思わぬ嬉しいこと

 

 この1週間は、花森安治の生き方に惹かれ、わが身を卑下せざるを得ない心境で、終始しかねなくなっていた。それは先週、次の一文に触れ、週記にも引用したが、その時から始っていた卑下、と言ってよい。

 美しいものはいつの世でも、
 お金やヒマとは関係がない。
 まいにちの暮らしへのしっかりした眼で、
 そして絶えず努力する手だけが、
 一番うつくしいものを、いつも作り上げる。


 私はこれまで、大仰なライフワーク(欲望の解放ではなく、人間の解放への転換)を見定め、取り組んで来たつもりになっていた。それはまず、次代を見通すことであり、次代が容認するであろう生き方を模索することであった。その上で、その生き方を楽しくする秘訣を見定めることであった。ならば(より豊かで大きな喜びかもしれず)胸を張って提唱できる。

 結果、「日々の暮らしの芸術化」がその秘訣、と気付かされ、得意げになっていた。実に青臭いテーマに大仰に取り組み、得意気になっていたわけだ。

 ところが、花森安治はとっくの昔にそれに気づき、『美しい 暮しの手帖』作りに取り組んでいたことになる、と気付かされるにいたった。つまり、そのココロを世の中に広めようとして、美しい暮しの視覚化作業に当たっていたに違いない、と思わせられるに至ったわけだ。

 そうとは知らずに私は、拙著『エコトピアだより』で「なんと忙しいスローライフ」をサブタイトルに選んだ。また、当週も、外出した折の外は、財布を持たず、お金に触れずに済ませている。いつしか、こうした生き方ができる時空こそが、美しいという言葉が当てはまりそうだと気付かされ、得意げになっていた。ところが、花森安治はサラリッと「美しいものはいつの世でも、お金やヒマとは関係がない」と実に簡単に片づけていたわけだ。脱帽せざるを得ない。

 だから、花森安治編集長の下で、編集部長を勤めた小榑さんが羨ましかった。私も、せめて一度は会したかった。たとえ「美しさ」ついて2言3言であれ語らいたかった。

 もちろん私が想う「本当に美しい暮し」とは、世界中の人が、このココロのもとにそれぞれの土地柄に即して生きたら、次第に地球環境が復元するに違いない、という暮らしのことだ。それが、次代が容認する生き方であり、世界中のすべての人がこの生き方に取り組めば、人類が荒廃させた地球環境を次第に復元する生き方のことだ。そして、このココロとは、突き詰めれば、それぞれの土地柄に即して編み出されていたかつての基底文化と相通じる不文律、といってよいだろう。

 このような想いで、私にとってこの世で一番美しい暮らしの1つをつくり出したくて、日々の営みを重ねてきた。その過程で、眼力を磨くことの大切さと、絶え間のない努力が求められることに気付かされている。と同時に、その眼力や努力は特別なものではなくて、誰しもが両親から引き継いでいるに違いない潜在能力の発露であり、発見に過ぎない、と気付かされている。

 実は当週、京都府があと押しする美術工芸展を覗きに行ったが、この想いと関係があった。結果、2〜3を除き、そこに見出したあらかたの成果物に、かなりの無理や苦悩(作為が源泉)を見出しており、やや息苦しかった。もちろん作品の是非や善悪を問題にしているのではない。その成果物が生み出される課程や動機が気になってならなかった、ということだ。

 芸術の世界では昨今、「生の芸術(アールブリュイット)」が注目されている。あるいは、「モダーンプリミティブ」に心惹かれ続けている人も今もって多いことであろう。

 これらは、乱暴に言えば、成果物が生み出される課程や動機にこそ特色がある。自分のココロが命ずるままに一心不乱になって、両親から引き継いだ潜在能力を発露することであり、その発見や自覚に過ぎず、他人や歴史などから解放されている、と言ってよいだろう。

 そもそも、近代絵画とは、印象派から始まったとみられているが、その根本は「自分の眼」をモノサシにしたことだろう。それまでは王様や神官など「ひと〈他人〉の眼」を気にしており、それをモノサシにしていた。いかに気に入られるか、といった具合に、相手のモノサシに合わせていた。

 もちろん私もその一人であり、「これでいいのかな」と心配しながら日々を過ごしてきた。やがてアホラシクなってしまうのではないか、と不安さえ抱いていた。その想いを、花森安治はサラリッと、次の短文にまとめたのではないだろうか。

 まいにちの暮らしへのしっかりした眼で、
 そして絶えず努力する手だけが、
 一番うつくしいものを、いつも作り上げる。

 実は、こうした時や、いても立っても居られないような心境にされた時は、私は地べたにへばりつくような単純作業に取り組み、心を落ち着かせてきた。それは、かつては逆のことをして、多々新たな反省材料をこしらえた体験の上に基づいている、

 だから無性に除草に取り組んだ。時々背を伸ばし、視界を限りなき遠方に求め、また地べたに視線を移し、背を丸くして除草に励んだ。

 その私に妻は気付いたようだ。近寄って、語り掛けて来た。

 「今年は、私の手は少しも荒れていないの」といって、まず手を差出した。使い込んで骨ばった手だが、草ぬきに当たっていないから、すべすべしていた。個展までに1カ月を切り、しかもそれまでに小さな写真集も計画しておれば、その写真集に小さな試みとはいえ、新たな試みも盛り込んでおり、多忙のようで、庭仕事にはまったく手を出せていなかった。

 だから、すべすべした自分の手を卑下したかのようなことを口走っていた。そこで私は逆に、私が卑下している訳を「まいったなア」と切り出し、花森安治の言葉

 まいにちの暮らしへのしっかりした眼で、
 そして絶えず努力する手だけが、
 一番うつくしいものを、いつも作り上げる。

 を引用して示そうとした。その時だった、妻がポツリッ、と語った。「それって、今の孝之さん、地で行ってるのと違いますか」