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水戦争とレモンバームの枯死 11/02/06
 
 よい日曜日から始まりました。芳香が漂う朝。昼間は杉の枝を願っていたように切り落としてもらえました。夕べは妻がカラシナの漬け込みに手をつけたのです。

 朝は5時前に起きました。よい香りは、妻が摘んだニオイスイセンで、雪で倒れていたそうです。前夜の市中での会食のあと、知人の野村さんと落ちあってわが家に案内しましたが、野村さんが起きだしてくる前に2つの講演のリハーサルを済ませました。彼は懸案の庭仕事を快く引き受けてくれましたが、雪深い丹後の人ですから2時過ぎに追い出すように帰ってもらいました。それまでに杉の枝落を済ませてもらっていたのです。

 そのあと、私は母屋のホーム炬燵で新聞の整理を始めましたが、眠りこけてしまったのです。起きだすと、妻から野村さんは無事ご帰宅と聞かされました。夕食後、妻は居間でカラシナの掃除を始めました。明るい間に私が抜き取っておく、と約束していた菜です。

 妻はカラシナを収穫した時に、杉の枝落としの出来栄えを見たようです。往年の私でも「1日仕事でしたよ」と舌をまいていました。実は野村さんはこの他に、枝垂れ桜の太い枝を1本切り取ってくれていました。いずれも、実に丁寧な出来ばえでした。

 翌31日月曜日の朝に知ったことですが、前夜はこの冬一番の冷え込みでした。ガス湯沸かし器が凍結し、温室で越冬させているレモンバームが枯れていました。朝8時に野菜のレースをめくると、菜はカチカチに凍っており、レースをめくるときに白い粉がパッと飛び散りました。レースにくっついていた凍った霜が粉となって散ったのです。しかし夕刻から乙佳さんが庭掃除を手伝いに来てくれましたので夕餉はとても暖かくなりました。

 その後は講演と勉強会が待っていました。水曜日は市内で仏教関係者が対象でした。金曜日は東京での企業関係者との勉強会。週末は大垣市環境市民会議が自主上映した「ブルーゴールド 狙われた水の真実」の前座でした。仏教関係者に招いていただけたのは、過日市内で行った講演に耳を傾けてもらえた人のおかげです。企業での勉強会は時代の流れを見抜いた経営者に呼んでいただけたものです。未来への立ち向かい方を語らいました。

 40年ほど前から、私は工業文明の破綻を予見し、生きる仕組み自体を改める大進化が求められている、との第4時代到来論を唱えてきました。このたびの仏教関係者にもこの考え方の下に、「仏教の役割が大きく変わる」と訴えました。これまでのような葬式や観光にたよる仏教ではやがて人々のココロは離れてしまう。逆に、「足るを知るココロ」や、「山川草木悉皆成仏の思想」の具現者となって民を先導してほしい、と願い出たわけです。東京での勉強会でも意識改革に焦点を絞りました。すでに「結果」より「経過」を重視する第4時代に入っていると見ているからです。問題は「実践を伴わない意識改革」は傲慢にすぎず、「実践に結びつかない意識改革論」は空念仏であろう、と思っていることです。

 週末は「水都」大垣で、大勢の顔見知りと旧交を温めることができました。故郷に帰ったときの暖かさとはこう言うことだろう、と感じました。好物の味噌煮込みうどんにもありつけました。前座の講演では、かつて訪れたことがある「久山町での成功例」を思い出しながら、水戦争時代に備えてほしい、と訴えました。

 新燃岳の噴火が気がかりな1週間でもありました。先週末の風向きは都城の友人にとっては最悪でした。やがて紅梅の花がほころびはじめます。火山灰がそのころまで降り注いでいたのでは大変、と心配でなりません。静まってほしい、と祈るような気分です。


 
ニオイスイセンの季節になりました。屋内に持ち込むと良い香りを部屋中に振りまきます。側にある菜花は、このあと味噌汁の具になりました。朝食を共にした野村さんに、手前味噌の味がとても良い、と褒めてもらえました。

妻が切り取って欲しいと願っていた杉の枝を野村さんに切り取ってもらえたのです。その下にある水仙やヤマブキなどを日陰にしていました。元の状況を撮影しておかなくてはと気づいたときは、すでに下から4本目の枝までの大きく張り出していた枝が切り落とされた後でした。時々泊まりに来てもらいたいな、と思っています。翌日、切り落とされた枝を解体し、枝は薪と柴に、葉は干しあげて焚き付けにする作業は私が担当しました。その枝葉の量を見て、改めて野村さんの手早さに感心させられましまた。

収穫したカラシナ。妻は畝にある8割がた抜き取って掃除を済ませ、水で洗って翌朝まで水を切りました。掃除の段階で、半量は堆肥の山に捨てることになります。その後、冬日に2日間さらし、漬け込んだわけです。既製品のだし汁につけた漬物とは違って、なんとも言えないおいしさです。残る2割は煮物などに用います。

ニラとアスパラガスの畝を整備しました。除草をした上で、発酵鶏糞、油粕、そして木灰を混ぜあわせた肥料を施し、畝の間に雨で流されて落ちていた土をスコップで掘り上げ、細かく砕いてかぶせる作業です。こうした作業を始めますと、土の香りを嗅ぎつけるのか、コルリが掘り出された虫やミミズを狙ってやってくる季節です。このたび初めて、コルリが糞をする場所を選んでいるようだ、と気付かされました。

一晩の寒さで、育て始めてから20余年になるレモンバームが枯れました。記録的な寒さであったのでしょう。分厚い氷も張りました。昨夏モリアオガエルのオタマジャクシを育てた水鉢に張った氷の上にオリーブの鉢を乗せましたが、氷はびくともしませんでした。また、長年置きっぱなしにしてきた上薬を塗った植木鉢もはげ落ちていました。

シロハラを捕まえますと乙佳さんが手に持ってみたいと言いました。なんとシロハラは、乙佳さんが持つ手をゆるめ、手に乗せたような状態にしましたがしばらくじっとしていました。その後、天に向かって勢いよく飛び去るのを見て、私は安堵した次第です。ヤマガラやコゲラなどもやってきますが、一番の困りものはシロハラです。餌取りのために落ち葉を散らかせますし、苔を次々とめくりとってしまいます。

週末の昼食は、務めていた短大の事務局長のお宅でごちそうになった味噌煮込みうどんでした。夕食は、大垣市環境市民会議の新年会でいただきましたし、草餅や栃餅、3回分の味噌煮込みうどんセット、自家菜園の大豆、あるいは刺し子のふきんに包んだ手作りクッキーと1食分の味噌煮込みうどんセットなど、さまざまな手土産をくださる方にも恵まれ、まるで帰郷の喜びのような温かみを感じさせてもらいました。