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 目利きとサル 15/01/18

 前週末は(アイトワ塾の新年会の後)網田さんに泊まってもらい、翌朝2人で生駒まで庭石をもらいに出かけることから始まり、週末は佛教大生を迎えることで終わる予定の1週間でした。

 私たち2人の生駒行きを聴きつけた舞鶴さんが、同道を希望。茶人でもある舞鶴さんのおかげでとても充実した1日になりました。まず、生駒が茶筌の産地であったことを知りました。次いで、たどり着いた石置場には竹やぶや菜園だけでなく、竹の油抜きをする窯もあれば、主が手作りしたBBQの大きな窯や喫茶の館もあったのです。主である三原啓司さんは「もらい物」とのユンボのエンジンを温めて待ち受け、庭石を4つも選ばせてくださった。帰り際には、軽トラに、網田さん所望の青竹まで積み込み、アイトワまで送り届けてもらえたのです。

 実はこの間に、想定外の喜びが待っていました。まず三原さんの紹介で茶筌造りを見学。おかげで、ここ生駒市高山町にある高山竹林園を、かつて訪れたことを思い出しました。ですから竹の産地かと思いきや、茶道の開祖・村田珠光が住んでいたから茶筌がこの地で誕生し、産地として名をはせ、今日に至っていたのです。次いで、三原さんの竹細工の工房に案内されました。さまざまな機械が揃った立ち仕事の部屋の隣に、茶さじつくりもできる部屋があり、体験できました。三原さんは、茶の道の目利きであるだけでなく、多才な人・VIBGYOR・COLLARでした。

 青竹は、網田さんがわが家の竹の入り口に樋を付ける材として所望したものでした。しかしこの日は時間切れになり、取り付けは日延べ。このお二人を見送った後、夕刻にも楽しいことが待ち受けていました。久しぶりに乙佳さんに訪ねてもらえたのです。妻は、味噌づくりの豆や麹などを一緒に買ってもらい、半分コしていますが、それを一家で届けてもらえたわけです。すでに男の子は人見知りするまでに育っており、抱かせてもらうまでに時間を要しました。

 1日飛んで火曜日は、萩原さんに立ち寄ってもらう日でした。4年間にわたって鹿児島大学(非常勤講師として訪れた)で世話になった人です。市中の銭湯がことごとく温泉だと知り、学生も引き連れて銭湯巡りをしたり、沖永良部島に3度も一緒に出かけたりした仲です。最初は西郷隆盛の流刑地として訪れましたが、日本の縮図のごとき島だと知り、全島を駆け巡っています。

 水曜日は(久方振りの案件で)昼すぎまで外出。ありがたい機会を得ています。なぜ50年余も前から、ライフスタイルを見定め、ライフワークとして繰り広げてきたのか。その気持ちを紐解き、意見として述べる機会があったのです。かくして、当週の残るアポイントは週末の佛教大生を迎えることのみ、となりました。にもかかわらず、木曜日は小雨にはばまれ、終日書斎にこもっています。翌金曜日は曇天でしたので、なんとか私好みの1日にしたく願っており、なんとか「ストレスを発散できた」と思い始めていた矢先のことです。サルが大胆な行動に出るというドンデン返しがあり、「異なるストレス」を溜め込みました。この日は、表現の自由に関してフランシスコ法王に共感し、フランス人のありように大いなる疑問を抱いています。

 要は、あまり時間を庭仕事に避けない週でしたが、月曜日はルーチンワークのあとで今年初の薪割りに取り組み、火曜日は風除室横の土手掃除を午後から仕上げ、夜はビニール傘を修繕しています。そして学生を迎える週末は、前日溜めた異なるストレスを倍加する猿の被害を気付くことから始まっています。畑の作物が、いつの間にか、グチャグチャにされていたのです。

 でも、4人の学生を迎え、気分は一転。それは、この度初めて女子学生に、向こう1年間のリーダーを勤めてもらえることになったからです。おかげで(庭仕事は雨のために午前中で終えざるを得ませんでしたが)とても爽快な気分で1週間を閉めくくっています。
 


手作りのディップ
話題が豊富になり、賑わっている

刺身や寿司など淡白なものになっている
アイトワ塾の新年会に、ゲストを初めて招いた。トッテン夫妻だ。おかげで、久しぶりに里美夫人に会えただけでなく、手作りのディップを差し入れてもらえた。また、これで女性の参加者が4人になり、とても話題が豊富になり、賑わっている。もちろん26年の歳月も忍んだ。料理が刺身や寿司など淡白なものになっている。 


石置場
舞鶴さんに編んでもらった帽子をかぶって
この日はとても寒くて、網田さんと私は、昨年舞鶴さんに編んでもらった帽子をかぶって出かけた。庭石を2つもらいたくて石置場を訪ねたわけだが、4つももらった。この2つの据え付け場所は決めている。残る2つは余分にもらったもので、御影石の方は使い道がほぼ決まった。最後の1つ・粘板岩の方の生かし方は未定。これからのオ・タ・ノ・シ・ミ。


茶筌造りを見学
茶筌造りを見学

茶筌が多様であることも知った
三原さんの紹介で茶筌造りを見学したが、今や高山町はわが国では唯一の国産茶筌の産地だと知った。同時に、流派によって茶筌が多様であることも知った。三原さんには、100年ほど時が経過した竹を選んで、茶さじつくりを学んだが、三原さんの手さばきを観ながら学びながら、なぜか日本のこれからに想いを馳せ始めている。


竹の油抜き

竹の油抜き

ユンボで重たい石を見事に操った
三原さんの生き方は羨ましかった。茶杓つくりの名人であるだけでなく、竹の油抜きをする窯がある方の工房では、ユンボで重たい石を見事に操った。もう1つの工房では別人のように、繊細な手さばきを披露した。立ち仕事の姿は望めなかったが、かつて私は、農具造りで鍛冶仕事の世話にもなっている。菜園で野菜作りもすれば、家元の影になって茶事も取り仕切る。単色人間(ホワイトカラーやブルーカラーなど)ではなく、多能な生き方をしている人だ。

繊細な手さばきを披露

 繊細な手さばきを披露

立ち仕事の工房

立ち仕事の工房


澄まし雑煮

干したダイコン葉や干し柿を襲われる
金曜日は、私好みの朝食から始まった。それはユズ粉をたっぷり振りかけた澄まし雑煮。前日、結が絵手紙で「ユズ粉を造り、ユズティーも」楽しんだ、と知らせてくれていたので余計に嬉しかった。そそくさと庭に飛び出し、「あれもしたい、これもしたいの1日にしている。意気揚々と早めに切り上げたが、サルに気分をドンデン返しされるとは思ってもいなかった。まず、それは軒先に干したダイコン葉や干し柿を襲われることから始まった。

火曜日の土手掃除は、いわば総仕上げであり、3回にわたって取り組んできた。ここは使用目的を変えざるを得ない事態(土地の乾燥が進み、今や常は水切れしている)にいたっており、灌木を小さく剪定し、日当りをよくした。ゼンマイ畑の土手、セリ畑の裾部、そして両端にユズとタラの木を植えてあるだけにとどめず、もう少し生かしたい、と思ってのことだ。

おとどし、去年、そして今年と、3年にわたるアイトワ担当のリーダーが揃った。一年の当初から女子学生がリーダーを勤めるのは初めてだ。ただそれだけでとても嬉しかった。何故か時代の香りが漂っているかのように感じられた。雨で庭仕事を中断し、狭い「室」の屋根の下でしばらく語らっていると、妻がオヤツを運んでくれた。