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アイトワ循環図

対立軸 11/05/29

 まるで亀で明けたような1週間でした。雨の日曜日の昼過ぎ、妻が庭で亀を捕まえたのです。小亀のころに飼っていた「弁慶」ではない?と妻は言いました。確かに、手を離すと手足や首をすぐに出す人馴れた亀でした。雨は次第に大雨になり、火曜日の朝も降り続いていました。朝食中にサッと上がったときは「やれやれ」でした。サツマイモやヘチマの苗を買ってありましたし、亀も逗留させていました。食後すぐに畑に飛び出し、まず手投げ弾の要領で亀を隣の池に放り込み、そのまま夕刻まで畑仕事です。

 この間に、2人の来客です。1人は、週末まで逗留する人形教室の生徒さんで、青森から17〜8年来通っている人です。もう1人は、亀のブローチを襟に付けた妻の知人で、時々民族衣装を妻が買い求めている人です。10年ほど前まで大手アパレルのデザイナ−でしたが、一念発起して退職。今ではアジアの少数民族村を訪れ、衣装などを買い求め、それで生計を立てているとか。午後のお茶は、この人と3人で楽しみました。世界には、日本のように雑多な民族が混合しながら単独民族だと信じようとしてきた人間や、ネパール  のように、小国なのに100以上もの民族が個性を認め合い、棲み分けてきた人間がいるわけです。その差異などについて語らったのです。伸びやかで素敵な人でした。

 週間予報では、木曜日から週末まで雨、となっていました。そこで、アイトワ塾がある水曜の夕刻まで庭仕事に集中することにしたのです。まずサツマイモの畝作りから手をつけ、ついで甘トウガラシの畝から一番離れたところにあるキャベツの畝を半分つぶし、過日村上夫妻からもらった辛トウガラシのプリッキーヌの苗などを植えつけました。そのころから陽が射しはじめ、予報通りに水曜まで好天で、随分庭仕事がはかどりました。

 喫茶のテラスの模様替え。このたびの大雨で顕になった排水上の不具合を、一部コンクリートを削ったりして改修。これまで玄関を飾かざっていた素焼きの大瓶の有効利用。さらに、ジャリ道の部分舗装に伴って生じた雨水処理装置の化粧仕上げ、など。

 アイトワ塾では、先週末に滋賀県で学んだことも踏まえ、対立軸を立てるなどして幸せや豊かさについて掘り下げました。企業など組織の運営上でも役立ちそうなヒントが多々ありました。要は報酬をなんと見定め、いかに創造性を発揮しあいたくなるように促すか。対立軸として、欲望vs希望、ココロvsカラダ、現世世代vs未来世代、ジェネラルvsスペシャル、虚vs実、グローバリズムvsローカリズム、あるいは文明vs文化などを取り上げ、掘りさげました。これからの幸せや豊かさ観を見誤ると、空回りやくたびれもうけになりそうです。400年前の人に学び、前例がない時代への備えをしたように感じました。

 木曜日は雨と覚悟していたので、ボーナスの1日になりました。夕刻まで降らず、終日曇天の下で畑仕事にありつけたのです。しかも、農業の救世主のような知友に立ち寄ってもらえたので、ポツポツと雨が来るまでにサラダ菜の本植えも出来ました。

 本格的に雨模様になったのは金曜日の朝食後です。ですから土曜日にかけて、温室や屋内で過ごしました。遅ればせながら茶摘みをして、それなりの成果を手にしています。そのような訳で、月曜日の夕刻に2時間ほどホームセンターまで買物に出たほかは、まるまる1週間を庭の中で過ごしたことになります。でも、頭の中では世界を駆け巡ることができました。幸運にも金曜日に秋田から山菜が届きました。学生助っ人のOBの1人と、就職後初めて交信もできました。富士山の近くに配属された、とのこと。

畑仕事は、10本のサツマイモの苗植えから始まり、金曜日のサラダ菜の苗の植え付けで終わりました。サラダ菜の畝を耕し終えたときに知友がヒョッコリと立ち寄ってくれました。そこで、お茶の前に、畝に仕立てる作業と、苗の植え付けを手伝ってもらったのです。私はシャベルを用いますが、彼は素手で苗を植え付けました。この人は脱サラして有機農法で生きており、地方の啓蒙活動に努めています。

雨水処理装置の化粧仕上げ、その前と後。モリアオガエルの産卵期前に仕上げたい、と願いながら、わけがあって少しずれ込んでしまいました。昨年はナツメの枝に産み付けましたが、来年は鉢植えのサルスベリや楓も産みつけたくなるような枝を張っていることでしょう。

大瓶の有効利用。雨水を貯めて、ホタギを沈め、シイタケが出やすくさせようと思っています。もちろん震災対策にも配慮しました。壁に水が満杯の大瓶がぶつかって割れないように、家屋と大瓶の間にクッション材をかまし、針金で固定したのです。ちなみに、この作業は、上記の化粧仕上げとともに、母屋の玄関周りの整備作業でもあったわけです。

わが家製の切干大根や、自生のアシタバの幾つめかのお惣菜も味わいました。保存食や救荒食を造るコツなどを常に身につけておきたい。いざという時にオタオタしなくて済ませたいのです。こうしたコツが役立つ時が、死ぬまでにやって来そうに思っています。高くて買えな時代はまだしも、お金があっても買えない時代です。

サツマイモの畝作りで、じゃまになった「長けたアイトワ菜」を抜き取り、スナップエンドウの支柱にぶら下げました。小鳥の取り分として残していた菜で、種を結んでいます。これから畝作りが進むに従って、種を結んだ自然生えの菜を取り去らざるを得なくなり、キュウリの支柱などにぶら下げることになるでしょう。

改めて「植物の賢さ」に感じ入りました。ヒメジオンやハルジオンも目の敵にしており、白やピンクの花を見つけると次々と抜き去ってきました。今や何十もの花をつける立派なのは残っておらず、見落としていたとしてもせいぜい10輪程度の貧弱なものです。しかし油断は禁物。野草は草陰などで発芽し、急ぎ足で長け、たった1輪だけ花をつけるなどして来年につなごうとするものです。

楓の種。妻が散歩でひときわ色が濃い種を拾ってきました。そこで庭の種と見比べたのです。とにかく自然は2つと同じものを創りません。それが個性でしょう。これまでの工業社会は逆に、その反作用かのように、均一な複製品に憧れさせてきました。いわばこの不自然に憧れてきた、あるいは慣らされてきたココロは、これからどうなるのでしょうか。