愛とは?・愛と環・愛永遠
「アイトワ」とは「愛とは?」「愛と環」「愛永遠」のこと
主宰者 森孝之 は、創作人形作家 森小夜子 の協力をえて、「アイトワ」と命名した手作りの循環型生活空間(約1,000坪)を1986年4月5日から一般開放した。
この空間には、樹木で見え隠れするようにして2軒(両親と夫婦)の居宅、菜園、温室などの他に、人形工房、人形展示室、喫茶店などがある。
そこは、主宰者が18歳の時から開墾をしはじめ、20歳から植樹をして今では約200種1,000本の木が茂っている。

主宰者は「アイトワ」に、「愛とは?」「愛と環」「愛永遠」の3つの意味を込めている。
またシンボルマークには、エバーグリーン(常緑)色の楯の中に、姓の森にちなんで3本の木を白く抜き、それぞれに「白梅」「ドングリの実」「紅葉したモミジ」を付している。この3種の木はアイトワの空間にたくさんある樹種であり、「白梅」に冬から春の訪れを、「ドングリの実」に夏を、「紅葉したモミジ」には秋をイメージさせ、四季のめぐりを現している。
また、バックのエバーグリーンは、愛が求める不変の新鮮さを象徴している。





素敵な宇宙船地球号に出演


主宰者 プロフィール
森 孝之(もり・たかゆき)  

1938   兵庫県西宮市生れ.
1944   疎開で京都に、そのまま定住
1956   母が耕作放棄した土地の再開墾に着手
1962   京都工芸繊維大学工芸学部工業デザイン科卒.
同年   伊藤忠商事株式会社入社、繊維開発室配属。
サラリーマンしながら、自然循環型菜園と庭づくり継続
1971   伊藤忠ファッションシステム株式会社設立出向
1973   “生きる理念”を策定
庭を「エコライフに供するガーデン」として仕上げにかかる
1971   伊藤忠ファッションシステム株式会社設立出向
1978   企画開発部長で同社依願退職。
1979   株式会社ワールド入社、社長室室長
1980 株式会社ノーブルグー(新設子会社)社長兼務
1986   株式会社ワールド取締役ならびに株式会社ノーブルグー社長を辞任。
同年   執筆活動を本格化
人形作家の妻のために人形工房とギャラリーを設ける
妻が人形工房併設喫茶店を開設、エコライフガーデンを一般開放
1987   株式会社アイトワ設立、企業顧問、講演、執筆活動など
1992  4  大垣女子短期大学デザイン美術科教授就任
2000  4 大垣女子短期大学学長に就任
2000  5 有限会社アイトワ に改組
2003  4 学長任期を満了し辞任  大垣女子短期大学名誉教授に就任
2004  4 有限会社アイトワの活動とエコライフガーデンの維持管理に傾注

著書
『ビブギオール・カラー―ポスト消費社会の旗手たち』(朝日新聞社)
『人と地球に優しい企業』(講談社)
『ブランドを創る』商標・サービスマーク育成の精神(講談社)
『このままでいいんですか』〜もうひとつの生き方を求めて(平凡社)
『想いを売る会社』(日本経済新聞社)
『庭宇宙 〜嵯峨野・アイトワ・幸せのすむ庭〜』(遊タイム出版)など
『次の生き方』エコから始まる仕事とくらし(平凡社)
『エコトピアだより』自然循環型生き方のススメ(小学館)
『未来が微笑みかける生き方』AI時代の自給自足(亥辰舎)
『次の生き方Vol.2』自然に寄り添う人たち 編著(あうん社)



私生活
京都・嵐山に40年かけて1000坪の自然循環型の庭(菜園、果樹園、あるいは林などをつくり、
食べモノ、燃料(薪や炭)、あるいは水の持久力を身につける「田舎暮らし」を先取りして実践。
消費よりも創ることに喜びを見いだす独特のライフスタイルは
朝日新聞「天声人語」や日本経済新聞・婦人家庭面など各誌紙でたびたび取りあげられている。
テレビ朝日系「宇宙船地球号」のコメンテーターを務める。
東京12CH「京都嵐山に愛を見た(アイトワの1年を通しての暮らし)」、
NHK 生活ホットモーニング「森のある暮らしTとU」などで紹介された。


教員生活
大垣女子短期大学では、「ライフスタイル論」「環境論」「グリーンデザイン論」 を主に講じる。

ライフスタイル論では、21世紀は20世紀の延長線上にはなく、社会はシステムを、個人はライフスタイルを改めなければいけないことを説き、循環型のシステムとライフスタイルへの移行(パラダイムの転換)とその円滑な移行方法などを講じる。

環境論では、循環型の社会システムやライフスタイルの必然性を講じる。

グリーンデザイン論では、21世紀社会が求めるデザインとそのあり方を講じる。

学生には、環境の世紀を予見し、循環型のライフスタイルを目指し、手にした余暇時間や可処分所得あるいは情熱などを集中的に投入し、自己実現しようとする生き方を目指すように提唱する。

1999年の早春、93歳の母親が目を放せない状態に陥った時に、 学長の白羽の矢が立ち、意を決して受け、その葬儀で関係者を患わせたりせずに、任期を無事に終えている。 学長に就任すると、まず学生には「心の大人」を目指し「一隅を照らす人になろう」 と呼びかけ、「目的の共有」を訴えた。次に,であった学生の授業評価を実施した。学長が受けた授業評価とその印象を「授業評価を受けて」と題して公開した。その後,全国でもトップ切って全学禁煙を実施したり岐阜県内初の ISO 14001 認可取得教育機関となったりしながら、環境の時代を標榜した。 退任するに当たり、学生には「凛と生きよう」と呼びかけ、経営陣には「ブランドと出口責任」 を大切にする学校であり続けように訴えている。

なお、大垣市に招聘されたのを期に地域での貢献も志し、右のような役割を得ている。



1993 4


岐阜県長良川上流水水質保全委員会委員
1994 4 環境教育補助施設「エコハウス」を大垣女子短期大学構内 で建設
1995 4 大垣市水政策委員会委員
1996 8 大垣青年会議所主催ネイチャーサイエンス・キャンプ講師 短大退任まで。
1997 4 大垣市女性アカデミー「クオリティ オブ ライフ」(女性市民対象年間10回連続講座、研修渡米旅行付)専任講師  H13まで連続5回開催
1998 4 大垣市環境基本政策策定委員会委員長
4 大垣市廃棄物削減計画審議会会長 現在に至る
4 大垣市緑の基本計画審議会会長
1999 4 文部省指定大垣市教育委員会「教育過程改善のための研究開発学校」の運営指導委員会委員長 2002 3 終了
4 NPO ネイチャーサイエンスクラブ副会長、2002年より顧問
2000 3 大垣水と緑の学習会講師
2000 4 大垣市第4次総合計画策定委員会委員
2001 4 大垣市環境市民会議会長 2006年まで
2002 5 岐阜県親子で学ぶ環境塾副塾長 2004年まで
2003 7 大垣市緑化審議会会長 2008年まで