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アイトワ循環図

人とヒトのカラダ 12/01/15

 今週のトピックスは、念願のクヌギの枝落し、アワヤ「私」はお陀仏!、定期通院での命に関わる相談ごと、「絆」の集い、興味津々の映画(クランクイン間近の)監督来訪、かつてアイトワ塾で取り上げた日蓮宗について学ぶために友人宅訪問など、多彩でした。

 週初めの午後、ワラビ畑を日陰にしていたクヌギの太い枝に1人で挑みました。傾斜地に生えた背の高い木ですので1年来躊躇していたのです。12段脚立の天板にも乗る作業でしたが、無事に切り落とせました。その翌日、この自信が5段脚立とゆるやかな傾斜地を見くびらせ、アワヤ「私」は大怪!でした。それは、サポーターのお1人が側まで挨拶にみえた時のこと、カラダのバランスを崩し、脚立ごと石だらけの沢にひっくり返ったのです。この日は、囲炉裏場周辺に集めてあった大量の剪定くずを燃やし切る日でしていましたから、その後はこのサポーターと焚き火をしながら日没まで語らっています。

 朝食は雑煮が続いています。昼食は麺類。たまにスパゲッティが混じりますが、うどん、蕎麦、そしてラーメンの順。夜は、お節料理を三ケ日で終え、4日の睨み鯛の「鯛麺」を皮切りに、腹を満たすわりに身につかない鍋物を主にしています。午後のオヤツは、庭仕事を始めた3日から食パンのミミとカフェオレ。ただし、ミミのトーストにはバターを塗らず、ジャムも、今年になって煮た熟しガキと庭のユズのジャムなのに控えています。

 10日の火曜日は通院と新年会「絆」で終わったようなものです。通院では、次の検診(2ヶ月後)を1つのけじめにすることになりました。その過程で、「私の主人は、私のカラダかワタシか」の問題にとどまらず、担当医か、病院か、あるいは医薬品会社か、などと錯綜させられています。「絆」とは、日本トルコ文化協会が2年がかりで昨年出版したマンガの題ですが、その仲間の集いの名称になりました。絆では様々な話題が飛び出し「楽しい集いがまた1つ増えた」と喜んでいます。翌々日、早速同協会の副会長伊藤純平さんの自宅に招いてもらい、日蓮宗、京都の町衆、そして芸術について語らうことになりました。

 この間の11日は、囲炉裏場に集めてあった剪定くずの「大事な方の片割れ」を処分する日にしていました。剪定くずは、まず(焚き火で)灰にする分と薪にする分に仕分けます。その仕訳は週初めに済ませており、前者は翌月曜日に灰にしていました。残る大事な方をナタで薪にしていると電話があり、楽しい客を夕刻に迎えることになったのです。折よく(?)午後から雨模様になりました。そこで、あとは太い部分を、エンジンソーを取り出して切ればよいだけ、という段階にまで作業を進め、来客に供えました。

 昨年暮れに「時を得た映画のクランクインが間近」と思う話を耳にしていたのですが、その監督を迎えたのです。その紹介者を交えた会話はとても弾み、『人と地球に優しい企業』を献本しました。この映画の主人公に触れていたからです。

 木曜日は、朝食を済ませるとすぐに庭に飛び出しました。前日の小雨は薄雪にかわっていましたが、ブルーシートを被せておいたおかげで「早速エンジンソーで」、となりました。しかしエンジンがかからない。やむなく掃除のための分解掃除をする羽目になりました。その後なんとか、伊藤純平さんとの語らいに間に合い、夕餉の世話にまでなりました。なんと、淳平さんは上記監督と顔見知りでした。ほかにもさまざまな縁が絡んでいました。

 金曜日のこれから、大阪に出かけます。そして翌日から2泊3日の来客を関東から迎えることになっており、今週はここまでにして、あとは次週にまわします。

 

全長5mもあった太い2本の枝をはじ、ワラビ畑を日陰にしていたクヌギの枝を切り取りました。それは脚立の天板に載る作業を必要とし、その時だけ妻を助手に頼みました。実は昨年、秋田の友人から届いた山菜は見事で、そのワラビと比べるとわが家自慢のワラビはいかにも細かった。それは、1に日照、2に肥料と見ました。そのときから、ワラビ畑に覆いかぶさるクヌギの枝の切り落としは課題でした。そして今年から、ワラビ畑の落ち葉もかき取らず、肥料にすることにしました。


ホウノキの剪定前

ホウノキの剪定後
ワラビ畑は、わが家の北西の角地ですが、富美男さんは先週末、ワラビ畑から10mほど南側に生えているホウノキの剪定のあとで、西側の隣家の金属ネット沿いに生えている植え込みの手入れもしてくださった。この作業に付き合った私は、この金属ネットの下部にイノシシが作った穴を見つけたり、隣家の美意識の一端を見届けて驚いたり、このたびのクヌギの枝落としを決意したりしています。

サポーターのお1人と、脚立からの転落後、これだけの灰が出来た焚き火をしながら歓談しました。その途中で、この週記のパ−トナーが、2階の大屋根から転落しながらバケツの上に尻餅をつき、「事無き」を得たことを思い出し、改めてゾッとしました。焚き火はよいオキになりましたから、夕食時にサツマイモを突っ込んでおき、翌日のオヤツにしています。

エンジンソーを始動させたついでに、薪づくりに用いただけでなく、さまざまな活かし方をしました。1つは、ほんの40cmほどですが、ツバキの切り戻しに。2つ目は、キハダの手入れに。ツバキは、背後の植物への日照問題と、美意識の観点から。キハダの方は、治療です。過年の切り戻しの修正です。うまく樹肉が盛り上がっておらず、下手するとウロを作らせかねない。そこで、樹肉がもりあがってくれるように祈りながら、治療を始めました。後者については手をつけただけに終わり、あとは次週に持ち越しです。

うっかりして「手作りしたサラエの柄」を、灰にしてしまいました。気がつくと焚き火の灰の上に倒れており、柄が焦げてなくなっていたわけです。おそらく、イノシシが立てかけてあったサラエを倒したのであろうと思いますが、反省することしきりです。消えたと思っていた灰の余熱に対する認識不足、不注意なところに立てかけておいたミス、さらに、こうした不注意が失火の原因にもなりかねないこと。柄の付け替えも次週の宿題です。

毎度のことですが、囲炉裏場は剪定くずで足の踏み場さえなくなりました。細い枝をナタで切り,あとはエンジンソーで切れば良いという所まで作業を急ぎ、小雨に備えてブルーシートで覆っておきました。

おかげで翌日、ブルーシートをはがせば直ちにエンジンソーの作業に入れました。しかし、エンジンがかからない。なんとか久しぶりで大量の薪を作れましたが、これからは試用後のエンジンを掃除するようにしよう、と私は私のココロに言い聞かせました。