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 逃げ切れる世代の退院 17/07/23

 病室で迎えた日曜日。退院は翌日(経過が良好)と知らされていた朝一番に、「よき日々であった」と過去1週間を振り返りました。窓辺の盛花を眺めながら、「元はこのように、クリアーに見えていたわけだ」と感激。手術直前に、大げさですが、母からもらった水晶体を捨てるわけですから少し戸惑いました。しかしGo! なぜかベトナムのクチで見た厳しい野戦病院などを思い出したのがヨカッタ。

 おかげで1週間、モーツアルト漬けになれただけでなく、NHKラジオの「深夜便」にもアプローチ。ロッシーニやシューマンの旋律も楽しめましたし、シューマンとブラームスの間柄も分かりました。また、絵本作家の大成裕子も知るところとなり、その人となりにも触れたおかげで、その昔「逃げ切れる世代」だと自覚した頃の心境まで思い出し、シンミリと当時を振り返り、反省もました。

 目は、単眼であれ終始使えましたから、タップリ読書。宗教史の概観などにとどまらず、モリとカケを振り返ったり、わが国の戦後の政権のありようを紐解いたり、その余勢を駆って岸信介の謎にも一歩踏み込みました。結果、無知を恥じながら、現政権に対する昨今の世間の厳しい評価に感心です。おかげで、池田勇人の「貧乏人は麦を喰え」に素直に反応できた当時の自分を、改めて幸せに思い、そのココロを振り返りました。妻は2度の通院を差し入れに充てました。最初は庭のタケノコの佃煮など。2度目はイチジクやトーモロコシの初成り。これらがなぜか、この人生のご褒美のように思えたのです。ついでに1つの決定も下し、退院後すぐにでも形に、と考えました。月曜日の午前中に、晴々と退院。

 庭に出たのは翌火曜日の朝です。淡水魚の餌やりでした。妻に「オタマジャクシにも」と頼まれました。モリアオガエルだけでなく、別種(?)も元気です。後藤さんに、入院前に川エビなどをもらいましたが、犠牲も出た、と聞かされていました。生きもののその後がとっても気になっていたのです。庭を巡りながら、草刈りがしたい、野菜の手入れもしたいと思いましたが、雨にもたたられ、屋内で英気を養う日にしました。妻は朝採りの収穫物を「ホレッ」と見せました。入院中の、ある文化的事業の作業は、実行委員の皆さんに進めてもらえていました。その交信にも時間を割きました。夕刻、寝る前に、妻に洗髪してもらい、翌朝からほぼ普段通りの洗顔を始めました。もちろん日に4回の点眼を繰り返しています。

 「やっと快晴に恵まれた」と喜んで畑に出たのは水曜日。まず、雨後のごとき朝露にビックリ。次いで猛暑に閉口。デイリ―ルーチンを終えると早々と引き上げました。夕刻まで妻は外出。昼は久方ぶりに自炊。と言っても、ソーメンを湯がいただけ。やおら4時から庭に出直し、草刈りから手を付けました。そのうちに妻が帰宅。身支度を整え「参戦します」。これに元気づけられ、追加のネギ用に短い一畝を耕しました。すべて立ち枯れたバジルの跡です。ブヨに閉口して7時に切りあげると、妻は餃子作りにとりかかっており、「よくできたの」とニラを自慢。私は、丸1週間の断酒を振り返りながら、ビールから楽しみ始めていましたが、この日からジンベースもナイトキャップに追加です。ハヤトウリが「ツルを伸ばし始めていたなあ」と思い出していると、TVで近畿の梅雨明け宣言が流れました。

 どうしてわが家ではモーツアルトを聞かないのか、と分かったのは翌朝です。ヒグラシの鳴き声に始まり、ウグイスやスズメが賑やか。ニンジンボクの青い花。知人の手紙で学んだバナナにココナッツ油を垂らした香り高い味わい、と重なりました。この日から朝飯前の畑仕事。まずわが家流の藍が定着するかも、と喜びました。入院中に妻がインゲンマメの種をポットにまいていましたから、その苗を畝に下しました。この日は陽が傾くのを待ち、また畑に出て、ハハヤトウリにも備える新式支柱を立てた上で、トマト、キュウリ、あるいはトウガラシなどの整枝。かくして夏バージョンの庭仕事が始まったたわけです。

 ソーラー発電に備えるバッテリーの設置を、金曜日に契約。週末はこれから、1日繰り上げたウイークリールーチンを済ませた後、エネカンの年次総会に参加します。「畑はなんとか、人の手が入った畑らしくなった」と1週間を振り返り、世の中まで透けて見えそうな目を大事にしたい、と思いました。
 


窓辺を盛花が飾った

そっと眼帯を外した時

外界も手に取るようになった
事情があって入院予定を知らせた親友に、入院翌朝に夫人連れで見舞ってもらえ、窓辺を盛花が飾った。その美しさを改めて知ったのは両眼の手術を終えた翌日。そっと眼帯を外した時外界も手に取るようになった。病室から最後にかけた電話もこの友人。「ありがとう。明日もう一度、訪ねようと思っていた」。返事は、「この手術は、早くした方が良い」


絆創膏でとめていた2つの眼帯を輪ゴムで細工

モリとカケのおさらいした
前もって読書は可と聞いていたので、絆創膏でとめていた2つの眼帯を輪ゴムで細工。看護婦さんに褒められた。この目で、明治維新の新説、恐竜の前に栄えた単弓類、あるいは氷についての勉強に加え、モリとカケのおさらいした。つくづく、よき日本人(あってはならないと思う日本人)を食い物にするシステム(事実を隠蔽し、あってはならないと思う心につけ込む印象操作を重ね、猛進させる風潮、)に戦慄を覚えた。それは「逃げ切れる世代」の一員であるだけに、深刻に思えた。


庭のタケノコの佃煮

初成りのイチジクやトーモロコシ
まる一週間、禁酒を守り、病院食は完食。経過も良好。それは庭のタケノコの佃煮や、初成りのイチジクやトーモロコシなどの差し入れのオカゲもある。それにもまして、ある文化事業が実行委員の皆さんのおかげで着々と進んだ様子の報告が励みになった。


大雨におびき出されたサワガニの死

川魚の餌付けは成功

イラクサが花をつけ
大雨におびき出されたサワガニの死。入院直前に後藤さんにもらった川エビは死に絶えたなど、生きもののその後が気になった。退院後は、まずそれらの点検。先にもらった川魚の餌付けは成功。カフェテラスの水槽の水替え鉢で2匹のキンギョが孵っていた。他の分は、ジョウロで汲み出されてしまったか、水槽でキンギョの餌になったのだろう。2つのモリアオガエルの卵塊から孵ったオタマジャクシなのに、大きさが極端に異なり、別種(?)と私は見た。苗を植えて出たネギが伸び、イラクサが花をつけハスが蕾をあげていた畑の入り口で、草刈りがしたいと思った。まずどこかで「ヤッタ」との気分になりたくて、ギョクシンボクの周辺で草刈りを始めると、妻が出て来て側で草抜きを始めた。「ならば」と、3番目のネギの畝を作った。それはハヤトウリのツルの手を入れでもあった。

ハスが蕾をあげていた

畑の入り口

草抜きを始めた

3番目のネギの畝を作った


早朝のうっそうとした緑

2種のニンジンボクの青い花
早朝のうっそうとした緑2種のニンジンボクの青い花。これは蜜源。ヒグラシに次いで、スズメのヒナの鳴き声。ブルーベリーの実の収穫が始まっていたが、まだ私にはスッパイ。新たに2色のカーネイションが。妻が「ホレッ」と見せた朝採り。この日、(入院前最後の来客が贈ってくださった)バナナに垂らしたココナッツ油の香りや、夕餉には、(剣山で種を手に入れた)2種めの原種のトーモロコシの味も楽しんだ。この日、オクラの初収穫。

2種のニンジンボクの青い花

朝採り

バナナに垂らしたココナッツ油の香り

2種めの原種のトーモロコシ


自生化しているマルバアイ

野生のタタデ

わが家流の藍
自生化しているマルバアイに加え、野生のタタデと交配したわが家流の藍も元気。次年度から、他の場所でも自生するようにしたい。


新式の支柱

ハヤトウリ

今が旺盛なツルクビカボチャに備え
昨年はベニシダレサクラにハハヤトウリを登らせてしまったが、今年は畑の中で納めたくて、新式の支柱を立てた。ハヤトウリは晩成だから、先ずこの支柱は今が旺盛なツルクビカボチャに備える。ハハヤトウリは、ツルクビカボチャの収穫を終えた頃から旺盛になるもの、と見ている。