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アイトワ循環図

 身勝手な国と、身勝手な一味(?) 16/03/27

 「女性とは怖いものだ」と思いました。「妻は怖い」と、言い直すべきかもしれませんが、「女性」でいいでしょう。母にもその昔、似たようなことでコッピドく、よく叱られたことがありましたから。快晴の火曜日、夕刻のことでした。前日から心づもりし、喜んでもらおうと思って頑張ったことが、原因になったのですからタマッたものではない。

 まず週初め。ルーチンワークの後、夏野菜用の畝作りにハッスル。先週耕した2つの畝に有機肥料を鋤き込んで仕立て上げ、次いで、第一次のブロッコリーと第一次のハクサイの畝を耕したのです。さらに、好天を愛でながら、コンクリプールの上に昨年設けた「育苗場」に、幾つかの鉢を温室から運び出しました。温室では、過日まいた第一次のキュウリやチマサンチェなどが芽を出し始めたのです。そして夜。この冬、エゾヤマツツジやホテイソウなどで生じた不思議な現象を振り返りながら、長風呂でカラダを癒しました。

 月曜日は、晴れていたのに、書斎の人を決め込みました。前日のハッスルがこたえたのかケダルかったし、翌日に備える必要があったのです。妻から「書庫の工事は終わったのに」と急かされていたことがあったのです。ブルーシートを被せたままの砂袋の山や木材、あるいは3つの大きな石が門扉から「まる見え」との不満の声を聞かされていたのです。私は、大石と砂袋は佛教大生の仕事として、木材は寿也さんの仕事として残しておきたかったのですが、妻は「目障り」とおカンムリ。休日に片づけることにしたのです。

 朝一番に、妻は囲炉裏場から割り竹を運び出し、書庫の側に置きました。私が前もって用意してあった青竹で、私もやる気にさせられました。朝食後、すぐに始動。コンクリ花壇の時の要領で、大石の移動から着手。妻と2人で夕刻までに片付けました。

 妻は途中で2度、抜けました。最初は、2つ目のキャベツを収穫し、昼食のお好み焼き造り。2度目は友人との約束があり、3時間近くの外出でした。その間に、私は大ハッスル。2つの大石を活かしてそれなりの一角に仕立て上げたのです。だけど、妻は褒めてくれず、砂袋の移動に手を付けました。実は私はヘトヘトでした。それがコタエて右肩を痛めたのに、妻は「大石での一角造り」が原因と見て、プリプリ、プリプリ叱られたのです。

 水曜日は、10時ごろからいつもの造園師2人に入ってもらい、夕刻は出版社の編集者に訪ねてもらえた上に、読書とPC仕事にも随分時間を割くことができたよい1日でした。小冊子作りに手を付けたのです。畑では、アイトワ菜とコウシンダイコンの跡を耕し、週初めに耕した2畝と一緒に、有機肥料を鋤き込み、夏野菜用の畝に仕立て直しました。

 当週は事情があって本(木曜)日で週報を閉めますが、午前中は温室仕事、夕刻は畑仕事、残る時間は読書に熱中しました。温室では7つの多肉植物の鉢と、11のポットウォール用オリズルランの鉢つくりに当たり、畑ではアイトワ菜の跡を夏野菜の畝に耕しました。

 以上5日の間に、国家の身勝手関西財界の近視度の酷さを知り、残念でした。2人の来客を迎え、アイトワ塾を開き、遠き未来を見据える話しができて、愉快でした。そして歯科医を2度訪れましたが、これはチョッとト深刻で、よき体験をしました。過日から犬歯の差し歯を治療中ですが、その奥のブリッジ3本分が、ポロリと外れたのです。犬歯から奥の5本中、4本を欠く体験です。要は、左半分は咀嚼不能。野生動物ならお陀仏のところ、と神妙になりました。でも、楽しい贈物にも恵まれ、その1つはとりわけ妻をホノボノとさせる家族からの代物でしたから、私まで嬉しさいっぱいにされています。

 


「育苗場」に並べた

キュウリやチマサンチェなどの種が
芽を出し始めた
温室から運び出した幾つかの鉢を「育苗場」に並べた。いわば、「育苗場」の試し使いだ。これらの鉢は、ここでしばらく直射日光に慣らし、その上でカフェテラスなどにデヴューさせる。温室では、過日まいた第一次のキュウリやチマサンチェなどの種が芽を出し始めた。いずれこの「育苗場」に持ち出し、直射日光に慣らし、畝に下ろしたい。


狂い咲き

正常な現在

レモングラス
不思議な冬だった。エゾヤマツツジが2度(昨晩秋の狂い咲き正常な現在の2度も)まともに咲いた。これが木にとって負担だったのか否か、気になるところ。レモングラスがこの通り、暮れに新芽を出し、そのまま冬を越し、ホテイソウも枯れずにすんだ。これらはいずれも初現象。でも、「暖冬だったから」では片づけられない。10何年振りかでガス湯沸かし器の水道管を凍結で傷め、大きなツララを造らせた。


コンクリ花壇

大きな2つの石を移動させた

竹の上に載せて滑らせる方法
このコンクリ花壇を、新婚当時に(1つの型枠に流し込んで)造り、後年10mほど移動させ、ここに据えた。その時に、割った青竹の上に載せて滑らせる方法を採用したが、それがこのたびも役立った。今回も当時の要領で大きな2つの石を移動させた


それなりの一角に仕立て上げた

久方ぶりの力仕事になった
2つの大石に力づくで挑み「鬼の居ぬ間に」ではないが、妻の外出中にそれなりの一角に仕立て上げた。「往年なら」とハッスルすると、いつも「往年は、もう忘れてください」と叱る妻がいないのを幸いにしたわけだ。とりわけ、書庫の屋根には樋がないので、雨だれがハネて、書庫を汚しかねない。だから、大石を微妙に動かす必要もあり、久方ぶりの力仕事になった。そのヘトヘトの上に、雨でぬれた砂袋を移動させる作業が重なった。おかげで一帯はとてもスッキリした


アメリカハナミズキ

樹高10数mのモミジの枝を
1本取り払ってもらった
2人の造園師に、高木のアメリカハナミズキ樹齢57年のクヌギ各1本を切り取ってもらい、樹高10数mのモミジの枝を1本取り払ってもらった。クヌギはヒコバエを出させ、再生させたい。モミジの枝は、いずれソーラー発電機を日陰にしかねなかった。アメリカハナミズキは、いわば間伐。

樹齢57年のクヌギを切り取ってもらい

切り取り後


多肉植物の寄せ植え

大小18もの鉢づくり
今週から妻は、ポットウォールにロッコウサクラソウの小鉢(十分に育っていない)を早々とデヴューさせた。そこで、夏場のポットウォール用として、オリズルランの小鉢造りに手を付け、昨年から始めた多肉植物の寄せ植えにも手を広げ、大小18もの鉢づくりを昼食前に終えた。

楽しい贈物に恵まれた。送り主は30年来のつき合いの家族。話しは過日、1体の人形が怪我をして、長野から里帰りしたことに始まる。妻は大喜びで衣装まで改め、送り返したが、その返礼だった。話しはさらに30年前にさかのぼる。開店当初から一人の中学校教諭が常連客になって下さった。それが縁で、夫婦で中学校を訪れたことがある。その時に迎えてもらった中学生の1人と文通が始まり、やがて家族付き合いになった。