「千葉のイスキア」01/07/31

人事部長に声を掛けられて、突然千葉の富浦に出張に行くことになった。事前に
資料を渡されたが、目を通す前に召し上げられてしまったので、どこに何をしに
行くのかまったく分からずに、言われるままに内房線に乗った。

富浦駅に着くと迎えが来ていた。そのまま車に乗りこみ、道の駅や、オーナー制
度をやっているメロンの観光果樹園や花園等を説明を受けながらまわることとな
る。業種の違う会社で働いているのに、目にする仕事の光景はこの3年以上まっ
たく変わらないことに気がついて唖然とする。

昼食は、近所の福原さんという農家のお宅で頂くということで、大きな民家に案内していただく。
築300年だそうで、今は離れとして使われているらしい。
「じゃあ、これから川にカニをとりに行きましょう。」
到着するやいなや、ご主人に言われるままに、靴下脱いで、サンダルはいて、スーツのズボンを捲り上げて川へ向う。

「川に入るのなんて何年ぶりだろう。」
同僚のもらす声が聞こえる。気分はすっかり田舎の夏休みである。
福原さんが前日仕掛ておいてくれた籠を引き上げると、中には20匹ほどの上海ガ
ニが入っていた。

家に戻って、カニを鍋にかけ、皆で食卓につく。そうして、気分がすっかり和ん
で話に花を咲かせていると、段々と「この夫婦、タダモノではない。」という思
いが増してきた。この農家には、民宿を営んでいるのでもないのに、昨年の夏
は、延べ170人も泊まっていったのだそうだ。

旦那さんは、自称出稼ぎで、ウィークデーは都内の私大で教鞭をとっている。ゼ
ミは随分と風変わりな様子で、知識の詰め込みは殆どなされないようである。ま
た、ご自分が苦学生だったので、そうした境遇の学生にはとても親身に世話をさ
れるようで、挫折しそうな学生を見ると「俺んち来いや」といって、ここまで連
れてきてしまうのだそうである。来た学生は、大きな農家の屋敷の中で、ただボ
ンヤリと過ごして、奥さんの料理を食べて、元気を取り戻して帰っていくらし
い。そういう人達は、自分の故郷のように思って、何度もやってくるようだ。そ
の他に、夏休みには、小学生のグループも受け入れている。大人も子供も自分の
心の内を奥さんに語って、すっきりして帰るらしい。

奥さんが嫁いだ頃、旦那さんは大学院生で東京にいることが殆どだったそうだ。また、結婚の前後3年ほどで、他の家族が全部亡くなってしまった為に、奥さんはここに殆ど1人で住んで、旧家を切り盛りしていた。
その間、3人の子供を生み育て、途中、旦那さんの留学に連れ添って2年程ドイツで暮らしたこともあるそうだ。

因みに、タイトルのイスキアは、青森の弘前にある「森のイスキア」からとって
いる。佐藤初女さんが運営する施設で、龍村仁さんの「ガイア・シンフォニー」
で紹介されて広く知られるところとなり、「癒しの時代」の一つの象徴となっ
た。日常に疲れたり、心に傷を負った人達が全国から集まってきて、初女さんの
作ったご飯を食べて元気を取り戻して去って行く。東京の近郊にもそんな場所が
あるんだと嬉しくなった。

「夜になるとねえ、駐車場に大きいビニール・シートひいて、皆で仰向けになっ
て流れ干し探すんだよ。」奥さんが言う。
「いいですね。子供達に天の川や流れ星を見せたいといつも思っているんですけ
ど、なかなかかなわないんですよ。」
「あら、ここに連れてきなよ。」
「いいんですか?」




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