茶々を入れた

 

 妻はいつも真面目で、真剣なのに、私はどうして妻の提案を、茶々を入れたように感じたのだろう、と思った。茶々と思ったから、「やってみるがよい」と即座に突き放したわけだが、それはどうしてか、と考えた。

 それはパーキング場の一角で、長くて太い竹棹に、大きな根をロープでぶら下げようとしていた時のことだった。側を通りがかった妻が見とがめ、「一輪車に積んで運べば」と提案した。それが私には茶々のように感じられたわけだ。

 妻が、ロープでぶら下げる手間を省ける、と思ったことぐらいはすぐに分かった。第一に、「6人が関わるほど大げさな仕事ですか」と言いたげな気持ちもよく分かった。だから私は咄嗟に「やってみるがよい」と突き放したのだろう。だが妻は、いつも真剣だから、側にあった一輪車に手を出し、学生に手伝ってもらって大きな根を積み込んだ。妻はいつも真面目だから、突き放されてもそうとは気づかず、実際に「やろう」とする。そこが妻の良いところだが、なぜかいつも私は腹立たしくなる。それはどうしてか。

 重そうな根が積みこまれた一輪車を、妻は1人で運ぼうとした。そして、よろけた。そこで妻はあきらめずに、よろけ防止策として、一輪車の両側から他の人に手を差し伸べてもらえばよい、と思い付き、そう発言した。そこで私は余計に腹立たしく思った。

 妻にすれば、6人がかりで担いで運ぶより、3人で運んだ方が合理的、と言いたいに違いない。放っておけば、学生もこれに従い、3人で運び始めたことだろう。そこで私は待ったをかけた。なにも残る2人の学生が手持無沙汰になるから、と思ったわけではない。

 その3人体制で、「どこを通って、どこまで運んで行くつもりだ」と問いかけた。妻は即座に、「ゴメンナサイ」と言って引き下がった。そこまで考えてはいなかったようだ。それがヨカッタ。我を張って「どこまで運べばよいのですか」とでもくってかかって来ていたら、どうなっていたことか。

 もちろん私は、妻が我を張っていたらやらせていた、と思う。学生も従ったのではないか。問題は、広いパーキング場から90度曲がって狭い石畳道へと入らなければならないところだ。そこには2段だが階段もある。その両側には幾つかの植木鉢が置いたままになっていた。キット、その場合は、残る2人が機転を利かせ、取り除いたことだろう。かくして階段をうまく乗り切ったとしよう。そのあとは狭い石畳道だ。

 石畳道には、沢山植木鉢を並べてあったが、それらは朝一番に私が横にはずしてあった。だが、3人体制の一輪車で通ろうとすると、植木鉢をさらに遠くに置き直す必要がある。もちろんその場合も、残る2人が機転を利かせ、移動させたことだろう。

 次第に5人は要領を得て、調子づき、ホイホイと石畳道を通ってゆくに違いない。その時に、見過ごしがちになることがある。この度の場合で言えば、それは石畳道の両側に植えてある草花のことだ。それらを踏みつけにしないと、3人体制の一輪車では進めない。妻はキット、その情景がピンとひらめいたのだろう。即座に「ゴメンナサイ」と言って引き下がった。それがヨカッタ。

 もし妻が、それも「大事の前の小事」と見て強行する質の人であったらどうなっていたことか。放っておけば、5人は俊敏に動き、お祭りかのごとくに調子づいてやり遂げ、バンザイ、バンザイと叫びたくなっていたに違いない。

 かく考えながら、私は正気に戻り、6人で担いで運ぶ方式に戻った。戻りながら、何故か「やってみないと分からないだろう」という考え方について思いを巡らせるところとなった。この「やってみないと分からない」という考え方ややり方を私たち日本人は好む。それはきっと、機転が効き、ヒラメキが良い質だからに違いない。

 だから私たち日本人は、情念を動機にしたような滑り出しを好み、次々とその場その場で知恵を絞り、何とかやり遂げてしまう。それが結構うまく行くことが多い。他の選択肢があったことなど考えずに、次々と目先を上手にこなして行く。そこに禍の元が潜んでいるなんてことはあまり考えない。考えたとしても、考えあぐねるとすぐに「なんとかなるさ」で押し切ってしまう。そして、妥協を重ね、落ち着くところに落ち着かせ、苦労を共にした者同士で慰め合う。

 その苦労の課程で生じさせた弊害は「大事の前の小事」であり、「苦肉の策」であったのだから「やむなし」で片づけたくなる。そして、それが内輪の話であれば傷を舐めあう。外に及ぼした分は忘れ去ろうとする。本来ならキチンと突き詰めて清算すべきだが、清算するのが怖いのか、なかったことにして、忘れ去ろうとする。

 このいずれが、ヨカッタのか、とも考えた。つまり妻が我を張った場合のバンザイ、バンザイ方式か、それと6人で縦に並んで担ぎ、細い道を通り過ごす方式か。学生にとってはいずれがヨカッタのか、と考えた。だがすぐに結論が出た。太平洋戦争の悲劇を漣能したからだ。

 太平洋戦争も情念で始まったのだろう、と私は想像する。当時、首相が設けたシンクタンクは、この戦争は「必敗」との予測(20160316 自然計画 言わんばかりに締めくくった。小泉元首相福島講演全文)を出したという。だが職業軍人は「机上の空論」とはねつけて突っ走ったのだろう。「やってみないと分からないだろう」との考え方に引きずられ、暴走した。そして緒戦で日本中がバンザイ、バンザイと沸いたのだろう。

 それがズルズルと深みに陥れ、不謹慎な例えだが、肉弾三勇などに結び付いていったのだろう。やがて神風特攻隊になり、学徒動員や女子挺身隊へと進んだわけだ。その過程で、踏みつけざるを得なかった草花もあったに違いない。おだやかに暮らしていたいた外国のいけないうら若き女性も踏みつけたのだろう。

 ここまで思い至った時に、私は胸をなでおろした。妻の咄嗟の提案を「茶々」と受け止めた理由が分かったように思われたからだ。何が腹立たしかったのかが分かった。

 私たちは誠にまじめになって、時として不真面目なことをやらかしてしまいかねないわけだ。そして、誠にまじめになって命までかけたりするものだから、躍起になって不真面目なことをやらかしていたことに気付きにくい。

 そうした私たちの質をかねがね私は気にしていたものだから、「やってみるがよい」と突き放した態度がとれたのだろう。そして妻が、即座に「ゴメンナサイ」と気づいてくれたから、救われたのだろう。

 ちなみに、2つの大きな根(ネムとクス)は6人で担いで運んだが、残るカシの根は残して置いてもらった。そして、学生を見送った後で、私は実験をした。1人で一輪車に積み込み、運んでみた。その上で、6人で担ぐ合力方式を採用しておいてヨカッタ、と思っている。次回学生を迎えた時に、3つの根を積み上げた「仕上がりの姿」を見てもらおう。
 


私は実験をした