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GW、予期せぬこと多かった 07/05/06
楽しくて有意義なGWになりました。それは週の始めに玉神木が咲き始め、初めて見る野生の蘭をもらい、予期せぬ3組の客に心を打たれたことから始まっています。
日曜日の朝、アイトワ塾生の1人が奥さんと2人の子ども連れて野性の蘭を持参してくれました。奥さんの母方の故郷和歌山で自生していたものです。わが家の玉神木は、この塾生夫婦が植木市で苗木を見つけ、贈ってくれたのですが、ちょうどそれが咲きはじめていましたから香りを嗅いでもらえました。その後、つぎつぎと楽しいことや有意義なことにつながっていったのです。
次々とアイトワに関心を持つ人たちが予告もなく訪ねてくれました。最初は広島に住んでいるご家族で、うらやましく感じたほど伸びやかで素直で礼儀正しい3人の息子連れでした。勇んで庭の案内に立ちましたが、なんと1時間もかけていました。その後、岡山県の顧問先企業のスタッフや、現在取り組んでいるエッセーに事務所で関ってもらっている人が恋人連れでとか、過日の九州旅行で田浦の夕食をご一緒にした人が奥さん連れで、などと続いたのです。週末には、かつて写生のために庭に通ってもらった女性に訪ねてもらい、小1時間も立ち話を楽しみました。
野性の蘭を持参してくれた塾生一家は、週の後半にもさまざまな野菜を持って訪ねてくれました。その中にツタンカーメンのえんどう豆がありましたが、種はわが家の庭から嫁入りしたものでした。わが家ではまだ花盛りの段階で、実は入っていませんが、和歌山では収穫期に入っていたのです。端午の節句にはもう一人の塾生が、ご母堂手作りの散らし寿司に柏餅を添えて持参してくれました。亡き母の好物でしたから早速仏壇に供え、昼と夜の2回に分けて賞味しました。
予期せぬ2つの事件も生じました。喜んでよいのか悪いのかまだはっきりしませんが、有意義であったことは事実です。長年気にかけていたことが決着しそうです。その1つは、再発行手続きに入ろうとしていたものが、念のために今は亡き両親の物入れを捜してみると、出てきたのです。もう1つの事件は、器物損壊犯人を取り押さえたことです。犯人の目星はつけていたのですが、現行犯として取り押さえ、警察に記録(5/4,11:30)してもらいました。
それは、40年近くかけて育てたモミジの片並木を壊す犯人です。わが家の東側と南側は道に面していますが、その両方の道でモミジの片並木をつくってきました。この片並木は、誌紙でもとりあげられるまでになっていますし、観光用の人力車は必ず片並木の下で一旦停めて、「このモミジのトンネルは」と客に説明を始め、「イロハモミジと申しまして」と樹種の説明をしたり記念撮影をしてあげたりするまでになっています。問題は南側の道で生じました。
市道は舗装道路で、人力車だけでなく自動車も通りますが、南側の道は京都市の池を不法に埋め立てた道ですから未舗装ですし、一般の車は通りません。だから、歩行で巡る観光客がよくこの道に入り込んで記念撮影をしたりするのですが、それを不愉快に思ったのではないでしょうか。取り押さえた犯人は「うっとうしかったのを綺麗にしてあげた」と悪びれた様子がありません。こうした美意識や価値観の持ち主は、法的に悪いことをしたことを明らかにしても意識を改めてもらいにくいそうですから、もう一度行なえばキツイお灸をすえることができるように、とりあえず警察の記録に残してもらうだけに留めました。問題は、不法に埋め立てられた京都市が、市の池だと認めながら黙認し続けているところにあります。
このGWに、夏野菜の畝をたくさん耕し、トマト、伏見トウガラシ、万願寺トウガラシ、ズッキーニの苗を植え付け、ツルムラサキの種をまきました。トマトに雨避けのフレームを立てますと、急に畑は夏の様子になりました。土曜日の夕刻は太陽温水器の湯で行水しました。
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庭の山菜、山ウドとアイコ(ミヤマイラクサ)です。アイコは夕食のベーコン巻きや朝食のサラダにいかしてくれました。ウトは酢味噌和えが美味でした。ヨモギもとっておくと、草もちを作ってくれました。 |
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生涯最初の地下足袋を使い古し、2速目の地下足袋を下しました。夏の庭仕事は12枚こはぜの地下足袋に限ります。軽快だし、蒸れないし、足に力が入ります。問題点は、脱いだりはいたりするのが不便なだけです。 |
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トマトの苗を植え、フレームを被せますと、畑は急に夏の様子になりました。フレームを立てたのは3回目ですが、要領を得て、1時間ほどの作業で済ませられました。 |
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友人のご母堂が年に5回(3月と5月の節句と3人の孫の誕生日)ほど作られるとか。わが家でも母は散らし寿司が好物でした。妻によれば、母の機嫌が悪いときは、「散らし寿司をつくって機嫌を直していただいたの」とか。そんな思い出を振り返りながらいただきました。 |
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昔の写真が出て来ました。両親が (左の家に)
越してきた1964年の秋か翌年春の写真です。庭はまだススキが原のような状態でした。太っていた頃の母と、奥の山手にそびえていた黒松の大木が映っています。当時、すでに現状変更の厳しい審査があったようです。父が生前、背もたれ代わりに用いていたもの入れの引き出しに入っていた資料の中に含まれていました。 |
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堆肥の山がこんなに高くなりました。嵩が高い菜種やゴボウを積み上げたものですから私の背を超えそう担っています。 |
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庭の一角を整えました。自然生えの柘植(つげ)や杉の若木などを取り去り、ヒメウツギの苗木を植えつけました。秋になればミヤコワスレの苗を植えつけようと思っています。 |
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