「雨読」しながら考えること − 高速道路無料化と自給権 −  03/07/09

 自分はストレス耐性はあるほうだと思うのですが、少し仕事でストレスが重なるとやはり、書けなくなってしまいます。森さんは凄いなあとつくづく思います。

 年初から4ヶ月程、休日は集中して庭をつくり何とか植え付けまで、こぎつけたら、めっきり庭に出る時間が減ってしまいました。気がつくと、近所の畑と比べても、我が家の野菜の育ちは格段に悪い。とりあえず、ホームセンターで油粕を買ってきて野菜のまわりに施しました。間引きしないままにレタスが伸びてしまっていたので、遅ればせながら、それもやりました。そのレタスが我が家の食卓にのぼった自家製野菜の第一号となりました。

ぶどう棚をつくろうと植えたぶどうは、ムシに見事に全部葉っぱを食べられてしまったし、植木はヒメシャラがまったく元気がありません。もともと造成地なので土がよくないのは百も承知ですが、植木屋さんによると、重機で踏み固めてしまった土壌というのは、植物にとっては、本当に困りものなのだそうです。

 さてさて、先週はずっと雨だったので、本ばかり読んでいました。南研子さんの「アマゾンからの伝言」と、内橋克人さんの「もうひとつの日本は可能だ」でした。

 内橋さんの本を読み進めていくうちに「自給権」という言葉にでくわして、嬉しい驚きを覚えました。この言葉は自分の中で思い至った概念で、自分のオリジナルだと思っていたからです。

 福岡正信さんが「わら一本の革命」で、およそ、こんなことを述べています。
「日本の農地は、国民ひとり当たりおよそ一反(10アール)あって、一反あれば、十分食える。それを耕すには、週一日の作業で十分。そうやって生活の基盤をつくっておけば豊かな社会ができる」。

 福岡さんが本を書かれた頃から日本の農地は減る一方で、今や一人当たりの農地面積は5アール以下になっていますが、それでも、10 x 50メートルの土地は十分広く、きちんと耕せば自給に余りあると言えます。

 さて、そんな社会が理想だと思うものの、現実は、農地の取得は困難を極めます。そもそも農地法と言うのは、戦後の独立自作農の保護することを目的とされているので、土地が細分化できないようになっています。政策としても、この世界一人件費が高く、平地の少ない国で、農作物価格で、国際競争力を持つという不可能な施策ばかりがとられています。

 そんな状況下で私が思い至ったのが、生存権の延長線上の概念としての自給権でです。
「すべて国民は、自ら必要な食料を作る権利を有する。その食料を作る為に必要な最低限の農地を所有する権利を有する」。

 そう遠くない将来、世界の食料事情が切迫するということは、コンセンサスとなっています。こんな制度ができたらきっと、一斉に右向け右する国民ですから、あっという間に都市に近い場所から農地を買いだすに違いありません。

 「法律もマーケティングのセンスが要求される時代になりますよね。きっと」最近、飲みながら話をしていてこんな言葉が口をついて出てきました。

 内橋さんの述べられている自給権は、グローバリズムの流れに抗して国が食料の自給政策を行う権利という意味合いで使われていて、私の意味あいとは違いますが、「自給権」

 さてさて、もうひとつは高速道路無料化の話です。

半年ほど前、ある国会議員の方とランチをご一緒させていただく機会がありました。
「ねえ、君は、どうすれば景気がよくなると思う?」
先生が訪ねられました。

私は、普段考えていないことだったので、一瞬返答に窮したが、私は、こう答えました。
「うーん。よくわからないんですが、ひとつ、高速道路をタダにするといいかなとは思います。環境問題の視点から捉えるとよくないのですが、日本は兎に角国内交通費が高くて、週末も遠出できない状況ですから」。
「そうか。あなたもそういうか」。

 こういう考えが最初に浮かんだのは、村おこしのコンサルタントをしている時分でした。いくら道路をつくっても過疎化は進みます。しかし、つくった道路を無料にしたら、少し流れは変わるような気がします。

 丁度その頃、とあるパーティで運輸省の官僚の方に、そんな考えを伝えましたら。「そんなことはできるわけがない」。と鼻で笑われて悔しい思いをしたことがあります。

 しかし、どうやら次の総選挙では、高速道路の無料化が一つの大きな争点になりそうです。時代は確かに動いています。

 さて、最後に、「景気」のことを少し。
 人間が20歳くらいで体の成長がとまり、以後は、内的な熟成が行われていくように、経済も本来そうあるのが自然であると思います。無限の成長などありえないし、そうした極めて不健全な考え方で運営を行うと、犠牲になるのが自然環境と社会的な弱者です。

 大事な事は成長ではなく、内的な進化であり変容です。変わり続ける限りにおいて活力は維持できるし、本当の豊かさを享受できると考えます。

 「甘っちょろいことを言っても、食えないとどうしようもない」。常にそういう意見が聞かれます。でも、日本は食料自給率が40%足らずでも、年間に餓死する人は、ゼロに限りなく近い。それより、この社会の一番の問題は、年間3万人にも及ぶ自殺者の数です。(こんな社会は、他に類例があるのでしょうか?) 株式会社は有限責任だと言いながら、株式公開しない限り、倒産すると経営者が身包みはがれる構造になっています。再起のしようがない社会。失敗が許されない社会だから、みな萎縮して、変化することを拒む。

 そういう経済文化こそ変えなければいけないものと考えます。

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