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医療姿勢は教育改革から 11/03/06

 NZから帰ってから忙しい日々が続きましたが無事に過ごせました。そこでこの週初めは妻と久しぶりで映画鑑賞、火曜日は妻と2つの病院にお見舞い、水曜日から久方ぶりで畝の仕立て直し、などに当たりました。翌木曜日に昼寝をし、金曜日は市内で開かれたシンポジュームに出かけています。この間の火曜日に、庭での研修で昨秋受け入れた女子大生のレポートを読み、その夜生まれて初めて分厚い靴下を履いて眠り、翼晩から電気あんかを用い始めています。水曜日に、またイノシシに襲われたことに気づかされています。

 映画は「戦場の奇跡 フォックスと呼ばれた男」でした。実話に基づいた内容と知り、見たくなったのです。期待通り、米軍から尊敬された日本軍人の紹介でした。私には、このような人になって見せる自信がありませんが、なぜかホッとさせられました。こうした事例を、インドネシアのロンボク島を訪ねたおりに住民から聞かされています。

 お見舞いは、わが国最初のホームビルダーになってほしい人と、退院が遅れている富美男さんでした。ホームビルダーを目指している人は、工事中に雪で屋根から滑り落ち、圧迫骨折。富美男さんは、入院に伴う運動不足が原因で、肩の腱を切っていました。

 シンポジュームは、リサイクル士検定試験合格者が対象でした。こうした資格を取る人は誠実な人に違いないとの前提で、幸せになってほしいと願う話をしました。問題は、こうした「資格試験ができた」コト自体にあります。経済戦争の延命策に活かされたようなことになり、太平洋戦争での特攻隊員のような役割で終わりかねない、ということです。

 なぜ靴下を履かないと眠れないのか、と考えました。きっとそれは「死ぬぞ」とばかりに言われながら心臓病の薬を絶ったことと関係がありそうです。足が冷える他にも幾つかの徴候が出ています。5時間と続けて眠れないこともその1つかもしれません。入院前に体験した症状と同じく、早足で歩くのが辛くなり、時々深呼吸をしなければならなくなりました。そこで、担当医にこうあってほしかったとの願いが頭をもたげています。とはいえ、この問題は、このたびのNZ旅行でみた幼児教育ではありませんが、教育のあり方から改めないといけない課題かもしれない、と思わせられています。

 それはともかく、庭仕事に時間をたっぷり割けたことを喜んでいます。月曜日にブルーベリー畑を作りました。また、水曜日に2畝、木曜日に1畝、いずれも短い畝ですが計3畝を仕立て直しました。心臓に負担をかけないようにすべてスコップで耕しました。

 金曜日の朝は、室内温度が7度。前日は11度、数日前には14度にまでなっていたのですが、冬に逆戻りです。フキノトウを摘んだり花を咲かせ始めたオオイヌノフグリを抜いたりしながら、野草がなぜか気の毒に感じられました。妻は嬉しい用事で外出しました。京都ホテルオオクラに飾らせていただいていた人形に買い手が付いたのです。アメリカ人女性で、日本の世界遺産巡りをしている人でした。

 週末はなんにも予定がありませんでした。午前中はある作文にいかし、昼から庭に出ました。まず、溜まっている剪定くずの小枝をナタで整理。次いで短い2畝に、入院前の富美男さんにもらった2種の野菜の苗を植え付け。最後は除草です。ビニールでトンネル栽培しているエンドウなどの畝が乾燥していましたからに、腰痛の用心に、といって妻に肥やしやりを代わってもらいました。夕食はいただき物のイノシシの肉と初収穫した壬生菜でハリハリ鍋をし、締めくくりは今年初の「フキノトウ茶漬け」でした。

先週末の出張先でいただいたチョコレート。このところ東京出張が増えていますが、その折にいただき、帰宅翌朝に開いてみて再び心を打たれました。日本イラク医療支援ネットワークが関係していました。これに刺激されたわけではありませんが、私たち夫婦は、せめて一個のレンガであれ、クライストチャーチの復興に役だちたく思っています。

ブルーベリー畑を、といってもわずか5本ですが、作り直しました。これまでの樹齢20年ほどの木がいずれも積年で弱ったり枯れたりしてしまったからです。残る1本の古木を富美男さんに剪定してもらい、若返りを試みています。

昨秋、庭での研修で迎え入れた女子大生14人のレポートが、学生の写真をそえて、担当教官から届けられました。その顔と見比べながら読み進みましたが、とりわけ留学生のレポートに興味を惹かれました。

エゴマの脱穀にもあたりました。昨年秋に収穫し、今頃まで干したままになっていたのです。エゴマは自然生えした分だけでわが家の消費量をほぼまかなえます。来年の分は、これからの畑の随所で勝手に芽生えることでしょう。

木曜日に収穫したフキノトウ。週初めから出始めており、最初にでは分は花を咲かせたく思い、採らずに残しています。収穫した分は直ちにゆがいて保存し、適宜取り出して食材として活かします。その最初は、週末のフキノトウ茶漬けでした。

金曜日の夕食時に、今年最初の「花菜漬け」を味わいました。花菜の畝を耕すまえに、お浸しか、揚げとの煮付けにでも、と願って花芽も収穫しましたが、妻は浅漬にしました。いわれてみれば、花が咲き始めてしまった花芽は、漬物に向きます。この菜の古漬けは、ホロッと苦味が走り、天下一品なんだから。

耕した3畝のうち2畝には、富美男さんにもらいポットで育てていたネギ苗と混合レタスの苗の残りを植えつけました。元の畝は、ヒヨドリにとことんまで葉をついばまれた白菜の畝、植え付けが遅れたためにウラナリのような状態でとどまっていた葉ニンニクの畝でした。そして苗から育てた菜花の畝のあとには、久しぶりでこれから育てる大根の種をまいてみようと思っています。