話し合いは、2つの確認から始めました。まず、彬さんを私たち夫婦が息子のように扱ったこと、次に、にもかかわらず3ケ月の経過をもっていったん書生の関係を解くこと、この2点を確認しました。彬さんも寂しいでしょうが、私たち夫婦にとっても、とても寂しいことです。しかし、このままでは、ズルズルベッタリになりかねない、と思ったのです。
つまり、彬さんは「いいやつ」であり「かわいいやつ」であることは十分に承知したわけですが、「ケド」がつきまとったのです。その「ケド」の幾つかを確認しましたし、それらの「ケド」を改めるように勧めもしました。妻を犠牲にして(過日触れたようにフイップボーイに見立て)、警鐘も鳴らしました。しかし、守られなかったこともあります。そこで、ズルズルベッタリを避けなくてならないと己に言い聞かせ、彼に宿題と最後の課題を出したわけです。
宿題は、「アイトワで暮らすうえで、彬さんが改めうべきだと考えることと、その中で改められることと改められないことを、箇条書きでよいから後日知らせてください」でした。その上で、再開の検討をしましょう、との提案でした。彬さんも、妻も、それで納得です、との回答でした。
アイトワの生き方は相手によって変えることはできないタイプです。それは彬さんにもよく分かってもらえたと思います。なぜなら、何とかして「シンプル」で「ブレ」の少ない生き方を追求しよう、と心に言い聞かせながら努力してき生き方ですから。その根本さえ守れば、他のことはたいがい、多様性として受け入れることができる生き方です。
この日も朝食時間に、TVでは国際ニュースを流しており、それを話題にしています。もちろん、新聞記事も話題によく取り上げます。私の意見や感想を述べ、考え方を理解してもらう機会にしています。そうした機会を活かし、理解してもらおうと願っている根本は、工業社会や工業文明にたいする不安や疑問(という株から芽吹いたいわばわかヒコバエ)です。
時は今、日本はとても危険な方向(太平洋戦争時代のようなものの考え方)に走り始めています。それは個人の尊厳にかかわる憲法13条が危機にさらされている一点でも察しがつくことです。ですから私は、彬さんと私が共に戦時中に生きていたとしたら、との思いを巡らせており、比喩を用いた説得を試みたこともあります。「もし私が上官であったとしたら」「君を恰好の特攻隊員として選び、仕立て上げていた恐れがある」と語り掛けています。
つまり、彼は「意気に感じて特攻機に乗り込み、命じられたように突っ込みかねない人」と見たわけです。実は私も、かつてはそうしたことを命じかねなかったし、命じられたら突っ込んでいたことでしょう。ですから、ある時から、そのような心境にしかねない事態に私を追い込むことを避けたいし、そうした事態(主観に支配された心境で、勝てば官軍的行動に走る行為)の限界点を見極めて、命を懸けても安易な道(その日その場を上手に生きる考え方)から外れたいし、そこに安住する立場から足を洗いたい、と願うようになっています。
なぜこのような比喩を用いたかというと、リーダーとしての安倍さんの資格は、きわめて疑わしい、と私は思っているからです。人間として犯してはならない罪はさまざまでしょうが、安倍さんはリーダーとして犯してはならない罪を得意げに犯しかねない人、と睨むからです。
罰則のある罪は、償えば還元されることになっていますが、罰則はないけれども「人間として非」とされる罪がある、と思います。安倍さんはそれを簡単に侵しかねない人、と思われてなりません。英語では法律上の罪(クライム)と道徳上の罪(シン)を使い分けていますが、安倍さんは「人間として非」とされる罪、ないしは「シン」を平気で破りかねない恐れの持ち主である、ということを随所で垣間見せています。ですから、彬さんに、自分の頭で考えて、自分の足で立ち、自分の手で未来を切り開くクセを身に着けてほしい、自分の信念を自ら育み、その上での素直な人になってほしい、と考えたからです。
安倍さんが率いる一群が、政治の実権を握ることに私は疑問や不安を感じています。これに似た想いが、自民党の先輩、野中元官房長官や古賀元幹事長などに中国出張を思いつかせたのではないでしょうか。
そうした時期だけに、私自身も自分を見直したいし、ズルズルベッタリになってはいけない、と考えた次第です。彬さんに、生きる上での覚悟や決意を定めてもらいたいのです。
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