維さんと袖触れ合ったことを喜んでいる私だが、今も課題を抱えている。私たち夫婦には何ができるのか。すべきことは何か、と思案している。要は、「真に」維さんのためになることをなしたいのだが、この「真に」とは何か、何が「真に」値するのか、ということだ。この想いの温度差が、このたびの夫婦ゲンカを誘発したようだ。
妻は、パーキング場に積み上げてあった木の根の山が気になっていたのだろう。私も気になっていた。開店前日の土曜日に、学生の力も得て片づけようと目論んでいた。だが、雨が降り出した。いつ、いかに片づけようか、と翌日曜日は1日中気にかけていた
月曜日の朝食時のことだ。妻は「もうすぐ維さんが来てくれます」と唐突に切り出し、それは2時間後だ、とつないだ。そして彼女に「あの木の根の山」の処置にも当たらせたい、という。私はカチンときた。なぜこの計画をもっと早く教えてくれなかったのか、とも思った。それならそれで前もって成しておくべきことや、なさずに済んだこともあった。
もちろん、妻の善意はすぐに分かった。山を片づけることも、それを維さんの仕事として活かそうとしたことも、良いことだ。からと言って私には、このやりようは「行き当たりばったり」のように思われた。私が思う「真に」には値しないし、「真に」に近づけるうえでも無理がある。「ここのところが分からないのか」、と怒鳴りたかった。
妻は、だから「相談したのです」と言った。それが「行き当たりばったりダ」と言いたかった。そもそも木の根はどこに片づけようとしているのか。それは、問題の先送りにならないか、と詰め寄よると、だから「相談したのでしょう」と返す。話にならない。
即座に私は身づくろいし、庭に飛び出した。受け入れ準備が急がれた。まず、木の根の捨て場に走った。土曜日が晴れておれば、「ここに」と思っていた場所だ。ここなら問題の先送りにならない。時間をかけて堆肥で出来る。とはいえ、維さんは庭の把握が不充分だし、庭仕事に慣れていない。採用してよい場所か否かを確かめておく必要があった。
次に、土曜日の土運びの後始末を週初めにしたが、その後始末をする前の状態に戻す必要があった。先週の金曜日に、石畳道に並んでいた10ばかりの植木鉢を、翌日の学生の作業のために外した。荷を積んだ一輪車を通りやすくするためだったが、もう一度その状態に、つまり、前日元に戻してあった鉢を、再び外しておく必要があった。
続いて、その石畳道の先にあるイノシシスロープの中腹まで上り、山のごとくに積み上げてあったクヌギの枝を片づける必要があった。過去2度にわたって(一度は学生に、2度目は高木の大剪定を頼んだ庭師に)積み上げてもらったクヌギの枝の山だ。片づけておかないと人も通れない。いわんや一輪車など通せるはずがない。
そこで、エキゾチックな景色にするためにも、一工夫した。
同時に、維さんが運搬作業に当たっている間の私の仕事も用意した。太いクヌギの枝をその山から選び出し、別途積んでおき、ナタ仕事に当たれるようにしておく準備だ。
最後の仕上げは、階段など大きな段差がある所には板を敷き、一輪車を円滑に操作できるようにする整備だった。
もちろん、こうした難関なども当人に取り組ませ、考えさせばよい、との考え方もある。私も学生の場合はそうさせることが多い。それは、それ自体が勉強であり、教材であるからだ。でも、維さん場合は違う。成果の評価が求められる。無益な汗を流させることは許されない。正しい評価ができない仕事を、次々と重ねさせるような指示をしていたら、勤労観の低下など、いい加減なことに結び付けてしまいかねない。
唐突な話を持ち出すが、その悪しき事例は太平洋戦争ではなかったか。あの悲劇の増幅はここにあったように思う。そもそも出足からしくじっている。当方は奇襲を喜び、先方は奇襲されたことを喜んだに違いない。それをハメラレタとか、否とかの議論をする人がいるが、それはどちらでもよい。馬鹿さ加減の程度の差だ。
問題は、奇襲をしたようなことをすれば、どのような反作用に出くわすのか、その配慮がなかったように思う。道具(武器)を扱うのは人間だ。つぶした道具の多寡を問題にするよりも、人間の問題の方が肝心だ。精神論を振り回していながら、肝心の精神を忘れていた。初めから日本は負けていたわけだ、と私は思う。
その証拠に、当方は、大東亜共栄圏をうたいながら、食料の確保さえ保証せず、侵略させ、略奪に走らせた。その実態を確かめず、緒戦の勝ちに有頂天になり、うまくいったと判断し、いい加減なことに結び付けてしまい、次第に泥沼にはまり込んだ。
維さんがやってくる10分前になった。最後の手はずに間に合った。それは木の根を一回分、私の手で運んでみておくことだった、その作業の程を確認しておきたかった。
維さんが、木の根を一輪車で運び始めた。私は用意してあったナタ仕事に取りかかった。ナタ仕事をしながら、私の段取りに手落ちがなかったか否かの点検をした。ここで、維さんの動きを見ていて分かったことがある。維さんは一輪車に荷を積めるだけ積もうとする人だ。私も若い頃は同じだった。だが、今や積む荷は9分目に抑え、1回余分に運ぶタイプになっている。これまでに幾度か、積めるだけ積んで途中でバランスを崩し、荷を崩したりした。様々な体験がある。
3回目の荷を運んでやって来た時に、私はノコギリやハサミを携えて木の根の山がある所に移動した。維さんの手には負えない事態が「ボツボツ」生じている頃あいと見た。例えて言えば、歩兵の手に負えない部分は、艦砲射撃か空爆などの支援がいる、と思ったからだ。
かくして、維さんの手で処分できる分を片づけさせ、ひと区切りをつけた気分を味あわせた、はずだ。ユンボで掘りだした大きくて重そうな根株だけが後に残った。
丁度この時に、かねがね気になっていたことが生じた。維さんにも運の強い人になってたほしいと願っている私の目には、良き教材であり、救いの手のように思われた。
|