「田んぼに雁(ガン)を呼び戻す」01/09/20
蕪栗ぬまっこくらぶのホームページ
いつものことと言ってしまえばそれまでだが(!!!!!)、仕事が手につかない一週間だった。筆も止まってしまう。
私は、サラリーマンはじめて5年程は中東にプラントを輸出する仕事をしていたので、今回のテロ事件に就いては、多分、大方の人と受け止め方がかなり違うのだろうと思う。私が中東で感じたのは、「アラブ人の反米感情は、過激派だけがもつものでは決してなく、歴史をひも解くと、それは当然と思えてしまう。」という事だ。我々は自由な社会にいて、どんな情報も等しく得られていると思いがちだが、十分注意する必要があると思う。私はアラブに同情的である。
そう言えば、フナイ・オープン・ワールドでのイベントのことも書いていなかった。
当日、ディスカッションを聴いていて、パネラー達の存在感に圧倒されてしまった。(企画者が感動してどうする・・・・・・) 大地にしっかりと根をおろして日々生きている人が発する言葉は、決して声高ではないけど、腹にしみわたるなあと、また思った。相根さん、佐藤さん、酒勾さん、藤沢さんとも殆ど旧知の間柄なので、呼吸もしっかり合っていた。それぞれ独立した個性的な道を歩んでいるものの、根っこの部分で繋がっているという感覚も共有できたのだと思う。聴いている人にしっかりと響いていたことは、その後の本の売行きで明らかだった。半数以上の人が本を買い求めてくれるというのは、滅多にあることではない。集客については、2年前の1/3程しかできなくて登壇者に申し訳なくも感じたが、それでも土曜日の午前で、横浜という立地を考えると、よくぞ100名もの人が来てくれたというのが正しいんだと思う。
本当に皆様、ありがとうございました。
さて、フナイ・オープン・ワールドのプロデューサーが「素晴らしいので、ぜひ行ってください。」というので、ある講演を聴きに行った。それは蕪栗ぬまっこくらぶの呉地正行さん達の活動を紹介するものだった。
レイチェル・カーソンがセンス・オブ・ワンダーの中で「鳥のわたりの神秘」について触れていたと思うが、この雁という鳥は、日本とカムチャッカ半島の2000km程の距離をたったの20時間で、飲まず食わずで一挙に渡ってしまうらしい。そうやって冬になると日本にやってきては、沼地をねぐらとし、昼間は田んぼにこぼれている米や雑草の種などを啄み、排泄物を落としていって田んぼを肥やす。そうして田んぼと共存関係にあった。
「あった」と過去形にしてしまうのは、この鳥は、白鳥やカモに比べても、とてもデリケートで環境の影響を受けやすいらしい。そのため、戦前には日本中どこでもいたのに、その後激減し、現在、生息地は40ヶ所程になってしまった。その80%が宮城県にあり、最大の生息地が田沼町にある蕪栗沼(かぶくりぬま)である。ここでは、「雁が住める田んぼが一番よい米をつくる」をモットーに、生息地を保護しながら、不耕起、無農薬・無化学肥料で米をつくり、「自然環境共生米」として消費者に届けている。
激減した一番の原因は、雁のねぐらの沼地がどんどん干拓されたためだ。再びねぐらを作ってあげるにはどうすればよいか?
それは実は、それほど難しい事ではない。冬に田んぼに水を張ってあげれば十分寝床になるのである。雁の行動範囲はねぐらを中心に半径10キロ程の田んぼだ。だから、その範囲で水を張り、徐々に移動させて、近隣都市である仙台まで生息地を広げようというのが、彼らの計画だ。
CSA(Community Supported/Shared Agriculture)-地域で助け合う/分かち合う農業-という形態がアメリカではかなり普及している。これは、都市の住民と近隣農家が一緒に作業しながら安全な食べ物をつくり、それを分かち合うというものだが、日本に紹介されて時が経っているのに、なかなか広く普及しない。(もちろん、このサイトでは、佐藤文彦さんの営みはCSAと言える。)
でも、「一緒に雁を呼び戻そう」という目標をもって、米作りに励むというのは、確かに都市と農村がつながりやすい。
通常、農家は冬には田んぼに出かけたりしないが、水を張るとそこに鳥が来てるかどうかを知りたくて、よく見に行くようになるそうだ。そこに、雁を見つけたとき、その感動はどんなふうだろうと想像してしまった。
因みに、雁を呼び戻す中で、彼らの大事な方針は、「場所は与えても決してエサは与えない」ということだそうだ。野生動物は、一旦餌付けされると一挙に駄目になるらしい。
いろんなことに教訓になると思う。
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