大勢の知人に立ち寄ってもらえた
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喫茶店を造った価値の1つは、旧知の友人に立ち寄ってもらいやすくなったこと。胸を張ってお茶を振る舞える。だから私は、喫茶店で1つの特権と、1つの記録を維持している。もちろんそのご褒美にもあずかっている。 当週最初の立ち寄り客は、今もジーンズ業界で現役の佐伯さんだった。私は、日本でのジーンズの普及に随分関与したが、この面(ジーンズの健全な普及を期待する面)で、今もとてもあてにしている佐伯さんに立ち寄ってもらえた。お土産持参で、私はお茶代を持たせてもらえず、しかも津の吉の「恵方屋台」に案内し、祝儀買いもしてもらった。 その佐伯さんの第一声は、過日の朗読劇に参加できなかった詫びであり、恐縮した。それだけに、かつてジーンズは「さまざまな運動(女性解放、自然保護、動物愛護の運動や公民権運動など)のシンボルだった」だけに、「是非とも倉敷(わが国ジーンズの発祥地であり、シンボル的存在になっている)でも公演を」と願いたかった。 おりしも(11/16NHK-TVクローズアップ現代で)太陽光発電の電力が石炭発電を下回った(1976年時点の$79.40/Wから、2016年には$0.40に、と役193分の1に下がった)とゴア元副大統領が証言していた。と言うことは原発よりはるかに安いわけだが、自然エネルギーの宝庫である日本こそ、頑張りどころだ。この運動の「シンボルとしてジーンズを活性化」してほしい、と願いながら見送った。 他にも、巡り合うといつも決まったテーマで駄弁りはじめるのが常である旧友に次々と立ち寄ってもらえた。2人目は、このままでは破綻するのが必定の世の中を皮肉りあった。パナマ文書やパラダイス文書ではないが、部分では成り立つ強欲だが、全体では成り立たないのに、部分に夢をかけた狂奔する事例が多発している。この指摘から始まった。これらの隠匿資産が一気に貨幣となって世の中に出たらどうなるか。行き着く先は、人間の定義をし直さなければ収集がつかないだろう、で収めた。 その潜在的危機意識が、パナマ文書やパラダイス文書に日の目を見させたのだろう、と思う。それにしても、その組織化に取り組んだ(67社かの)ジャーナリズム精神に、安堵した。 昨今は貧富格差が、つまり拝金思想に基づく二分化が危機的状況に達している。裏返していえば、これは何かを犠牲にしている。その犠牲にしている何かを解消するために、何が求められるか。それが分かり切っているだけに、戦争でごまかそうとする人をはびこらせかねない。その二の舞だけは願いさげたいが、日本は、悪しき方向に導かれている、とも語り合った。この軋轢の矛盾があらわになった現象が難民問題であり、ファシズムの台頭だろう。 3人目は、過日の朗読劇に参加してもらえた人で、佐伯さんとの話題の続きともいえそうなことが話題になった。私はその時の挨拶で、「自然(再生)エネルギー(の普及)は、エネルギーの民主化」と切り出したが、これにたいする「コメントを一言」といって立ち寄って下さった。その一言「森さんが言うとおり、原発(の推進)は確かに、エネルギーのファシズムだね」のおかげで、なぜかとても救われた気がした。それが、友人へのあるメールを綴らせた。 4人目は、わが国の会計検査院にたいする期待だった。「カケ」や「モリ」問題で、文部省の二の舞にはなってほしくない、と願った。文部省も、選挙結果に負けたのだろう。振り返ってみれば、どちらに転んでもよい準備万端で、ジェスチャーでもあったわけだ。会計検査院も、まだその余地がある。真っ黒の話を、証拠隠滅で白にさせるようなことがあっては示しがつかない。頑張ってほしい。 真っ黒であることを自ら実証している人を、白かのごとくに見逃してはならない、と4人目の友人はお怒りだった。仮に、灰色であったとすれば、潔白を示さなければいけない人だ。国民に愛国心を強要し、己の意に反する(と思った)人をなぶり殺しにできた法律の復活を推し進めている人だ。その上に、憲法の改変まで意図している人だ。潔白を証明しなければ示しがつかない立場だ。さもなくば、すでにファシズムの浸透だ。潔白を証明してほしい。 潔白を証明するには記録が必要だ。この場合の記録は役人が作製した記憶だ。潔白ならそれを示せば済む。役人は関わった公的作業では事実をすべからく記録し、国民のために守り、必要に応じて国民に示さなければならない。現憲法は役人にその立場を求めており、だからその身を税金で守っている。 その役人が「記録していない」とか、「記録を失った」と言えば職務怠慢甚だしい、では済まない話だ。不正を疑われた議員などはたまったものではないだろう。「疑われるだけでも片腹痛い立場ダ」と烈火のごとく怒りたくなるだろう。 「記録を出せ。そして国民に示せ。それが諸君の職務だろう」と迫らなければならない。そう迫っても役人が記録を出せなかった場合は、厳罰に処さなければならない。その厳罰のほどを見て、国民はその議員が「黒とは言い切れず、灰色程度の照明はしたようだ」と程度で終える。煮え切らない気持ちを残したコトの納めかたになる。 このたびの「カケ」や「モリ」問題では、その烈火の怒りが見られなかっただけでなく、憲法に反して、「記録していない」とか、「記録を失った」と言い放った役人を無罪放免にしただけではなく、異例の栄転までさせている。つまり、真っ黒であることを自ら認めた人が、憲法改変をデンデン(云々)している、とお怒りだった・ |
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2016年には$0.40に、と役193分の1に下がった |
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