昼食は何処に誘うべきかと迷い、ご希望を伺うと、、ドイツ風ビアーガーデンで、との回答だった。私はドイツ風ビアーガーデンを紹介してもらえるものと期待した。
博物館の出入り口で落ち合ったが、まずそのいでたちにビックリした。レストランに出かける雰囲気ではない。後を追うとやがて都市公園施設に踏み込んだが、その時はさらに驚かされた。ビアーガーデンなどその先にありそうもなかったからだ。ついに知人が「ここで」と言って、公園の一角で立ち止ったが、その時には既に、私はすべてを理解していた。
木のテーブルの上に、知人が手作りしたドイツ風の昼食が並んだ。
「ビールは発泡酒だけれど」と話しながら知人は保冷バッグを開き、「しまった」とつぶやいた。「コップを忘れて来た」「洗って干しておいてあったんだが」と、続いた。
ここでやっと私は発言した。「拭いて、一緒に(保冷バッグに)詰めておいたらヨカッタんですね」と。自分がよく犯す失敗の反省だった。私も吹かずに自然が乾かすのを待つほうだ。
「5分に5分。10分です。待って(い)てください」と言うが早いが知人はアパートに取って返し出した。「お待たせ」との声は10分もしたころに聞え、15分後に乾杯となった。
「缶のまま飲むのは嫌いでね」
同感だ。
幸いなことに通りがかりの人が一人、自転車をとめ、レタスとキュウリを下さった。幾人かの人が通りがかったが、声をかけたのはこの人一人だった。場はすこぶる好ましいのに、ここらあたりの人はドイツ風ではないし、ドイツの気風は感じられない。
歓談は実に爽快だった。コール元首相の死を知らされ、話題は広がった。おかげで、ゴルバチョフの再認識、プーチンの葛藤、あるいは欧州諸国のわが国を見る目(報道)など、話題は尽きなかった。知人は、ベルリンの壁が崩壊する時期は永住許可書を有してドイツに滞在し、東ドイツにも自由に出入りする資格も持ち合わせていた。
この小旅行は、酷い茶番劇を観たうえでの出発であった。ことここにいたれば「辞めて当然、消え去っていて当然の人」がウソをつきまくるならまだしも、大勢の人にウソをつかせ、真実を追求しようとする人は茶化すなど、酷い茶番劇をこの目で見た上での出立だった。
「聞いた」と遅ればせに(時間稼ぎをさせた上で)吐露させた組織に対して、聞かせた立場の組織には「言ってない」と(手筈通りに)言い張らせ、その上で「両方とも立派な組織なんだから、これ以上は水掛け論になってしまうだけ(税金の無駄遣い)、要は私は一切関係ない」と言わんばかり結末にしてしまった。その傍らで、世にも恐ろしい法案が通ってしまった。
思えばこの茶番劇は「ナチスのやり方に学んではどうかネ」との副総裁の提言に始まり、ヒトラーの腹心ゲーリングの悪しき至言「ヒトは、身の安全がこころもとなくなれば、容易に自由や人権を投げ捨てるものだ」を形にすることで終わったわけだ。
ここらあたりが、同じ敗戦国だけど、随分違うなあ、と脱力感に苛まれながらの出立だった。ドイツには、たとえことがここに至っても、まだ希望を抱ける余地がある。憲法裁判所があるからだ。憲法裁判所は独立性を誇っている。だからドイツ国民は一縷の望みをつなぐことができる。
「この世にも恐ろしい法案」を「憲法裁判所が『可』とするはずがない」との望みを抱くことができる。もし、憲法をかえるなら、独立性の高い憲法裁判所を創設するなど、民を主とする改正に取り組んでほしい。
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