態に陥れられても、そこから抜け出す道を考えるはずだし、どうしてもその道がなければ自決という手もあるわけです。勤め人なら、辞任とか依願退社の手があるでしょうが、軍人はそうは行かないでしょう。戦争における命令の絶対性が人権を踏みにじる最たるものでしょう。そのときは自決だ。
そこまで考えたときに、日本兵の中には、本来の人権意識から自決した人もいたにちがいない、と思い至りました。でもその人たちは、それをあらわにすると国賊扱いされ、家族などに迷惑をかけかねないと考え、黙して死んでいったに違いない、と思いました。
こうした思いは、その日の朝日新聞の夕刊でいっそう深まりました。「東条元首相
直筆メモ」の記事に触れたのです。翌朝の京都新聞にも同様の記事が載っていました。
東条元首相といえば、まだ農業国であった日本に、フォーディズムが軌道に乗った絶頂期のアメリカに戦争を仕掛け、日本国民に「ババつかみ」でいえばババをつかませた人でしょう。そして、神風特攻機や回天などにとどまらず、竹やりで立ち向うところまで国民を突き進ませ、ついには極東裁判で絞首刑になった人でしょう。その人の敗戦直前の直筆メモが見つかったのです。
東条元首相はメモに、「無条件降伏
国民がのろう」「1億1人となるを厳然戦うべき」と訴えたり、「戦いは常に最後の一戦において決定するのが常側は不変なるにかかわらず」とか「新爆弾におびえ、ソ連の参戦に腰を抜かし」などと批判したりしていました。さらに、「もろくも敵の威嚇におびえ、簡単に手を挙ぐるに至るが如き国政指導者および国民の無気魂」と当時の政府や国民を非難しています。また、「ことここに至りたる道徳上の責任は死を持っておわび申しあぐる」「敵の法廷にたつごときことは日本人として採らざるところ」と綴っていました。
この記事は、2日前に朝日新聞でチラッと見た「メディア・国民の喝采で英雄視」との見出しがついた書評と、その前日の同夕刊で見た「終わらない沖縄戦」との見出しがついたコラムを思い出させました。共に、「あってほしくないとの願い」と、「事実」のぶつかり合いです。
15日の夜、NHK-TVで、「レイテ決戦・生存者が語る地獄絵」を見ました。その前に、上記メモを知っておいてよかったと思いました。正しい人権意識が育たない社会で、絶対性を持つ命令権など設けたらどのようなことが生じるのか、思い知らされました。東条元首相にその権を持たせ続けていたらどうなっていたかも考えてしまいました。
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