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アイトワ循環図
思考停止を危惧 10/01/10

 畑には4日・月曜日から出ました。昨年の暮れ近くに、第2次のホウレンソウと第3次のアイトワ菜の種をまきましたが、被せてあった日覆のレースを恐る恐るめくってみると、共に見事に発芽していました。そのレースを使ってトンネル栽培に切り換えました。今年最初の畑仕事です。

 続いて、野菜の移植と畝作りです。暮れに仕立て直してあった畝に、たった5本ですが、スナップエンドウの苗を植えました。また、トウガラシの跡を耕し、第4次のアイトワ菜の種をまき、次いでキュウリとツルムラサキの跡を耕し、腐葉土と肥料を鋤き込んでいます。義妹が春キャベツの苗を育てていると妻から聞いたからです。苗を分けてくれるに違いありません。

 夕刻、妻が「明日は何が食べたいですか」と問いかけてきました。「?」と思いながら、「それを考えるのは君の役目だろう」と言いそうになりましたが、代わりに「菜っ葉と揚げの煮物」と応え、ガックリさせました。翌5日は36回目の結婚記念日だったのです。妻は「腕によりをかけて!」と考えていたようですが、私には妻の惣菜に勝るものはない、と思っています。

 食事は4日の朝から通常に戻りましたが、妻が「お煮しめを3品しか造れないとしたら何を選びますか」と問いかけてきました。「ボウダラとカズノコ」そして酢の物から一品、と応えますと、妻も同じ意見であったようです。でも、「今ではそれが一番高くつきます」と付け加えました。

 5日の火曜日は、午前中は読書、午後は昼寝の後で庭に出て、初の温室仕事に手をつけました。トウテイランなど宿根草の鉢に肥料入れを始めたのです。次いで畑に出て、第2陣のニンニクの植え付けです。食用にとってあったニンニクが芽を拭き始めると、畑に下ろします。夕刻に銀行から「イギリスから送金がありました」との報せがありました。最も速い送金手段を採ってもらえたようです。夜は、残ったニンニクの皮を私が剥き、妻がしょうゆに漬けました

 翌朝から寒肥やりを始めました。タマネギ、ニンニク、ニラ、アスパラガス、次いで鉢植えの梅、リンゴ、そして柳。これからミカンやキウイフルーツなど果物類へと対象を広げます。燃えるような朝日を見てから屋内に引き上げると、丹後から「大丈夫です」と電話が入りました。雪は降ってはいないとの知らせです。願い通りに、9時から車に乗せてもらって出かけました。

 かくして私の遊びの日々は終わりました。暮れの27日の朝から6日の朝までの丸10日間は、したいことを、自分の好きなようにして過ごせたわけです。新年の来客はただ1人。丹後に一緒に出かける知人だけです。実は、正月の間に地球デザインスクールを2度にわたって訪ねることにしていましたので、その打ち合わせでしたが、天気予報が当たらぬことを願うだけで終始しました。

 楽しい1泊旅行でした。道中の会話は思考停止を危惧する話題が主で、楽しかった。天候は願ったとおりになりました。快晴で出発し、海岸線に至ったところで「これが冬の日本海か」と声を上げています。目的地に近付くにつれて雪が強くなり、目的とする事務所が見えた時点で坂道を登れなくなり、救援を求めました。その雪は翌朝にはやんでいましたが相当積もっていたのに、昼過ぎに去るころには、路面が黒く見えるまでになっていました。朝の除雪効果です。

 金曜日に今年最初の木の移植をしています。山アジサイです。居間の前のテラスを広げるうえで邪魔になり、切り捨てざるをえない、と思っていた木です。一念発起して移植し、それに調子付いて午後も大奮闘しました。アスパラガスとニラのある一角の手入れです。これが少しこたえたようで、風呂を沸かす気にならないほど眠くなり、9時前からバタンキューです。

 土曜日は9時から外出です。3件の約束をこなし、ほろ酔い加減で帰宅する予定です。「アイヌの美」という催しの見学、角倉関係の集まり、そして伊藤忠時代の仲間の新年会です。


 
冬の畑。支柱を要する作物は何もありません。第2次のホウレンソウと第3次のアイトワ菜の畝(左から2列目と3列目)は、5日の火曜日にレースのトンネルからビニールのトンネルに切り換えています。左端の畝はツタンカーメンのエンドウの畝ですが、レースのトンネルのままにしています。右手のトンネル栽培は、第2次のアイトワ菜と種をまいたばかりの第3次のアイトワ菜の畝です。その奥のトンネルはスナップエンドウです。第2次のアイトワ菜はすでに間引けるまでに育っています。

ニンニクのしょうゆ漬け。2時間余もかけた夜なべ仕事でニンニクの皮を剥きました。小指の先の半分もない小さなニンニクまで捨てずに皮をむいたからです。妻はこのニンニクしょうゆを3日後の金曜日の野菜炒めに用いましたが、オイスターしょうゆとは異なるコクのある味になっていました。ニンニク大嫌いだった妻が「美味しいでしょう」と言えるまでになったわけです。

初めて雪を体験した「海と星の見える丘公園」。 地球デザインスクールが管理しています。建設途上の時点で訪ねて雪がまだ残る光景を眺めたことはありますが、滞在中に降り積もった雪は初めてです。このたびの訪問でもう1つの嬉しかったことは、近郊の人たちから贈られた品々を見事にディスプレイしていたことです。その研修室での打ち合わせ。正月の間にもう1度地球デザインスクールを訪ねますが、その機会をどのように生かせばよいのか、相談しました。

研修室での打ち合わせ
 

近郊の人たちから贈られた品々を見事にディスプレイしていた


七草粥

 

昼食の丼
丹後で振る舞われた七草粥には、土地柄のお雑煮と珍しい海草を使ったお惣菜が添えられていました。昼食の丼にも、また異なる海草が生かされていました。これらの海草は、収穫にも掃除にもとても手間隙がかかりますが、そこに商品価値を見いだせる人がいないようで、地元でしか味わえません。よくぞこのような調理法や生かし方を考えたものだ、と感心します。

妻は夕食に、庭で採った七草で粥を作っていました。庭のオギョウ(御形=ハハコグサ)は自生種ですが、ナズナ(薺=ペンペングサ)は自生種をかつて絶やし、あわてて復元させたものです。ホトケノザ(タビラコ)が庭で採れるようになったと喜びながら、オギョウとナズナを極端に減らしていました。はびこり過ぎたので除草に勤めたせいです。スズナ(菘)とスズシロ(清白)は栽培種の小カブと大根のうらなりを当てています。

金曜日の朝の済まし雑煮。出汁はアイトワ塾の皆さんからもらった昆布とカツオブシで。シイタケ、野菜、そしてユズは庭で取れたものを。カマボコは小田原の友人・北村さんから。餅は、丹波の農家・関さんからもらった無農薬で育てた有機栽培のもち米を、と心まで温まる味わいです。

山アジサイの移植。妻と20年ほど前に美山を訪ねた折に持ち帰った一枝ですが、挿しておいたら根付き、大きくなりました。未だに花をつけないし、青葉も紅葉も美しくないので、この際見捨てることにしていたのに、一念発起したわけです。まだ小さい木なのに、掘り出すのも大変でしたし、植え付けは半日仕事になりました。植えつける場所が、クルミなどを植えた竹や木の根がはびこる一角であったせいです。