選挙終わって秋田を200キロ歩きます 03/11/30
気が付けば、7月以来更新できませんでした。
どうしても、頭の中が政治、政治していく中で、このサイトに向けたものが書けなくなっていきました。
社会に不可欠なものですから、自然に政治や選挙を語れるといいのだろうと思うのですが、情勢が常に流動的で、なおかつ精神的に高揚する状態が続くので、結局書けなくなってしまいます。
さてさて、生まれて初めて、選挙というものに出ました。生まれ故郷の秋田に急遽戻って、出馬宣言して、事務所借りて、いろんな方にお手伝いお願いして、演説して、握手して回って、選挙カーに乗って……….。
目まぐるしい50日が過ぎたら、何か、人生の様相が変わっていました。内面的にも少し変わった様な気がします。
家庭環境のお陰もあって、私は子供の頃から自立心がかなり強い方でした。サラリーマン生活の中でも、誰かに強く依存して生きているという実感をもつことはなかった。「お陰さまで」という言葉は、頭ではわかっているものの、どこか白々しく、現実感のない言葉でした。
水も空気も食料も人間は自らの手で作り出すことは出来ません。農業は食料を作っているというよりは、食用植物が育つ手伝いをしているというのが適切です。生きるという事はどうしようもなく自然のシステムに依存しきった営みです。にも拘わらず、過度に自立心をもってしまうのは、やはりバランスを欠いています。
さて、選挙の中では、「自分ひとりじゃ何にもできない」という現実を嫌というほど突きつけられます。特にお金のない私は、人に無償で動いてもらうしかない。嬉しいことに、動き出した人達は、私の期待を超えてゆくのです。
「わぎゃものででけで、ほんとにえがった」。(若いのが出てくれて本当によかった。)
「おめどご赤絨毯踏ませるまで、死ねね」。(お前に赤絨毯踏ませるまでは、死ねない。)
こんな言葉を何度もいただきました。私は笑って応えます。
「じゃあ、落ち続けたら、長寿の村ができますね」。
正直、決まるまでは胃に穴が開くような日々を過ごしたのですけれど、今振り返って見ると、しみじみ思います。本当に出てよかった。
気が付いてみたら、人生で初めて、失業して、浪人の身となりました。まったく先行き不透明ですが、心の中はとっても豊かで満ち足りた気分です。
折角時間だけはあるのだから、この思いを行動に移してみたい。まずは一番やりたかったことから始めようと思いついたのが、十和田湖から男鹿半島まで200キロを歩くという事でした。
時間のないドタバタの選挙でした。今、時間だけはある状態になったので、一番丁寧に土地と対話したい、そんな思いの行脚となります。
12月3日十和田湖の乙女の像スタートで二週間後に男鹿半島の先端、入道崎にゴールする予定です。
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