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日本が1つに、小出しをせずに 11/03/20

  17日木曜日から冬に逆戻りでした。5時に目覚めて小用、再び布団にもぐりこみました。やがて東日本の震災地に思いを馳せ、ヌクヌクした布団の中にいる己が情けなくなりました。同時に、なぜ自衛隊は「もっと機動力を発揮しないのか」とすこし残念に思いました。飛び起きてみると、やがて庭は雪化粧で明け、薄氷が張っていました。

 歴史的に、私たちは天災を神風と見てきた民族です。逆に、このたびの天災を敵前上陸されたかのごとくにとらえないのか。自衛隊が守るべき数十万の民が「水を」「灯油を」「食料を」などと救援を求めている。原子力の恐怖にも怯えている。万を超す死者も出た。薬を背負った落下傘部も投下するなど、機動力を活かしてほしい、と思いました。

 当週は、日曜日の朝に、「ここまで酷かったとは」と驚愕することから始まっています。そしてこの震災を歴史的な転換点に活かせないか、と思っています。さもないと亡くなった方々は浮かばれまい、と考えたのです。この震災を機に、わが国は1つになって新しい生き方に移行してはどうか。人の心をバラバラにしてきた工業社会の復興と延命に走るのではなく、世界中の人に見習ってもらえる生き方ねの転換を目指してはどうか。日本には限界集落もあります。空き家や廃村もあれに転換を目指してはどうでしょうか。

 その後はひたすら、やるせない気持ちで、「歳だなあ」と腰をさすりながら、知人との交信の他は、除草など単調な作業に励みました。妻が切り干し大根づくりに手をつけたと見ると、私はカラシナと菜花を収穫し、第2次のカラシナ漬けと第3次の菜花漬けをつくってもらいました。その間に、ときどき腰痛に襲われ、他の作業を挟んでいます。温室で、自然発芽したホウキグサの苗の移植、ツボサンゴの鉢の手入れ、楓の枝払いなど腰を伸ばす作業をみ込んだわけです。かく当週は明け、畑の草はあらかた抜けました。

 週の中程から不安定な天候で、日が射していたかと思うと雨になったり急に雪に変わったりしました。来客や外出、あるいは屋内作業の他は、温室に飛び込んで鉢の水やりをしたり、日に当てていた切り干し大根を取り込んだりして過ごしました。夜はもっぱら新聞の整理で、TVでは知り得なかった震災に関する記事に目を通しています。その間に、医薬品不足におののく人を放っておけない、とばかりに立ち上がった人の記事に触れ、ホッとしています。同時に、父を思い出しました。父は病院通い依存症のような人で、いつも抱えるほどの薬をもらってきました。それが原因で死んだようなものです。

 その間にあって、火曜日は妻と屋根裏部屋の整理をしています。背を屈めないと入れない空間ですが、物入れです。そこから重いものを運び下ろしたわけです。上には妻があがり、運び出すものを決め、足腰がおぼつかない私が下で受け止める役割分担です。ほとんどが不要品でした。木曜日は、今のうちに重たい家具を動かしておこう、と2人で寝室の模様替えをしました。地震対策であるとともに、思わぬ加齢対策になりました。

 週末は終日、外出でした。滋賀県立大学に声をかけてもらい、とても興味深いプログラムに関わることになったのです。滋賀県立大学といえば、これまでに2度「菜園家族」計画を展開する小貫雅男教授を訪ねています。新たな豊かさや幸せを提供する計画で、いずれは日本を立て直す上で、見直さなければならなくなに違いありません。

 週末に、空焚きの原発を冷やす本格的放水作戦が始まりました。どうして日本は小出しにしていたような作戦に終始しがちになるのでしょうか。残念でなりません。


切り干し大根作り。畑にはまだ三分の一ぐらい残していますが、それは花芽を収穫するためです。ハルゴのシイタケも出ており、たくさん一気に採れたときは、干して保存します。ツクシのハカマ取りを手伝いました。塩漬けにして保存し、春の「菜の花弁当」などに用います。フキノトウの季節は終わり、もうすぐヨモギが採れそうだ、などと語らっています。

屋根裏部屋から出てきたスキー道具は、ストックだけ残して捨てました。妻が嫁入り時に、「連れて行ってくれるのでは」と思って持ってきた代物です。私は、雪国に生まれておればソリやスキーの板を何枚も買い求め、南の方から訪ねてくれた友を誘っていたことでしょう。

中には「これは」と思う品もありました。その1つは手作りの額縁です。時間はあるがお金がまだなかったころ、1976年春の日曜日は廃材を活かすために過ごしたのでしょうが、釘跡から推し量ると網戸を壊したときの廃材でしょう。気に入った印刷物を飾るために作ったようです。

楓の枝落とし。緑のガレージの上に張り出していた枝で、毎年ジャスミンに絡み登られ、このツル外しに難儀していました。その枝を大胆に切り取ったわけです。また、この冬の寒さでジャスミンも随分傷めつけられましたから、センニンソウも登らせようか、と語らっています。

火曜日の夜、二人がかりで紅梅の写真を撮りました。樹齢35年ほどの紅梅は、伊藤忠退職時に仲間からもらった樹齢2~3目の苗木が大きくなったものです。枝垂れの紅梅は、大垣を去った時に、仲良くしていただいていたご夫婦からもらった鉢植えの木を下ろして育てました。2鉢もらい、一方は今も鉢のまま残しています。

この記事に感激です。被災地では医薬品の不足が深刻なようです。とりわけ定期的に投薬を継続しなければならない人は、不安でしょう。薬剤依存症になると、薬が切れるだけでストレスが溜り、自然治癒能力が低下すると言われます。つまり、本来人間が持ち合わせているナチュラルキラー細胞の分泌が低下するなどして感染症にかかり良くなりかねない、と聴いています。

今の日本人並みの生活を世界のすべての人が真似たとすると、地球が2.4個ほど必要である、と10年ほど前から分かっていました。世界中の人がそのような生き方を習ったら地球はたちまちにしてパンクか、血塗られた紛争でしょう。「菜園家族」は、地球を1つで済ませる生き方を見定め、移行する上で不可欠だと思います。