「人害」

 

 首相は「侮辱された」と憤り、森友学園の籠池理事長を国会喚問に呼び出し、証言させておきながら、その後は実にみっともない。卑劣で、醜い。女々しい。

 過日、籠池理事長は野党議員の訪問に応じたが、首相夫人から100万円の寄付を「夫からです」といってもらった、と発言した。これを知って、首相が「侮辱された」ことになると怒り、偽証罪が伴う国会喚問に呼び出して、そこで改めて証言させよう、となったわけだ。これはよいことだ。ウソを言い放題にしておいてはいけない。

 問題は、かねてから首相夫人が、「こちらの教育方針は大変、主人も素晴らしいと思っています」と、語ってきたことや、首相自身も籠池理事長について「妻から先生の教育に対する熱意は素晴らしいと聞いています」と語ったりしたことが知られていたことだ。そのころに、この2人はどう動いていたのか。籠池理事長は国会喚問で「神風が吹いた」ように感じた、と答えている。また夫人は、問題が沸騰するまでの間に、何度か森友学園を訪れており、新設する小学校の名誉校長を1年6カ月にわたって勤めていた。また、設立寄付集めに首相の名が使われていたが、ともに急遽、使用を止めさせている。

 その教育方針は、といえば、言語道断だ。国民を臣民に仕立てる「教育勅語」を園児に暗記させ、唱和させたり、「日本を悪者として扱っている中国、韓国がココロを改め、歴史教科書で嘘を教えないよう、お願いいたします」と園児に悪しき刷り込みをし、叫ばせた上で、「首相ガンバレ、安保法制国会通過よかったです」と言い加えさせたりするものである。

 こうした事実が世間にも知れわたり、沸騰すると、夫人や首相は態度を急変させたのだろう。籠池理事長はそのころの変わりようを、国会喚問で「手にひらを返したように」と、表現した。

 問題が露わになった時に首相は国会で啖呵を切った。「私自身や妻が森友学園の国有地の売却や小学校設置の認可に関わっておれば職を辞する、議員もやめる」との明言だ。さらに、「まったく関与していない」との歯切れよい全面否定の言葉も発した。この発言で首相は、籠池理事長との関りがまったくないかのような印象を国民に与えたかったのだ、と私は勘ぐった。

 案の定、籠池理事長は国会での喚問に応じ、「偽証罪が待っていますよ」との注意を促された上での証言で、「人払いをした上で100万円を下さった」など詳述。その断言は、その道の専門家から具体的で迫真性があった、と評されている。また、内閣総理大臣夫人付きの肩書で政府職員が、籠池理事長宛に発したファックスも紹介された。その電信には夫人にも報告済みと記されていた。

 すかさず夫人は、籠池理事長宛に「100万円の寄付などしていない」と電信で反論。首相も総理大臣夫人付き職員のファックスは職員独断のファックスであったと説明したり、その内容は「ゼロ回答」であったと強調したりした。いわば全面否定。白の主張。

 当然、野党は「夫人も、籠池理事長が応じたように、偽証罪がともなう国会での喚問に応じるべきだ」と訴える。だが、首相は詭弁を弄して応じず、逃げ回っている。逆に、国家権力で籠池理事長のアラ探しに取り組み、ことの本質をはぐらかすことに躍起になっている。卑劣で、醜い。

 そもそも本件が露わになった時の、首相の反応がオカシイ。すかさず、本件の核心に自身や夫人が関わっていたことになれば「職を辞する、議員もやめる」と、歯切れよく明言したことだ。「アヤシイ」と、私は睨んだ。誠実な人をたぶらかす結婚詐欺師の常套話法ではないか、と見た。つまり、相手の誠実さを愚弄するような論法、といってよい。相手が「そうあってほしい」と信じ込みたくなることをすかさずに言い切り、鵜呑みにさせ、よろしき忖度をさせようとする論法だ。いわんや首相の発言だ。国民は「首相ともあろう人が、あそこまで言い切るのだから、信じたい」と思いたくなる。首相もそれを期待していた、と私は見たわけだ。

 さもなければ、首相が歯切れよく語らねばはならない言葉があるからだ。「妻に、国会喚問に応じさせ、証言させる。その上で、いずれが偽証であるのかを明らかにしたい」「そのために余計な時間だけでなく、国税まで投じることになるが、真偽を明らかにさせてほしい」と国民に訴えるべきだ。

 夫人はウソが言い放題の、つまり偽証罪が伴わない方法での発言に終っている。

 何のために籠池理事長を国会喚問に呼び出し、証言させたのだ。大問題は、総理大臣の言葉の重さである。その信頼性の有無が問われているのだ。

 そうはせずに、本件が些末な問題であるかのごとくに振る舞い、重要法案が控えている云々、と叫ぶのは卑怯だし、醜い。下品な言い草だが、首相が云々をデンデンと読み替えるなどのわずかな時間でさえ、何十万円どころでない国税を空費させているはずだ。いわんや、首相が最も急いでいる法案はいわゆる「共謀罪」法案だ。園児に「教育勅語」を刷り込む人との関係を明らかにする前に、むしろそれを曖昧にするかのようにしてまで急ごうとしている。このこと自体が怪しい。

 信頼性が疑わしい政府や首相に「共謀罪」のごとき法案を造らせ、握らせたらどうなるか。政府や首相にとって都合の悪い人は次々と拘束され、口を封じる手立てにも活かされ、闇に葬られかねない。敗戦日までの日本のありようを思い出せば、すぐに分かることだ。平和を唱える人はもとより、内輪で平和を願っていたと密告されただけで、危険思想としてひっとらえられた。

 問題は、首相や夫人が、園児に「教育勅語」を刷り込む教育をして来た人をどう見ていたのか、にある。少なくとも夫人は(その言語道断の教育方針を貫こうとする構想を)高く評価し、名誉校長として1年半にもわたって名前を使わせていたことだ。

 その後、野党議員は、籠池理事長が総理大臣夫人付き職員に当てた手紙を新たに入手したようだ。その手紙とファックスとを突き合わせると、首相は「ゼロ回答」と強調したところが、むしろ「満額回答」であったことになる、と指摘している。

 かねてから首相は、野党の歯切れのよい突っ込みなどに対して、レッテルを張るようなことはするな、と非難してきた。その首相が今、「籠池理事長は信頼できない人だ、嘘つきだ」とのレッテルを張ろうとして汲々としているかのように見える。女々しい姿ではないか。

 それはともかく、首相は今、自ら進んで、国民が納得できる形で信頼性がある人であることを明らかにしなければならない。その最も簡単な手立ては、夫人をすかさず国会喚問に応じさせ、証言させることだ。そうせずに、時間を稼げばかせぐほど、それだけであらぬ憶測の原因になる。

 それだけにとどまらず、籠池理事長を偽証罪で告発するなどと息巻いたり、国家権力を駆使してアラ捜しに躍起になったりしているが、それは国税の垂れ流しと時間の空費に過ぎない。しかも、この告発は、国会の権限であるにもかかわらず、政府が口を挟む異例さだ。つまり、これまでの実務上の「全会一致の原則」を無視し、3分の2以上の多数で押し切ろうとしている。力に任せのやり方だ。

 だから、自民党の中にさえ「籠池氏は、ウソつきだ」とのイメージ操作をすることで「脅し」をかけようとしているのだろう、と見抜く議員が現れている。

 かつて首相は、再三にわたり「私は立法府の長」と発言し、まるで総統気取りだった。現実も、独立性が求められるさまざまな機関や組織の長や要職の座に、息のかかった人を投入し、その力を実質上で手中に収めたようなことになっており、顰蹙を買い、疑問視されている。

 その陰で、原発問題では巨額の損失を抱え込ませたり、福島の復興を遅らせたり、あるいは原発再稼働を促させたりしている。これらはすべて首相のココロの内の忖度がなせるわざ、と言ってよいはずだ。首相があの時に「オリンピックどころではない。国を挙げて福島の復興だ、脱原発だ」と叫んでいたら、すべてはなかった話しだろう。

 決して私は首相を非難したいのではない。むしろ逆だ。「首相、気を付けてください」と言いたい。「首相、目覚めてください」と言いたい。さもなければ、また日本に、ババを引かせかねませんよ、と言いたいだけだ。