「足元を耕す時」01/10/29

Dig deep the very place where you stand, you will find a spring.
(あなたが立っているその場所を深く掘りなさい。泉が見つかります。)

もう13年も前、大学の講義で、後に恩師となる先生が黒板にこう書いた。第一志望に落ちた私は、この大学で仮面浪人をしようと思っていたのだが、この言葉に感じるものがあって、大学に居ようと決めた。

数年前、会社の経営危機が叫ばれた時期、多くの若手が見切りをつけて会社を去っていった。
私は、考えた。
「どうせ辞めるなら、言いたいこと言って、やりたいことやってクビになった方がかっこいい。」
結果、厳しい局面が何度となく訪れたが、そのたびに社内外に救世主のような人が現れては、サポートしてくれた。振り返ってみると、言った事、やりたい事を会社はほとんど適えてくれたような気がする。あり難いとしみじみ思う。
「会社が自分に何をしてくれるかではなく、自分が会社に何ができるのか」が本当に問われると思う。

テロと戦争のお陰で、海外出張、海外旅行がしにくい時代になった。仕事のお先が真っ暗な人も少なくないと思う。本当に、先行き不透明な時代である。

「道に迷った時は立ち止まること。
というのは、探検の鉄則である。」
昨日、日本環境財団の高見裕一さんとお話をさせていただいたが、これは、高見さんの政策集の中に見つけた言葉だ。

一方、明るい話題もあるようだ。例えば、海外旅行にいけなくなった分、客離れに歯止めがかからなかった日本の温泉街に客足が戻っているようである。

私も、以前は海外向けの仕事ばかりしていたのだが、突然、気がふれたように村おこしの仕事をはじめて、日本の農村を巡るようになった。

それまで国内旅行などほとんどしたことがなかったのだが、そうやって田舎をめぐり、人や自然に触れ合って、「日本って、本当に、美しい国だ」と感じた。こんなに四季がはっきりしていて自然が美しいところは世界中探してもないという人は少なくない。

さて、話題はくるくる変わる。先月、フナイ・オープン・ワールドが終わった後で、打ち上げをしているときに酒勾徹さんがこんなことを言っていた。
「日本には一人当り4aの農地があって、これはパーマカルチャー的に言うと十分自給可能なんだよ。」

想像しよう。20メートル四方の土地があって、そこに食べ物を育てれば、人間は十分生きていけるのである。

しかし、日本では法律上、農業者しか農地をもつことができない。そして、毎年、新たに農業に従事する人は、新たに医者になる人より少ないので、農地は誰にも耕されずにどんどん荒れてゆく。文化(culture)は耕す(cultivate)ことで生まれるのだが、こうして文化はどんどん個々の人間から切り離され、人は創造性を失い、画一化していく。

因みに、牛一頭養うには、1ha程の農地が必要らしいが、日本人はこの土地を海外の国々に負っている。食を等身大に代えたら、肉体と精神の健康をより簡単に手に入れることができるはずなのに、現実は複雑怪奇なことになっている。

かくして、私もこんなこと言っているばかりじゃなくって、本当に、大地に立って足元耕さないと、存在に説得力がないなあとシミジミ感じる昨今だ。


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