開戦前夜、私は庭造りに没頭する 03/03/17
人は無力感を感じた時に、「祈る」という行為に出るのであろうか?
引っ越して以来、ニッチを利用してつくった神棚の前で、家族皆で手を二礼二拍一礼して一日をスタートする事が我家のならわしとなった。水と米と塩を替えるのが私の仕事である。私には特に宗教的な背景はないのだが、このスタイルが一番日本人らしいと感じることと、「大いなるものに対して畏敬の念をもつ」という事は、人間にとってとても大事なことのように思い、それを家族で共有したいと考えた。「神棚も仏壇もない家は、子供の非行の率が高い」という話も聴いたことがあった。
最近、そうやって二拍した後、手を合わせる時間が、みんな長くなっている。デモに行って以来、より戦争のことを想うからであろうか。
さて、この週末は、何とか玄関周りを全部完成させてしまいたいと、土曜日の朝から頑張った。 主な仕事は二つ。ひとつは、全部で14メートルある土留めのコンクリートブロック塀に杉板を張ること。これは、家を作ってくれた白門建設の肥沼社長のアイデアで、一番、安くて、素材の質感を出せると思ったので、やることとした。杉板には、柿渋をぬって独特の風合いを出す。玄関も、ウッドデッキも同じ仕上げなので全体でコーディネートはされている。
もう一つは、階段造り。そもそも、出来るだけ緩やかで段差のない自然なスロープでアプローチを作ろう思って、先週、枕木の擬石を並べてその間と脇に芝を張った。メンテナンスに手間のかかる芝は出来れば避けたいと思っていたのだが、傾斜がああって土を留めなければならないので、ここは使うこととする。
スロープは造ったのだが、我家は、道路に面した地面から、家のグランド・ラインまでは70センチ程高くなっていて、その幅は2メートルしかない。緩やかなスロープだけでは、玄関にたどり着けない。最後に2段階段を作る必要があった。
ガーデニイングをやっている友人には、「土留めと階段は、作業がヘビーなので、プロにやってもらった方がいい」と言われていた。結局、土留めはプロに頼んだが、階段は自分でやることとした。うまく作れる自信もなかったが、土留めにはプロに頼んでお金もそれなりにかかってしまったので、階段は自分でやる事とする。
どうやってその階段を造るかが次の問題だった。最近は、週末毎に、茂原にある巨大なDIYの店、カインズ・ホームに通っていて石材コーナーの店員さんとすっかり顔なじみとなった。先週、そこの店員さんと話していたら、良いアイデアをもらえた。「重量ブロックを横済みにしたら、割と楽に造れるかもしれないですね」。
さて、土曜の朝一番で、材料の買出しに出かけた。手際よく買えたのだが、それを運ぶ1トン・トラックが店を出払ったまま中々帰ってこない。結局、作業のスタートは2時となってしまった。結局、土曜日は、私が杉板を切って、家族がそれに柿渋を塗ると言う作業で日が暮れてしまった。
翌、日曜日は、私が階段づくり、妻が杉板のビス留めで、子供達が一人づつ助手に就くという段取りとなった。
私は、モルタルを捏ねて、砕石敷いて、角材で踏み固めて、ブロックにモルタル詰めながら、水平をとりながらそれを積んでいくという作業をした。初めてなので、中々はかどらないし、土を取り除いたり、モルタルを捏ねたりするのにかなり体力も使う。途中、材料が足りなくなって、買足しに走っていると、とうとう雨まで降り出した。
仕上げのタイル貼りは翌週にまわすとしても、何とかブロックだけは、積み終わろうと決めて、雨の中、照明をつけての作業となった。何とか全部積み終わって家に入ると、7時30分だったが、さすがにひどく疲れた。
結局、エントランスの完成にはあと1日必要となってしまったが、それが終わると、いよいよ、庭に本格的に着手できそうだ。もう3月も終わりに近づいて、緑の季節がやってくる。先週植えた芝も少し色がついてきた。ここを出来るだけ、「食べられる庭」にすることがこの1年の一番大きな目標である。
庭を造るより、もっと大事な事があるかも知れないとも思う。実際、仕事でも課題は山積しているし、社会は閉塞感が蔓延している。
でも、やっぱりこう思う。次の時代の自立とは、生活できるだけのお金を稼ぐことじゃなくって、出来るだけ小さな範囲で自給をすることであると思う。そして、まずは自分がそれに近づくことだ。まずは足元を踏み固めて、自立、自足すると、他を攻めたくもなくなるんじゃないか。
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