「子どもたちの子どもたちの子どもたち」

本と出会っても、ほとんど積ん読か、斜め読みで終わってしまうのだが、最近、
そうできない本に巡り合った。休日になると、なかばうたた寝しながら、ゆっく
り、ゆっくりとこの500ページを超える分厚い本を読むのが、この2ヶ月ほどの
一番の楽しみだった。本のタイトルは、「一万年の旅路 - ネイティヴ・アメリ
カンの口承史」である。

ほのぼのとした物語、深くうなずける知恵….屋久島に住む作家の星川淳さんの
翻訳だが、とてもよくこなれているので、自然に流れるように文章が入ってくる。

1万年どころか、どれくらい古いかも分からない時代、アフリカにいた頃からの
口承を受け継ぎ、一つの民としてのアイデンティティを保ってきたイロコイ族の
生き方は、大きな示唆を与えてくれる。

変わり続けることが生き延びる道だと理解し、「学び」を最大の意義とし、「子
どもたちの子どもたちの子どもたち」の為に理想の地を探すという強い目的意識
をもって、安住の地を捨てて、何も持たず旅を続ける彼ら。

 ふと、思う。私の子どもたちの子どもたちの子どもたちは、私のことをどう言
うであろうか?

「ふう、まったくよう、ひいじいちゃんたちが、世界中で放蕩三昧して、余計な
ものばっかり作ってくれたおかげでよお、世界中、熱くって住めない場所だらけ
だし、食べ物はロクにとれねえし、危ないゴミがそこいら中に置きっぱなしだ
し、みんなガンで早死にするし、子供は滅多に生まれねえし、一握りの金持ちが
世の中牛耳ってて虐げられた気分だし…。まったく、恨んでも、恨みきれねえぜ!!」

こんな愚痴が言えるようだったらまだマシかも知れない。(ただし、誰にも8人い
る曽祖父母の名前をちゃんと覚えている人は殆どいないから、名指しで恨まれる
可能性は少ないと思う。)

 先日、森孝之さんとほぼ2年ぶりでお会いした時、彼はこうおっしゃった。
「商社はねえ、100年先の国づくりを考えて仕事せなあかん。」
森さんはたまたま会社の大先輩であるが、こんなご時世に、こんなことを言って
くれる先輩がいると言うことは大きな励みである。

 また、この前、佐藤文彦さんと渋谷で飲んだとき、彼は、こう言っていた。
「あまり金にならねえけど、子供のことを真面目に考えると、こうやって生きる
しかないんだよなあ。」

 こういう事から私が得た「学び」はこうである。

ちゃんと自然と調和して生きている人は、「子々孫々の為に」というビジョンを
もって今を生きることができる。

 私は決して子煩悩な親でも博愛主義者でもないが、せめて「世の中の役にたっ
てなんぼ」という仕事の世界では、こういう考え方でやって行きたいと思うので
ある。




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