目的の共有

皆さんは、「食べるために生きているのか、生きるために食べているのか」と問われたら、何と答えますか。皆さんはこれまでに、目的と手段をごっちゃにしていたことはありませんか。かつて私は、この2つをごっちゃにして心の整理がつかず、困ったことがしばしばあります。

私は講義に臨むときは、学生がよき社会人になって羽ばたけるようにすることを目的にしています。だが、学生の中には単位を楽して取ることが目的だといわんばかりの人がいて、戸惑わされることがあります。

本来、学生と教員は目的を共有し、その達成のために励まなければなりません。もちろん両者は、本学で修める力と社会が求める力を一致させる必要があります。テストなども、良い点をとるのが目的ではなく、社会が必要とする識見や能力をどのぐらい修められたのかを確かめる手段にすべきです。

つまり学生は、「私は」こうなりたいといった目指すところを明確にするために、将来教員は学生が目指すところをより確かなものにしたり達成し易くしたりするために努力しなければいけません。だから学生は、「私は何のために勉強をしているのか」「どのような人になろうとしているのか」、そもそも「私とは何者か」といった疑問を常に自分自身に投げかけてください。教員は、それぞれの学生の個性や特質と、その目指すところを理解し、健全な成長に必要かつ普遍的な知識や技術などを、時には個別的なそれらを授けてください。

要は、学生と教員は目的を一致させないといけないのです。全員が一致させるべきことは「建学の精神」が示しています。それは世の多くの人の共感と支持を得るための必須の課題だと私は見ています。それを先ず修め、加えて他の誰とも顔が異なるように各人が秘め持っている個性を、健全に発露できるようにしませんか。そのために、皆で心を一つにする大学にしようではありませんか。

学内報『みずき』2000年春号

愛とは?・愛と環・愛永遠