「私の家づくり パート1」 02/08/23
「あのシゲちゃんが、家建てるなんて、人間変れば変るもんだなあ」
義父がそんな事を言っているらしい。
初めて妻の実家に挨拶に行って時から、私はずっと言い続けてきた。
「 モノに興味はない。一生借家でいい。」
この言葉は、実は妻を随分とがっかりさせていた。妻は「家」が大好きな人間で、子供の頃から、年齢をごまかして、ハウスメーカーに資料請求をするほどだったそうだ。営業マンに突然訪問されて、そのたびにお母さんは当惑してたらしい。
一方で私は、「櫂より始めよ」という言葉は、仕事をする上で、大事にしようと思っている。言うばっかりの評論家には、やっぱりカッコ良くない。
販売不振の郊外ニュータウンをどうするかが私の仕事上のテーマである。
だから、
「まずは、自分がそこに住むことだ。」
これが結論だった。
それから、会社の方針変更とか、資金的な問題が発生したりとか紆余曲折があったものの、この8月、それらを切り抜けて、漸く着工にこぎ着けられることになった。
また、こんな思いもある。
「ひとりひとりのライフ・スタイルを変えて、環境負荷の少ないものにしていかないと、自分の子供を含めた次の世代の人達に申し訳ない。子孫を守るってことは生物の本能の筈なんだ。そういう生き方をすることが最低限の責務なんじゃないか」
「東京には、もう15年住んだけど、田舎で生まれ育ったやっぱり息苦しい。家族への最低限の責任を果たしながら、ここを脱出したい。出来れば、子供も日々自然と触れ合いながら暮らせる環境を用意してあげたい。大きくなってからじゃ駄目だ。」
「そもそも、人間が、都市に密集して住むという事自体が環境負荷が一番高いのだ。こんなライフスタイルが21世紀型だとは到底思えない。」
もう、言うばっかりじゃなくって、まずは自分が具現化させる必要があった。
同じく田舎で生まれ育ちながら、都会が大好きな妻にはかなり抵抗があることだった。時折「どおして?」と苛立ちの言葉が私に飛んでくる。
それに対する最後の決め台詞はこうだ。
「キミは俺に死ねというのか?」
そして、こう付け加えるのだ。
「家は、キミの好きなように作っていいからさ。」
そうは言いながら、工務店さんは、千葉県のエコハウス・メーカーを私が指定した。
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