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アイトワ循環図
明日を読む 09/09/20

 週初めに冷え込みを感じましたから、半ズボンから長ズボンにはき換え、Tシャツの上に長袖のトレーナーを着込みました。そして朝食の後で庭に出る冬パターンに切り換えました。日中の日差しが和らいだと見て、日中に働くパターンの採用です。冬パターンは、気温が下るに従って庭に出る時間が遅くなりがちです。腰痛さえ完治すれば、一刻も早く緑の天蓋の剪定(落葉期の前に済ませたい)か、畑の土の移動(台風に伴う大雨の前に終えたい)のいずれかに手をつけたいところですが、それはもう少し先のことになりそうです。

 今週は名実ともに日本晴れから始まりました。青空の下で、とても気にしていた案件が解消することを知ったのです。友人の再婚です。この人は公正な上に目的と手段を峻別し優先順位を即座に決める男ですから妻もファンです。そのファンが、この人ならと思う人を同伴し、知らせにやって来てくれたのです。妻も大喜びで、午後のお茶の時間は賑わいました。

 翌月曜日も好天でした。アポイントが1つも入っていなかったので、気にしていた案件を次々とこなしています。まずジンジャーの刈り取りです。先週末、ホウレンソウの遮光カバーを取り外したときに、ジンジャーが日陰をつくっていたことを知ったからです。続いて温室の遮光ネットを取りはらい、その下でハナタバコの苗をポットから鉢に植え替えました。体が温まったところで野小屋の後片付けです。組み立て式アーチを収納する際に散らかしたままになっていたからです。水屋の雑巾掛けの補修などもしました。最後はカラシナの種まきでした。この間の、妻が午後のオヤツを運んできたときに、枯れ木の積み上げを手伝ってもらっています。

 火曜日は雨になり、終日屋内で過ごしました。雨は昼過ぎに上りましたが、妻は人形工房にこもりましたし、しずくが冷たそうでしたから、庭に出るのを見合わせたのです。夜は風呂を焚きました。これから妻の個展が終わる来春まで、例外を除いて私が焚くことにしました。それは薪のクズを生かすことを意味しています。過去1年の薪作りの際に出た木屑で風呂を沸かしながら、読書にふける算段です。こうして夜も冬パターンに切り換えたわけです。金曜日にツクツクボーシが鳴いていましたが、主はコオロギやキリギリスなど秋虫に代わっています。

 水曜日以降は晴れ、まずサツマイモの隣の一畝を耕し、白菜の苗を妻に植えつけてもらいました。その際に、隣の畝まで伸ばしていたツマイモのツルを収穫しています。次いでゴボウの跡を耕し、ニンジンの種をまきました。ネギとブロッコリーの畝に腐葉土を敷きましたし、金曜日の夕刻にはミズナの種をまいています。庭仕事もずいぶんはかどりました。4人の大学生が手伝いに来てくれたおかげです。加齢を読んだ庭造りの大切さを教えながら、久しぶりで、しかも教員より一足早く、バックトゥースクールの喜びを味あわせさせてもらったわけです。

 この他に、アイトワ塾、新聞取材、久しぶりの三人会、そしてあわただしい角倉関連の動きがありました。アイトワ塾では、工業社会の罠を見据えた塾生と次代の姿を明らかにしあいました。新聞取材は、地元紙のすばらしい連載コラムに取り上げてもらえることになり、今は亡き恩人を振り返りました。自然の摂理の大切さや資源枯渇化に気付かせた人たちです。三人会は商社時代の知友との飲み会ですが、1人は軽い脳梗塞の体験を、他の1人は16回も転居したサラリーマン時代を振り返りました。角倉関連の動きでは、2度も来客を迎えたり、外出したりしています。

 週末は、楽しい遠出になりそうです。農業文化にくわしい京大の先生に綾部市まで連れて行ってもらい、日本ミツバチの飼育にくわしい人を紹介してもらうことになったからです。ある委員会の席で、私が養蜂に興味を抱いていると語ったことを覚えていただいていたのです。

 

遮光カバー@

カラシナの種が発芽しましたからA
遮光カバー@はレースカーテン地です。廃棄処分されるC級品のポロエステルカーテン地をもらい、35年来用いてきました。月曜日にまいたカラシナの種が発芽しましたからA、その遮光カバーでミブナの畝を覆いました。発芽するまで畝の乾燥を防ぐためです。


注ぎ口の収納@

雨に打たれても腐らないようにしましたA

排水を切り替え栓B
水屋の補修の1つ。洗剤を使った排水をポリタンクに溜める注ぎ口の収納@です。注ぎ口は壊れた電気掃除機の部品。留め具は木で作り、塗装して雨に打たれても腐らないようにしましたA。庭の水路にタレ流したくない排水を切り替え栓Bでポリタンクに留め、下水マンホールまで運んで捨てる工夫です。

サツマイモのツルのキンピラ。今年は苗を5本植えましたが、それはこのキンピラを造ってもらうためでした。イモは手に入りよいがツルは手に入れにくいし、自分で育てたかった。幼少期(戦中戦後)に見た人間の姿、食糧難になったときの人間の姿を懐かしむためです。


円卓状の植木@

取り除きましたA
座敷の前の40年近くかけて刈り込んできた円卓状の植木@を取り除きましたA。それは美観の提供と野草の抑制役を担わせてきた植木ですが、周りの高木が育って木陰を作るようになり、役目を終えました。これも加齢を配慮した庭造りで、刈り込む手間を省き、新たな美観を楽しむためです。夏ツバキ(沙羅)の白い花は、苔の上に落ちた姿が美しいはず。

木陰の囲炉裏場の周辺を大改装します。これは必然の未来への備えです。常緑の竹と雑木を減らし、落葉樹のクルミを苗木から育てます。この実がまとまって採れるのは私の死後のことでしょうが、その頃は保存食がとても大切になっているに違いない。わが国は「街路樹の樹種を変更しておくべき時期だ」と考えたことを記念する改装です。


夕顔@

ルコウソウA
夕顔@だけでなく、アサガオとルコウソウが妻の願いどおりに咲き始めました。妻は新しい試みとして、ルコウソウAを人形工房の窓先にたらし、アサガオBはサンクガーデン(テラス)の入り口にある高木Cに登らせようとしたわけです。

アサガオB

高木に登らせようC


トウテイラン@

中国ホウセンカA
トウテイラン@や八重の中国ホウセンカAは私の願いどおりに咲き始めました。