「負けるが勝ちのエコマラソン」01/09/07
エコマラソンのホームページ
グローバリゼーションが加速するなかで、「勝ち組、負け組」という言葉が日常用語になった。ウチの会社はどうなんだろう?なかなか苦しい。
ちょうど1年ほど前、「勝ち組サラリーマンの法則」というようなタイトルのノウハウ本を目の前にしてこんなこと言っていた。
「なああんか、嫌だなあこういうの。俺たちゃ『サラリーマン、負けるが勝ち』ってな本でもだそうか。」
これは、自称「壁ぎわ族」(若手窓ぎわ族)のたわ言に過ぎないが、勝ち組より負け組の方が圧倒的に多いのでマーケティング的にはいける可能性はあるかもしれない。(ただし、購買力はないわけだ。)
さて、海拓舎の原田さんの紹介で、「エコマラソン」を提唱している西一(にしはじめ)さんにお会いした。(この名前を聞いて名作アニメ「いなかっぺ大将」を連想するのは私だけだろうか?)
学生時代アメリカン・フットボールをかじっていた私は、エコロジーを少し勉強したり、アメフトで起こった大怪我を目の当たりにしたりしているうちに、スポーツが嫌いな人間になってしまった。西さんにお会いして、つらつらとそんなことを喋りだすと、彼は相槌をうってくれ、さらさらと会話は流れ出した。
事前に頂いた資料によると、西さんは、アメリカのビデオソフトの配給をする会社をつくって、猛烈に働いて経営を軌道にのせていた矢先、30代後半で突然、病気で奥さんを亡くす事なってしまう。そして、そんな折に出場したホノルル・マラソンをきっかけに人生を一変さる。仕事を一切やめて、もっていた資産を売却して次々と世界中のマラソンに参加する。それも、タイムを競うことを一切せずに、制限時間を目いっぱい使い、写真をとったり沿道の観客とコミュニケーションをとったりしながら走るのである。
特に、アメリカン・ネイティヴのナホバ族の聖地を走るマラソンで、ゴミ拾いをしながらマラソンを走る経験をして以来、エコマラソンを提唱、世界のマラソンをエコロジーの観点から独自で格付けをするようになった。
そうして、全米50州+DCマラソンを走り、世界7大陸をはしり、20世紀中に50カ国で200のマラソンを走ってしまった。ギネスにも登録されている。
スポンサーを募るための時間がもったいなくて、質素な生活を続けながら、自費でのレース参加を続けている。
西さんは、一生かかって世界250の国と地域で、1000回のマラソンをするのが夢だそうだ。 マラソン大会がある国は、今のところ70-80カ国しかないが、ないところは、自分で作って走りたいと考えている。
「100万円もあれば、マラソンのない国でも、大会をつくることはできます。」
西さんは、ビジネスマン時代からアメリカとの付き合いが深いそうだ。
「Winner takes all!」と子供時代から教え込まれるアメリカ人が、「負けるが勝ち」と言ってニコニコしながらビリっけつを走る西さんを目の当たりにすると、「東洋の神秘」と驚いて、価値観を揺さぶられるらしい。
自然界には同じものが2つとない。「競争」というのは、なかば無理やり1つの価値尺度で違うものをはかって優劣をつけることだと思う。そこに価値基準をおくと、個のもつ独創性は大きくそがれる。
「この人、自分を生きているなあ」って感じる人は、競争から降りている人なのかも知れない。
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