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アイトワ循環図

沖永良部を偲ぶ 12/03/25

 冬野菜の季節は末期になりましたが、この冬は残念なことが3つありました。第1は、自家菜園だから楽しめる1つの贅沢・ダイコンの最後の旬である花芽を、イノシシのせいで楽しめそうにないことです。この冬は厳しい寒さが続き、ダイコンを活かす惣菜が多かったせいもあるでしょうが、最大の理由は「ダイコンは移植できない」と思い込んでいたことです。ですからイノシシがミミズなどを狙って畝を荒らした折に放り出したダイコンを植え戻しておらず、畝を歯抜け状態にしてきました。まずこれを悔やんでいます。

 2つめはミブナとミズナの数が少なかったことです。これもイノシシのせいです。この2種の苗床をつぶされたからです。この2種の青菜の不足を埋め合わせるために、コマツナの畝を増やしておけばよかったのですが、そうと分かったときは手遅れでした。例年と違って、キャベツ類、タマネギ、ブロッコリー、そしてレタスなどの苗を、例年の2倍も3倍も植え付けており、空いた畝がなかったのです。

 とりわけ残念なことがもう1つあります。それは、今年は自然生えに委ねたアイトワ菜が、思ったほど芽を吹かなかったことです。それはなぜか、未だ理由はわかりません。実は、畑地には、野草にあけ渡してきた2つの空地がありますが、そこでは1株しか育たなかった。畑地の最も東の畝は、枝垂れサクラなどの日陰にされるようになってから、ヨモギやサクラタデなどが生えるにまかせてきました。また温室の西側面には温室の陰になる幅50cmほどの空地がありますが、ここもジンジャー、タイマツソウ、ツクシ、そしてシュウメイギクなどの根草にあけ渡しており、ここで今年は1株しか育っていないのです。

 そこで思い出すのが沖永良部島です。一昨年の訪問では、この島を日本の縮図」と見ましたが、昨年暮れの再訪では、4つのトピックスがありました。出来たばかりの西郷隆盛の顕彰記念館、戦時中の秘話、歴史をさかのぼるほど共感を覚えた島民の葬り方(土葬の仕方)、そして4つめは島の随所で見出したアイトワ菜に似た野草(?)です。

 この野草を、農夫が野菜と見立てて採取していたのを見て、がぜん興味がわきました。それは2分類でき、根菜の方を「種をまいたのでは育たないが、煮ると軟らかくておいしい」と教えてくれたのです。その後、郷土史研究家や新聞関係者を訪ねましたが、意見を求めますと、「よく食べますよ」とか「農家は11月まで土手などの草刈りを控えており、島民が自由に採れるようにしているようです」などとの返事でした。

 「種をまいたのでは育たない」とか、根菜の方は「煮ると軟らかくておいしい」という農家の意見に興味津々です。わが家では、一昨年はアイトワ菜の種をまきましたが、芽はよく出たのにうまく育たなかった。今年は、勝手に芽生えて旺盛に育つに任せましたが、期待するほど発芽しなかったのです。他方、太った根に関していえば、これまでは硬そうに見えたので捨てていましたが、今年は食べてみると、実に軟らかくて美味しい。

 この時期は庭仕事の端境期でもあるわけです。先週末で、庭木の剪定や移植、あるいは温室で冬ごもりしていた鉢植え植物の手入れは終えています。畑の作物も端境期で、冬野菜の花芽やレタスやキャベツの他は、夏野菜の収穫期に入るまで、庭で自生する山菜などに頼る時期になります。そのようなわけで、最近ではスナップエンドウと、自生する野菜に力を入れてきたわけです。そこに今、新たな期待が生じています。それは、沖永良部で見た自生する野菜、いわばアイトワ菜の固定種を創り上げる夢です。
 

つまみ菜や間引き菜の段階で幾度もイノシシに荒らされたダイコンの畝ですが、移植が効かないと思い込んでいたので植え戻していません、代わりに青菜を植えました。この過程で、移植できたとしても根菜だから「肝心の根がうまく育たないだろう」と思って止めています。思えば、花芽を収穫するのなら、根はどうでもよかったわけです。チャレンジすべきであったと悔やむことしきりです。


タマネギの苗

ニンニク
タマネギの苗を、2度にわたって富美男さんにもらい、昨年の2倍以上も育てています。この畝に生えたアイトワ菜は早めに抜いて惣菜にしました。タマネギはイノシシの被害をたいしてこうむっていませんが、昨年より大幅に減らしたニンニクは、イノシシにたびたび襲われており、そのるたびに植え戻しました。どうやら8割がたは収穫できそうです。

ブロッコリーはさんざんでした。最初に買い求めた4本の苗が、例年のごとく育っていたら、今頃はステックブロッコリーもどきの脇芽を収穫しきれないほどだったでしょう。この4本の内、まともに育ったのは1本。その後、苗を買い足したり義妹にもらったりして計10本も植えましたが、イノシシの被害にあい、これまでの収穫は例年の半分以下です。


アイトワ菜

 
温室の西側面に沿った空地で芽生えた唯一のアイトワ菜は、収穫せずに育て、種を落とさせます。この近くで収穫したアイトワ菜の中に、根菜タイプが幾本かありました。それは沖永良部島で見たのと同様で、ヒゲ根の多い貧相な形です

沖永良部島の随所で見た野生化した(?)野菜もどき。形状はまるでアイトワ菜とそっくりで、2つと同じ形状がないほど多様でした。その代表的な幾種かの葉を採取してきました。他方、根菜タイプは、種が固定したのか、どれも似通った形でした。だから逆に、種をまいたのでは(野菜のようには)うまく育たないのかもしれません。

この1年の間に、西郷隆盛の顕彰記念館が、幽閉された当時の牢跡の側で誕生していました。西郷隆盛は「日の出」だけでなく「日の入り」にも手を合わせた人のようですが、こうした西郷さんを沖永良部の人は慕っています。「南州」との自称についても、鹿児島とは異なるようです。幽閉された吹き曝しの牢は川州にありましたが、島の北に住んでいた友だちへの手紙で使い始めたとか。

3畝あるエンドウの畝の2畝はスナップエンドウです。無農薬露地栽培の畑では、冬野菜と夏野菜の端境期に育てるに値する品種、つまり虫害に耐えやすい品種は多くありません。そこで、スナップエンドウにたいする期待が大になっており、その支柱を早々と先週末に立てています。